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 日本国内におけるアジア研究の動向をご紹介します。長期または短期の研究動向レビュー、出版物や展示会の紹介、執筆者自身の新しい研究課題、資料や調査方法に関する議論などを随時掲載します。



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エッセイ一覧(全分野)
近現代中国の憲政問題と国際情勢

中村 元哉(11/02/01)

革命・戦争・社会主義・ナショナリズムの歴史として理解されがちな中国近現代史において、なぜ憲政問題が清末から現在まで主要な争点であり続けているのか。中国を取り巻く国際情勢をも視野に入れながら、近現代中国の憲政問題を考える。
金融再建の比較研究 ― 韓国、タイ、メキシコ

岡部 恭宜(08/02/25)

一ヶ国研究でも多数事例の定量分析でもない、少数事例の比較研究を行う意義や理由はどこにあるのだろうか。1990年代の金融危機以降、韓国、タイ、メキシコが進めてきた金融再建に関する比較研究を通じて、この問題を考えてみたい。
太湖流域の農漁村と歴史学──ヒアリングから明らかにする「非文献」の世界 太田出
(08/02/06)
中国江蘇省・浙江省・上海市に跨る太湖流域、特に汾湖周辺の呉江市・嘉善県・青浦区の農漁村において、ヒアリングを通して観察しえた汾湖周辺の農漁村について文献史料には登場しない「非文献」の世界を中心に素描する。
ポスト・スハルト期の国家法と慣習(法)への人類学的アプローチ 高野さやか
(08/02/06)
2008年1月27日、スハルト元大統領の訃報が全世界に伝えられた。在任中には強固な中央集権体制が築き上げられたもののそのひずみは、90年代に入り経済不安や民主化を求める暴動となって現れ、社会のさまざまな領域に大きな影響を及ぼしつつある。
日韓音楽関係史にみるポストコロニアリズム −日本での鄭京和− 藤井 浩基
(07/04/03)
韓国人バイオリニスト鄭京和は、常にサイード的なオリエンタリズムや韓国人のエスニシティと対峙しなくてはならなかった。戦後、ポストコロニアリズムのなかで、鄭京和をめぐる日本での批評を軸に韓国人と音楽を結びつける言説の傾向に迫る。
ベトナムの今―「南学日本語クラス」から思うこと― 田中健郎
(07/03/23)
2年間の留学を終えたばかりの筆者が、「南学日本語クラス」の歴史と学生達の様子から「ベトナムの今」の一面を紹介する。学生の間の「現代っ子」と「新時代人」という対比が現在の社会変化を象徴している。
2004年インド洋大津波後のタイ南部を歩く 市野澤潤平
(06/03/20)
004年のインド洋大津波は、タイ南部においても甚大な被害をもたらした。人材不足の中、タイの国際観光の研究者である筆者が要請を受け、津波の被災状況の視察に向かった。災害研究の門外漢が見た被災地の記録。
コロンビア大学におけるアジア研究―NYとアジアの接点とともに―
井上実佳
(06/02/23)
筆者は、2005年から2006年にかけてコロンビア大学のSIPA(The School of International and Public Affairs)で在外研究を行う機会を得た。本稿では、その経験をもとに、ニューヨーク・マンハッタンの様子やコロンビア大学におけるアジア研究を取り上げたい。
アジア伝統医学史の研究方法をめぐって 帆刈浩之
(06/02/15)
グロバリゼーションの名のもと、地域固有の伝統知識が囲い込まれる中、アジアの伝統医学の制度化は歴史的に何を意味するのか。伝統科学と近代科学の諸学問を同カテゴリーとしてではなく、固有の歴史的展開をふまえ多様なアプローチから検討する必要性を説く。
現地を歩いて気付くこと 榎本 渉
(05/12/28)
日本の港町を歩いて気付いた「唐船島」の地名と、そこにまつわる伝承。「唐船島」が前近代の国際貿易港の周辺に分布する事実を紹介する。
「38度線」以北のフィールドワーク─韓国村落の過去と現在― 中野 泰
(05/12/21)
エスノグラファーは、フィールドに生起する微妙なひだや大きなうねりを、いかにして捉えることができるか。彼らの些細な会話や事件に身を投じつつ、韓国北東部の村落を舞台に、交差する過去と現在の意味を問う。
戦後日本外交史研究における一次史料探訪 昇亜美子
(05/12/16)
著者の個人的体験に基づき、戦後日本外交史、特に日米関係と日本のアジア外交を研究する立場から、日本と米国の史料の公開状況やアーカイブスの利用方法について紹介する。分野の異なる研究者をはじめ、これからアーカイバル・ワークをする学生にも役立てられる。
日本と東南アジアの戦後史 ―新たな視点から― 保城広至
(05/02/25)
敗戦後、日本は東南アジアをどのように捉え、どのようにして関係を取り戻していったのか?戦後から1970年代にかけての日本による東南アジア外交の歴史を、論争になると思われる仮説や提言も盛り込み、通説とは違った視点で論じる。
古代チベットと敦煌−チベット史・敦煌史における古
チベット語文書の利用−
岩尾一史
(05/02/09)
敦煌古チベット語文書群は、古代チベット史、敦煌史の両方にとって質量ともに第一級の史料群である。それにも拘らず、多くの文書が未読のままに置かれているのは何故か?研究史上の問題を考察し、あわせて変わりつつある古チベット語文書の史料状況を紹介する。
ミシガン大学の中国研究:その研究者養成のしくみ 中里見敬
(04/12/21)
アメリカの大学院で人文・社会科学の研究者はどのように養成されているのだろうか。短期集中の積み重ねによって博士学位を取得し、研究教育職に就くまでの過程を、ミシガン大学での見聞をもとに報告する。
江戸の天文・和算史料論序説 平岡隆二
(04/12/10)
江戸時代の天文・和算にまつわる史料は、現在国内外の分散して収蔵されており、それに関する情報は日々増大している。既存の体系の中に位置づけていくためには情報をたえず集積し、それらの情報との相互参照という形で、可能な限り多くの比較を積み重ねることが必要とされる。
近代中国の地方文献についての覚書 佐藤仁史
(04/12/10)
清末民国期の江南の出版文化はその地域社会の自己主張の手段とも見受けられる。それは、こうした地方文献の背景は在地の指導層の動きと密接な関係していたからである。今回、資料調査にて見つけた資料を紹介し、地方文献の利用価値と注意点を解説する。
安田弘先生捐贈正平本『論語』等十一種 橋本秀美
(04/11/16)
中国で古来注目され、日本でも最も重要な古版本−正平本『論語』。その安田文庫旧蔵であった正平本『論語』が、安田弘先生に伝えられ、すべて東洋文化研究所に寄贈された。その意義は計り知れなく大きく、ここにそれを紹介する。
『大木幹一氏旧蔵ノート』とその底本 高遠拓児
(04/11/16)
東京大学東洋文化研究所蔵大木文庫の寄贈者として知られる大木幹一氏の旧蔵に関する39冊のノート。その『大木幹一氏旧蔵ノート』についての紹介とノートに記された各種史料についての解説。
N-gramモデルを利用して先秦文献の成書時期を探る―『孫子』十三篇を事例として― 山田崇仁
(04/11/01)
成書時期が不明な文献に対しては、いくつかのアプローチ方法がある。個々の言葉を、成書時期の明らかな文献と比較するのも1つの方法である。ここでは、テキストを先頭から機械的に分割し、統計的に解析・比較する方法の一例を紹介する。
インド・グジャラート地方の近代史研究―1990年代以降の研究動向を中心に―
井坂理穂
(04/10/04)
インド西部のグジャラート州は、ヒンドゥー・ナショナリズムの動きなどが背景となって、近年大きな関心を呼んでいる。ここでは1990年代以降のグジャラート研究、特に植民地期を中心とした近代史研究の動向を紹介し、今後の課題を検討する。
チベット高原学会の会場外にみるチベット社会の素顔 シンジルト
(04/10/01)
この夏、ラサで開かれた国際シンポジウムに参加したモンゴル人の著者が、観光化の進む寺院の僧侶や、エクスカーションに雇われた車の運転手など、そこで出会ったチベット人と、チベットの社会的現実について語る。
族譜・アイデンティティ・日韓関係 玄 大松
(04/07/12)
いま韓国の猛烈女性たちが日韓関係の軸を揺るがす! 韓国において、個人と門中、そして社会との関係を表象する記号として意味をもつ族譜。族譜をアイデンティティ・歴史認識のコンテクストから読む。
文理融合型研究プロジェクトと文化人類学者 尾崎孝宏
(04/07/02)
近年、若手研究者も参加する機会が増えてきた文理融合型プロジェクトに文化人類学者が参加する場合にぶつかる困難とその克服案について、中国乾燥域で現在実施中の「オアシスプロジェクト」を例として紹介する。
漢字ツールよりも電子テキスト? 二階堂善弘
(04/07/01)
いままで漢字情報処理はかなり理念先行型で失敗してきたように思える。実際には漢字処理のツールよりも、データベースや電子テキストなどのコンテンツの方がはるかに重要であった。いまこそ、もう一度コンテンツ重視の姿勢に立ち戻るべきではないか?
世界で一番贅沢な紙 ―南屏紙― 菅 豊
(04/06/16)
中国・淅江省温州市の山奥では、今なお伝統的な製法による紙漉きが行われている。山野で伐採した竹を原料とし、半年以上の年月と幾段階もの複雑な工程を経て作られる、いわば世界で一番贅沢な紙、その用途は…
東南アジアの幼児教育・保育−民族・国家・グローバリゼーションの狭間で 池田充裕
(04/05/11)
東南アジア3ヶ国(タイ、マレーシア、シンガポール)における幼児教育・保育の調査報告である。グローバリゼーションの流れの中で、各国は母語教育、価値教育、異文化理解教育や外国語教育などについてどのような取り組みを行っているのだろうか。
「国益を反映したODA」を考える 石田正美
(04/05/07)
2003年8月、「ODA大綱」の改定にあたり、「国益の反映」が非明示的ながらもODAの目的に加わった。筆者は、日本の最大の援助供与国の1つであるインドネシアの調査体験に基づき、「国益を反映したODA」の類型とその是非について論じる。
ポルトガル関係史料によるインド史研究入門 真下裕之
(04/04/27)
15世紀末から16世紀にかけて環インド洋地域を訪れたポルトガル人は、インド社会の動態を克明に写し取り、大量の記録を残している。本稿は、ムスリム支配時代のインド史研究にポルトガル関係史料を役立てるための実用的入門書である。
甲種本攷 -- 現代中国書の書誌学的研究のひとこま 小島浩之
(04/04/23)
現代中国書には、タイトルが同じであるにもかかわらず、甲種本、乙種本、丙種本などの区別をもって流通している場合がある。一般に図書館の目録担当者の間では、料紙や装丁の相違を表す言葉だと理解されているが・・・
モンゴル都市・建築史を構築する夢を見て 包 慕萍
(04/04/16)
文化大革命によって破壊され、3日3晩燃え続けた壮麗なラマ寺院。大人たちは失われた寺の記憶を語り継ぎ、舗装だけが残る寺の跡地は子供たちの秘密基地になっていた――印象的な実体験を交え、内モンゴルに生まれた著者が、「遊牧文明における都市と建築」の研究を構想するまでを語る。
1冊の写本に向き合うことから分かるもの ― ペルシア語写本研究の問題と新たな可能性 ― 渡部良子
(04/04/12)
ペルシャ語写本史料が身近になっている現在、校訂=原テキストの再構築という方向性が主であった従来の研究目的は、写本の来歴・性質を割り出す根拠・物理的特徴を含めさらに深化拡大している。重要写本研究の紹介をしつつ、今後、写本研究に関する知識を広く開放してゆこうとする動きに、積極的に参加することの大切さを述べる。
中国古典詩研究と歴史主義そのほか 浅見洋二
(04/04/01)
作者と作者の生きた時代背景に依拠する歴史主義的手法は最もオーソドックスな文学研究のスタイルだった。近代以降の文学理論は、歴史主義に対する離反と接近をくりかえしている。そうした欧米の動きは日本の中国古典詩研究とも無縁ではない。
中国演劇研究の現状と展望 加藤 徹
(04/03/24)
二十世紀初頭に始まった中国演劇研究は、コンセプト面でしばしば日本人研究者がリードしてきた。二十一世紀もその潮流が続くかどうか、いま微妙な段階にさしかかっている。
シャン仏教研究の意義―東南アジア上座仏教研究における新たな可能性 村上忠良
(04/03/24)
東南アジア大陸部の国境を越えた上座仏教ネットワークを研究する上で、欠かすことのできないシャン仏教の研究が近年本格化し始めている。その研究の意義と今後の可能性を紹介する。
アジア研究の一隅−流通勉強会に集う 岩ア葉子
(04/03/23)
人間社会に普遍的に存在する現象である「流通」を切り口に、地域研究の深化を目指す研究会を紹介する。イランの書籍再販制度分析など、研究会の成果が実り始めている。アジアの生の情報との融合によって新たな地平の開拓が期待される。
博物館コレクションをコレクションする 田口理恵
(04/03/18)
モノに刻まれた多様な履歴を手がかりにモノデータベースを構築し、フィールドワークツールとして活用していく可能性を追求。国内博物館所蔵資料から、いかにしてモノデータベースを構築していくのか、古くて新しい手法による挑戦が始まっている。
「d'CATCHの挑戦」 坂田邦子
(04/03/01)
アジアのメディアにおいて文化の多様性とはどのように担保できるのか。映像メディアにおける多文化共生とは何を意味するのか。国際的な実践共同研究「d’CATCH」を通じて、グローバルに変容するアジアのメディア文化について考える。
西アジア考古学から見たイラク戦争 小泉龍人
(04/03/01)
日本人による西アジア考古学の研究はイラクで始まった。しかし現在、イラクの文化遺産がかつてない危機に直面している。博物館から文化財が略奪され、古代遺跡は白昼堂々と盗掘されている。西アジア考古学の立場からイラク戦争後の動静を見る。
あちらの事情、こちらの思惑―建築史、都市史をめぐる断章 村松 伸
(04/01/06)
建築史や都市史は、歴史学では際物あつかいされています。でも、本当は奥が深い(のかもしれない)。あちらの「一般史」の方も、こちらの建築史、都市史の方も、それぞれ事情や思惑がありましょうが、それはさておき、お互いに敬遠しないで、仲良くなりましょう。
日本人のシンガポール体験 西原大輔
(04/01/06)
日本人はシンガポールをどのように見て来たのか? 筆者は、幕末以来この港湾都市を訪れた日本人文学者や画家らの断片的な記録を収集している。シンガポール研究史を概観するとともに、日本人のシンガポール体験史を論じる。
中国現代文学史はいかに「書き換え」られたか 鈴木将久
(03/12/01)
中国現代文学史の「書き換え」が唱えられてすでに二〇年近くがすぎた。日本の研究界は、この間どのような成果を生みだし、現在いかなる課題に直面しているのだろうか。
ガイダンス 東南アジア経済研究 薮下(ワイラートサック)
ネーナパー

(03/11/18)
通貨危機後も世界の注目を集める東南アジア経済。この地域経済の研究状況を、開発経済学、国際経済、アジアビジネスという3つの分野に分類して整理。日本にある東南アジア経済に関係する研究機関と統計資料等も紹介。
ある一人の入宋僧 榎本 渉
(03/11/18)
入宋日本僧とされている白蓮社に関係する史料を考察し、白蓮社入宋説が誤説である可能性が高いことを指摘。徹底した史料採集・整理によって、入宋僧に関する通説の再検討が必要かつ可能であることを暗示。
漢籍電子検索の普及と中国前近代史研究 青木 敦
(03/10/22)
台湾中央研究院を事例に漢籍の急速な電子化状況を紹介。そして電子化がもたらした影響を確認したうえで、研究・大学教育における利用上の利点・注意点を指摘。
中国史への内在的研究姿勢と外在的研究姿勢 青木 敦
(03/11/12)
中国史研究において、中国文化に即した(内在的)研究姿勢と、外部の要素に目を向ける(外在的)研究姿勢のそれぞれの効用及び限界を指摘し、両者のバランスをとることの重要性を説く。
現代イスラームへの視点−原理主義とスーフィズム 赤堀雅幸
(03/10/14)
近年、人類学を含めた現代イスラーム研究の中心的課題であった「原理主義」に関する共通理解と、これを相対化し、さらに総合的なイスラームの現代像を模索するためのスーフィズム研究の可能性。
居場所を変える作品たち 板倉聖哲
(03/10/14)
日本・中国古美術の所蔵先の移動が激しくなっている今日、寄贈側、受贈側双方による作品への配慮が求められている。その好例ともいえる植村和堂氏コレクションの根津美術館への寄贈を紹介。
日本の中国古典小説研究はどこへ向かうのか−20世紀末の小説研究の来し方を振り返りつつ− 上田 望
(03/10/14)
日本における中国古典小説研究は「衰退産業」なのか? 1990年代以降、日本の学界を取り巻く研究環境の変化について回顧し、今後の小説研究の行く末を占う。
台湾における日本殖民時代の蔵書と日本のアジア研究 王 詩倫
(03/10/14)
台湾の日本植民地時代の統治主体である総督府の資料、また総督府及び関係者によって集められた書籍・資料が現在所蔵されている機関の紹介。アジア研究という視野からそれら資料の利用価値及び可能性を探る。
日本におけるアジアの建築史研究 深見奈緒子
(03/10/14)
アジアにおける建築史研究の問題点をふまえ、日本の建築史研究を再検討。現代における日本の建築史研究の実用性を指摘するとともに、アジアから世界建築史の視角を提案する必要性を説く。
東地中海のイスラーム・西欧史料をめぐって 堀井 優
(03/10/14)
中東・ヨーロッパ間の異文化接触の現場から生み出された史料には、研究上いかなる価値があり、またどのような限界があるだろうか。16世紀前半のオスマン朝、マムルーク朝、ヴェネィアの史料を例に考える。
辺境の民が発展する道 丸川知雄
(03/10/14)
中国の西端に位置する新疆ウイグル自治区は、10数年ほど前はロシア・中央アジアとの辺境貿易の拠点として脚光を浴びたが、ロシア・中央アジアの停滞と中国の発展によって、今はむしろ中国内地との関係が重要になっている。その中で中国語がうまく話せない少数民族は就職などで不利な立場に置かれている。現代の辺境の民はどこに発展の活路を見いだしたらいいのか、現地で考えてみた。