04/04/27
 ポルトガル関係史料によるインド史研究入門
 
真下 裕之

 15世紀末から16世紀前半にかけて、インド亜大陸は政治的・社会的に大きな変動を迎えていた。 北インドにはムガル帝国という有力なムスリム国家が覇権を確立した一方、南インドではバフマニー朝が崩壊し、五つのムスリム王朝へと分解した。 ティムール朝の後継国家であるムガル帝国は、イスラーム化した(かつペルシア化した)トルコ系の人々の軍事力に依拠する政治権力である。 また南インドのムスリム五王朝のうち少なくとも三つまでは、ペルシア湾岸方面から海路で渡来したトルコ系軍人によって担われたものである。 つまり中央ユーラシアに発する人的資源の拡散と、これに伴う経済・社会構造の変動(後者にはインドのイスラーム化とくにデカンではシーア化の進展が含まれる)は、16世紀までに海と陸との両翼から、 まさに環インド洋世界を巻き込むスケールでインドに及んでいたのである。 したがってこの変動のメカニズムを総合的に理解するためには、 陸上のムガル帝国のもとで行われた historiography ばかりでなく、 海側のそれにも基づいて、多角的に検討することが必要である。

 この大変動のただ中に参入したポルトガル人は、 経済上の利得によるにせよ、布教の使命によるにせよ、 並々ならぬ情熱を傾けて大量の記録を残した。 こうしたポルトガル関係史料は、環インド洋地域の社会の動態をじつに克明に写し取っており、ペルシア語・アラビア語史料や刻文史料とは別の視点から、詳細かつ大量の情報を提供してくれる点で、高い史料価値がある。 さらにポルトガル人が他の欧人よりも早くインド社会を観察し、かつ組織的な記録を行ったことは、彼らの残した文献に他のどの欧語史料にもない多くの特長を与えているといえよう。

 にもかかわらずインド史の研究者によってポルトガル関係史料の手引きが書かれることは案外まれである。これは、インドにおけるポルトガルの活動が、ポルトガルの海外拡大の歴史さもなくばミッション活動の歴史といった、それぞれに巨大な分野に付属して取り扱われてきたという特別な事情に拠るのかも知れない。

 小稿はこの欠を補うべく、ムスリム支配時代のインド史研究にポルトガル関係史料を役立てるための手引きでありたい。 しかし紙幅が限られているので小稿は、個別の文献に到達するために有用な参考書目を紹介するに止める。その意味で小稿は手引きの手引きに過ぎないが、それでも初期段階での無益な試行錯誤の多くを解消し得るはずである。 また新しい情報を紹介することには少々注意した。 その結果、基本的な文献には言及無く、評価の定まらぬ傾向が表に現れることになったかもしれない。 しかしこうしたアンバランスな記述も、 小稿が研究史の総括ではなく、今すぐ役立つ実用的な入門を目指す故である。 なお筆者にはインド・イスラーム史に関する研究史のレビューの予定が別にある。小稿がそれと対をなすものであることも付け加えておく。


 まず包括的な文献目録としては、アジア全域を対象とする[de Silva 1987]があり、インドに限定したものとして[Scholberg 1982]がある。いずれも少し古く、一次文献と二次文献とを混在させているところに問題があるが今なお大いに役立つ。 両者とも分類目録の体裁を取っているので、小稿が扱わない工具書の類もここから遡及できよう。

 研究史のレビューとしては[Boxer 1981], [Boxer 1981a]が有用であり、[Pearson 1987]のBibliographical essayも研究史の手際よい整理になっている。[Stephen 1998]の序文は比較的新しい動向のレビューとしてすぐれており、[Thomaz 1997]はポルトガルでの研究動向の紹介。小稿の関心はポルトガル文献にあぶり出されたインド社会の姿なので、これに関連する研究のいくつかを紹介する。 全般的には[Scammell 1980], [Scammell 1988], [Mathew 1995]、 南インド全般については[Subrahmanyam 1990]があり、 とくにコロマンデル海岸については[Subrahmanyam 1988], [Stephen 1997], [Stephen 1998]、 マラバールについては[Bouchon 1973], [Bouchon 1975], [Subrahmanyam 1984]などがあり、[Mathew & Ahmad 1990], [Correia 1997]は関係史料の公刊の成果としても有用。 またセイロンについては[Bouchon 1971], [Flores 1998]、 グジャラートについて[Pearson 1976], [Mathew 1986], [真下 1995]など。 少し古いがスーラトのパールシーのブローカーに関する[Pissurlencar 1933]も面白い。 Pissurlencarにはマラータについての一連の研究もあるが、残念ながら本邦ではほとんど見られない(Pissurlencarの著作一覧は[Shastry & Navelkar 1989])。

 ポルトガル文献を自在に操り、ペルシア語・アラビア語史料にもとづく該博な知識を踏まえて前人未踏の境地を切り開いたのはJean Aubinである。この分野の代表作[Aubin 1971], [Aubin 1971a], [Aubin 1973], [Aubin 1987], [Aubin 1988]などは、今後の研究の出発点であると同時に、現地社会の研究に欧語史料を役立てる方法上、一つの模範でさえある。 イラン史の専門家たるAubinの視線が注がれていた先は、イランからペルシア湾岸を経てインド洋へと向かう人材の流動であり、 初期の[Aubin 1966]がIndo-Islamica Iと題されていたのは、そのことの反映に他ならない。Indo-Islamicaの第二作は現れず、連作を形成することはなかったが、[Aubin 1971b], [Aubin 1991]などは疑いなくこの関心に立脚するもの。 Aubinの研究は主としてインド洋西部に向けられたが、アユタヤのイラン人に関する[Aubin 1980]までも出すほどに広い視野を備えていた。とはいえ環インド洋地域の人的交流のメカニズムとイラン出身の人的資源の活動とはいかなる関係にあるのか、Aubinの抱いていたであろう壮大な構想を知るにはその死(1998)はあまりに早すぎたとさえ言える。

 さて史料解題としては、上記de SilvaやScholbergのものの他、[Schurhammer 1977]が充実しており、書名に示された時期よりもずっと広い年代をカバーしている。 他には[Pearson 1976], [de Souza 1979], [Mathew 1983]の文献解題が有用。 ミッション関係では古い基本文献である[Streit 1928][Sommervogel 1890-1932]があり、[Neill 1984]の文献解題も部分的には役に立つ。 刊行史料に特化した解題としては、[Shastry 1978], [Winius 1995]が便利。[de Matos 1972], [Farinha 1991]はいずれもペルシア関係史料の網羅的な解題だが、そこに挙げられた史料にはインドに関係するものも数多く、参考の価値有り。

 個別の史料についての解説は上記の書目に譲るが、重要な史料の新たな批判版が最近相次いで登場しているのでその動向には要注意。例えば[Lima Cruz 1993-4], [da Veiga e Souza 1996, 2000], [Lima Cruz 1999]. こうした傾向の推進力はいわゆるhistoriography研究の進展であると考えられ、その成果としては[Loureiro 1996], [Avelar 1997], [Loureiro 1998]など。なお本邦の『大航海時代叢書』に含まれる訳業も見過ごせない貢献である。また文書史料の公刊シリーズのほぼ全ては上述の文献からたどれるので、説明を割愛する。

 インド関係の古文書はポルトガル本国の他、インド、スペイン、イタリアなど世界各地に膨大な数が散在する。インド史研究は史料の不足を嘆くのが常であるが、この分野に限っては、悩みはむしろ史料が多すぎることである。

 ポルトガル関係の古文書を所蔵する研究機関全般については[Anderson 1973], [Harrison 1979], [Alvares Meneses 1982]を見よ。また既述の史料解題の中には、部分的に文書館に言及するものもある。

 ゴアの文書館については[Pissurlencar 1955]が基本文献。その他[Boxer 1952], [Gune 1981]も価値有り。[Gune 1973]も参照を要するが筆者未見。Historical Archives of Goa所蔵の「モンスーン文書」については簡単な邦文の紹介もある[高瀬 1970]。また在インドのポルトガル関係文書はゴアにのみ集積しているわけではない。インド各地に散在している文書コレクションのレビューは[Hambye 1982]であり、この種のコレクションの一つを目録化した最近の成果として[Stephen 1996]がある。

 ポルトガル、スペインなど南欧諸国の研究機関については[松田 1964], [榎 1974]があり、いずれも有用な手引きであるのみならず、読み物としても秀逸。在リスボンの各文書館については[Olival et al. 1998-1999]が詳しい記述。

 リスボンの文書館としては三箇所のみ特記する。まずO Instituto dos Arquivos Nacionais / Torre do Tombo (IANTT)。これの概略は[d'Azevedo & Baiaõ 1905]で得られる。個別のコレクションの記述ないし目録については、既述の諸書の関係部分を参照せよ。それらにない最近出版のものとしては、Núcleo Antigoについて[Farinha & Ramos 1996]があり、同館所蔵の「モンスーン文書」の解説目録[de Matos et al. 2000-2]( 「モンスーン文書」については[五野井 1976], [Silva Rego 1981]もある)及びJunta da Real Fazenda do Estado da Índiaコレクションについての[de Matos et al. 2000-2a]が刊行中。その他にも案内書があるようだが[Anonym 1998-2002]、筆者は未見。なお個別の文書やコレクションについて探索の目標がはっきりしている場合には同館のホームページも役に立つだろう(URL: http://www.iantt.pt/)。 Arquivo Historico Ultramarinoについては[Fitzler 1928]が基本文献だが筆者未見。コレクションの簡単な概略は同文書館のホームページで見られる(URL: http://www.iict.pt/ahu/index.html)。 Biblioteca da Ajudaのインド関係文書は[Cunha Leão 1998]に目録化されている。 なおリスボンにおける南アジア・西アジア諸語の文書の伝存は気になるところだが、知られる限りでは数少ない。上記Olivalのものの第二巻に簡単な記述がある。IANTTのアラブ語・ペルシア語・トルコ語文書については[Aubin 1973a]を見よ。またBiblioteca da Ajudaにはゴア関係のペルシア語文書があるらしい[Jafri 1988].

 イエズス会をはじめとするミッション関係の文書については、[Correia-Afonso 1969]がイエズス会士の通信文について論じており、付篇の文献情報は有用。[Shirodkar 1992]は在ゴアの関係文書に特化した手引き。在ローマの研究機関及び史料についてはまず[Wicki 1981]を見よ。また南インドに関しては[重松 1979]が簡単な手引きになる。フランシスコ会、アウグスティヌス会などの托鉢修道会の関係史料については説明を割愛するので、前者についてはAchilles Meersman、後者についてはCarlos AlonsoやArnulf Hartmannらの研究をまず参照せよ。

 Bibliothèque Nationale de Franceのポルトガル語写本のカタログは[Guerreiro et al. 2001]、 British Libraryについては[Figanière 1853], [Tovar 1932]. 同館所蔵の有名なMarsden写本(Add.9852-9861)についてはまず[Philipps et al. 1910], [Boxer 1949].

 またアジアにおけるポルトガル関係のオランダ語文書の解説目録[van Veen & Klijn 2001]も面白い。

 最後にポルトガル・インド関係の研究成果が載る学術誌をいくつか紹介する。前述のAubinが主宰した不定期刊行の雑誌はMare Luso-Indicum (4 vols., 1971-80). これを事実上継ぐのがMoyen Orient et Océan Indienである。これも不定期刊行で、筆者は第十巻(1998)までの刊行を知る。ほかにパリからはArquivos do Centro Cultural Portuguêsが継続中。英国からはPortuguese Studiesが継続中、ポルトガルからはStvdia: Revista Semestralの他、在ゴアのモンスーン文書など文書目録の刊行で知られるBoletim da Filmoteca Ultramarina Portuguesa、さらにMare Liberum: Revista de História dos MaresAnais de História de Além-Marなどがある。


真下裕之(ました ひろゆき) 京都大学人文科学研究所