04/03/01
 「d’CATCHの挑戦」
 
坂田 邦子

1.d’CATCHとは?

 “d’CATCH”とは“deCentralized Asian Transnational Challenges”の略で、文字通り、国境を越えてアジアのメディアと市民をつなぐためのあらゆる挑戦を試みるプロジェクトである。実は、“Challenges(挑戦)”の裏側には“Chaos(混沌)”と“Champon(ちゃんぽん=多様な要素が共存しつつ統一感のある状態)”があり、 “Chaos”を乗り越え、また“Chaos”という状況そのものの中に“Challenges”の契機を見出しつつ“Chaos”を“Champon”に転換していくための“Challenge”を仕掛けていこうという強い意志(?)を反映している。2003年度はこの挑戦の第一弾として、フィリピンのサントトマス大学神田外語大学、そして東京大学大学院情報学環メルプロジェクトが共同で、映像制作の実践を行った。メディアを通じた異文化理解とメディア・リテラシーに関するこの共同研究は、「実践的研究」という方法論としては新たなアプローチから、アジアのメディア文化の多様性と文化的共生の可能性について考えようという試みである。このプロジェクトの2003年度パイロット研究は1月末で終了したが、今回は簡単にこのプロジェクトの紹介をしたいと思う。

2.d’CATCHの背景

 「アジアの世紀」とも言われる21世紀に入り、政治経済のあらゆる領域において「アジア」という共同体としての意識が高まる一方で、多様な伝統文化や価値観の共存に対する欲求は依然として強くある。その背後には、アジアにおける通信・放送衛星によるメディアのグローバル化やデジタル化、事実上国境を消滅させたインターネットによる情報の制限なき往来などによるアジア的な文化・価値観の存続に対する危機感とポストモダン的な混淆としたメディア環境に対する言いようのない不安がある。とりわけグローバル化した映像メディアにおける欧米とアジアの不均衡な関係については多くの議論がなされてきたが、一方で、日本と他のアジア諸国との歴史社会的な問題群と映像メディアの関係に目が向けられることはほとんどなかった。特に、常に「アジア」を他者として表象してきた日本の映像メディアは、日本とアジア諸国の歪んだ関係に少なからず影響され、そして影響を与えてきたと言える。このような異文化表象、他者表象の問題を乗り越えて、文化的多様性のあるメディア環境を再構築しようという試みは、歴史を越えて日本と他のアジア諸国との新たな関係性を築くことと深い関係があると思われる。

3.d’CATCHの射程

 d’CATCHは、このような問題を残したまま多様化しつつあるアジアのメディア環境を社会文化的な側面から再構築していくための可能性と問題点について、学術的かつ実践的な視点から検討することを目的としている。このためのキーワードとなるのが、最近、日本だけでなくアジアにおいても注目されているメディア・リテラシーという概念である。メディア・リテラシーとは一般に「メディアを批判的に読み解く能力」だとされるが、上述したように、ある種の支配的な意図によって歪曲され偏向した異文化表象・他者表象に対峙するときに殊更に必要とされる能力であるとも言える。またメディア・リテラシーとは、メディアを使って情報を発信する能力でもある。d’CATCHでは、メディア・リテラシーという概念が持つこのような二つの要素、@異文化表象・他者表象に対するクリティカルな視点、A異文化表象・他者表象ではなく、自ら自文化を表象し、主体的に発信するという視点を持ちながら、実際に文化的差異や異なる価値観を意識しながら映像表現を行うことで、多文化的なメディア環境におけるメディア・リテラシーの問題とともに、映像メディアによる多様な文化や価値観の表現についての本質的な問題点を明らかにすることを目的としている。

4.実践報告

 以上のような問題意識に基づき、2003年度は上述したように、フィリピンと日本の学生による共同映像制作を行った。2003年9月から2004年1月までの期間、フィリピンと日本の学生は、「食文化」をテーマに、それぞれ3グループに分かれて、5分ずつのビデオクリップを制作した。その後1月末にはフィリピンの学生が来日し、各グループがペアになって、共同でフィリピン・日本の2つのビデオクリップを組み合わせ、最終的に15分の番組を3作品完成させた。個別の映像制作を行う過程で、学生たちは「ブラックボード」というeラーニングのシステムを利用したオンライン・コミュニケーションでお互いの国の文化について学びながら、「日本人」にも「フィリピン人」にも楽しんで見てもらえるテーマや表現について考えた。日本におけるフィリピンのイメージが悪いということを前提に、このイメージを変えるためにレストランで働いているフィリピン人と日本人を取り上げたチームは、「こんなことを映像にしても大丈夫かな…」と不安もあったものの、その後の共同作業で、フィリピンの学生から「そういう風に取り上げてもらってよかった」というコメントをもらい、ほっとしたという一場面もあった。

 また、同じアジアにありながら、映像文化が非常に異なるフィリピンと日本では、映像表現の方法や嗜好にも顕著な違いがあり、アメリカ的、MTV的な映像を好むフィリピンの学生の作品と、シンプルでわかりやすいメッセージとストーリーをという指導を受けた日本の学生の作品を組み合わせて一つの作品とすることには多大な苦労もあったが、結果的にはフィリピン人と日本人のMCがそれぞれの文化を紹介しながら番組を進行するという、従来の日本のテレビ番組にはない新しい手法によって、映像メディアにおける文化的共生の可能性の一片が見出されたように思う。

5.d’CATCHのこれから

 半年間の実践には、語り尽くせぬほどの発見や学習があり、すべてをここに羅列することはできないが、これらを学問的に評価・分析をしていくという作業は実はこれからである。もちろん、ここには書けなかったが多くの失敗や反省もある。実践研究とは、これらを含めて、社会的かつ現実的な文脈における課題や問題をつまびらかにしていくところにその意義があると考えている。可能性と同じくらいの問題も残ったが、今後同種の関心に基づく様々な形態の実践研究を積み重ねていくことで、そこから得た経験と知見を束ねて、アジアにおけるメディアの多様化と文化的共生への展望について、少しずつその輪郭をはっきりさせていければよいと考えている。

(東京大学大学院情報学環・助手)