03/10/14
 辺境の民が発展する道
 
丸川 知雄

 中国の西端に位置する新疆ウイグル自治区には二つの時間が流れている。一つは、「北京時間」である。中国はアメリカ本土並みに東西に長い国だが、全国共通の時間を採用している。だが、この全国標準時間は北京の生活時間に合わせているため、四川省ぐらいまで西に来るともうかなり無理があり、冬場だと朝8時でもまだ真っ暗である。さらに経度にして15度ほど西に位置する新疆ウイグル自治区のウルムチにくると、いよいよ北京標準時間では無理があり、朝の始業時間は10時、昼食は14時から、夕食は20時から、と生活時間は実質的に2時間遅れである。こうして実質的に北京から2時間遅れで生活していることを称して「ウルムチ時間」と呼ぶのだと私は思っていた。ところが、今年6年ぶりで新疆ウイグル自治区を訪問して、本当の「ウルムチ時間」があることを知った。政府機関、汽車や飛行機の出発時刻などは北京時間で表示されており、漢族の住民は北京時間を使っているが、ウイグル族は北京時間から2時間遅れの時間を使っているのだという。確かに、ウイグル族の家庭、ウイグル族が多い地域の学校、ウイグル料理店、さらにウイグル語のテレビでも、時計は2時間遅れの時間を示していた。

 ある漢族の地方政府関係者は、「かつてウルムチ時間があったが今は廃止された」とも言っていたが、ウイグル族の間ではウルムチ時間はちゃんと存在している。政府のレベルでは公式には認めていないが、ウイグル族の間では現実に存在するウルムチ時間というものに、この地における民族間の容易ならざる関係が透けて見えるように思えた。
 新疆ウイグル自治区はシルクロードの通る土地として昔から東西交易の拠点であり、ウイグル族は商業を担う民族として栄えた。だが、ここ10年の間に中国の特に東部地域がますます成長し、求心力を高める一方、ロシア・中央アジア経済の停滞によって、新疆、とりわけウイグル族が「周辺化」されている。ウイグル族が生活実感に合わない北京時間を拒否し、独自の「ウルムチ時間」を持つということにそうした動きに対するささやかな抵抗の意志が感じられる。

 新疆が「周辺化」されているということの内容をもう少し具体的に言おう。例えば、中国とロシア・中央アジア地域との貿易は、最近はもっぱら中国の東部地域で生産される安価な衣料や雑貨類が後者に輸出されるという流れが主になっているが、そうした貿易活動は主に漢族商人と相手国商人との間で行われている。相手国商人は最初はカシュガルのような辺境の町に中国製品を買い付けに来たが、今は辺境では買い付けず、ウルムチなどより商品の出所に近いところに買い付けに来るようになった。ウルムチで現代の東西交易の拠点である市場をいくつか見て回ったが、衣料・雑貨の卸商はもっぱら漢族、それも浙江省や四川省など他省から来た商人が担っている。ウイグル族も市場で店を構えているが、絨毯や干しぶどうといった地元の伝統的な特産品を主に観光客相手に売るというのが彼らのなりわいである。こうして現代の東西交易は新疆を素通りし、かつて東西交易を担ってきたウイグル族を素通りしている。

 加えて、近年の新疆経済はロシア・中央アジアとの経済関係よりもむしろ中国内地との経済関係によって発展している。すなわち、新疆は石油、綿花などの原料を東部に供給してきたし、新疆の天然ガスをパイプラインで中国東部に送る計画も始まった。最近急速に成長した産業としては、トマトを栽培してトマトケチャップに加工するという産業があり、すでに世界市場の3分の1を占めているというが、これも東方を経由して世界に向かう産業である。トマトや綿花といった経済作物は多くが「生産建設兵団」という1950年代以来新疆に入植した漢族開拓団の農地で栽培されており、ウイグル族はここでも素通りされている。さらに、ここ数年中国では内需喚起のために大型連休が作られ、国内観光が奨励されていて、新疆にも豊かな東部地域から観光客が大挙して訪れるようになった。

 こうして新疆と中国内地との経済関係が強まるなかで、就職するために中国語(漢語)の能力が不可欠とされるケースが多くなっている。ところが、従来少数民族自治の建前から少数民族は民族語による教育を受けてきたので、中国語が余り話せない人が多い。従来、少数民族を最低20%は雇うという規定が政府機関や国有企業では実施されていたが、民間企業にはこの規定は適用されない。国営企業が衰退し、民間企業が中心になっている今、少数民族は雇用面で不利な状況に置かれている。2000年の人口センサスに基づく私の試算によれば新疆ウイグル自治区の都市部における漢族の失業率は約8%なのに対して、ウイグル族のそれは11%以上、カザフ族、回族、モンゴル族など他の主要な少数民族の失業率はさらに高い。

 ただ、新疆ウイグル自治区政府のこの問題に対する認識は希薄で、民族ごとの失業率といったデータは把握していないようだった。むしろ、「雇用面で少数民族を優遇することは、彼らの能力向上を妨げ、漢族との間の能力格差をますます拡大させる結果になるのでやめるべきだ」とか、「(エキゾチックな容姿をしているので)娯楽産業や飲食業では少数民族を争って採用している」といった意見も政府関係者(もちろん漢族)の口から聞かれた。前者の発言は傾聴に値するが、後者の発言は、ホテルで夜部屋に電話をかけてきて、「ウイグル族の女性はきれいだよ」と誘ってきたポン引きを思い起こさせて余りいい気持ちがしなかった。

 ところで申し遅れたが、私が何をしに新疆ウイグル自治区に出かけたのかといえば、中国西部地域の経済発展の道を探る神戸大学を中心とする科研プロジェクトの一環として調査を行うためだった。このプロジェクトは四川省北部の広元市と、新疆のカシュガルを拠点として3年にわたって調査をしようというものである。昨年の広元市での調査では、沿海地方(特に浙江省温州市や義烏市)からの商人が広元市に流入して拠点を作り、沿海地方からの安価な衣料・雑貨の集散地になっていることに着目して、商人に対するアンケート調査を実施した。今回、ウルムチ、カシュガルに行って、やはりここでも沿海地方の商人と安価な衣料・雑貨が滔々たる流れとなって押し寄せ、さらにロシア・中央アジア方向に向かっている姿をかいま見ることができた。広元市、ウルムチ、カシュガルともに、商業拠点としての発展に一つの光明を見いだしており、そうした商業拠点の現状を把握し、さらに地域経済を牽引していく契機を探るのが科研プロジェクトでの私の課題である。しかし、そうした中国東部との関係が強まる中で、周辺化されていく少数民族はどこに活路を求めていったらいいのかも気になってきた。

 いま成長の極は新疆の西方にではなく、東方にあるという状況が動かしがたい以上、少数民族も中国東部との経済関係のなかに自らの活路を見いだす以外にないように思う。文化的には「ウルムチ時間」に象徴されるような独自性を保ちつつも、経済的には「北京時間」に合わせるような柔軟性が求められるのではないかと感じた次第である。