04/01/06
 日本人のシンガポール体験
 
西原 大輔

 日本人とシンガポールとのかかわりについて、従来の研究の中心は、[1] からゆきさんの歴史、[2] 現地日本人社会の記録、[3] 大東亜戦争での日本軍占領史、そして[4] 建国独立後の経済発展、といった視点から展開されてきた。一方筆者は、シンガポールを訪れた様々な日本人が、どのようにシンガポールを見、いかにシンガポールを描いて来たのかという点に興味を持ち、各種の文献に散在している断片的な記録を収集し、分析を試みている。日本シンガポール協会から発行されている『シンガポール』(2001年より年4回刊行)に、2000年から「日本人のシンガポール体験」と題して、今日まで合計18回の連載を続け、現在も継続中である。ここでは、従来の日本におけるシンガポール研究をふりかえると同時に、私自身の研究について、いささかご紹介申し上げたい。

 シンガポールという国に関しては、残念ながらこれを専門に扱う学会は日本に存在していない。東南アジア史学会をはじめ、地域研究、歴史学、文学、国際関係学、政治学、経済学、教育学、比較文化学といった多様な分野に研究者が分散しており、専門分野を越えてシンガポールを研究する組織は、まだ成立していないと言えるだろう。さらに、シンガポール研究に関する文献も、分野によって多種多様であり、研究に必要とされる言語も、日本語、英語、中国語、マレー語など、幅広い。シンガポール研究者は、それぞれが個別に、共通の組織や基盤をもたない状態で、それぞれの興味関心に応じて仕事をしているというのが、実際のところである。

 もちろん、ある程度の基本文献を挙げることは可能だ。戦後日本の東南アジア研究の名著の一つに、矢野暢『「南進」の系譜』(中公新書、1975年)がある。さらに、『講座東南アジア学』(弘文堂、1991年)、『もっと知りたいシンガポール』(弘文堂、第2版、1994年)及び『東南アジアを知る事典』(平凡社、1986年)も利用価値が高い。後藤乾一『近代日本と東南アジア』(岩波書店、1995年)も忘れることはでいない。その他、各分野にそれぞれ優れた研究がある。ここでは日本語文献に限って、ごく一部の著作のいくつかを紹介しておきたいと思う。

 [1] 「からゆきさん」に関しては、山崎朋子の『サンダカン八番娼館』(筑摩書房、1972年)及び『サンダカンの墓』(文春文庫、1977年)が広く読まれている。一方地道な研究成果として、清水洋・平川均『からゆきさんと経済進出』(コモンズ、1998年)がある。近年の著作では、大場昇『からゆきさんおキクの生涯』(明石書店、2001年)が挙げられよう。[2] 「現地日本人社会の歴史」を扱ったものとしては、『戦前シンガポールの日本人社会』(シンガポール日本人会、1998年)があり、雑誌『南十字星』でも、シンガポール日本人会による歴史発掘の努力が継続的になされている。また、日本人学校の歴史が話題となることが多く、西岡香織『シンガポールの日本人社会史』(芙蓉書房出版、1997年)や日高博子『シンガポールの日本人学校』(講談社現代新書、1976年)などがある。

 [3] 「大東亜戦争での日本軍占領史」関係文献については、枚挙にいとまがない。岩畔豪雄『シンガポール総攻撃』(光人社NF文庫、2000年)を始めとする多数の戦記がある一方で、青木書店から出版されている櫻本富雄による一連の批判的著作『【大本営発表】シンガポールは陥落せり』(1986年)、『文化人たちの大東亜戦争』『大東亜戦争と日本映画』(1993年)が注目される。明石陽至編『日本占領下の英領マラヤ・シンガポール』(岩波書店、2001年)では、この分野の最新の研究がまとめられている。シンガポール市政会編著『昭南特別市』(日本シンガポール協会、1986年)も貴重である。

 そして、好著が次々と出版されているのは、[4] 「建国独立後の経済発展」に関するものだ。新書版では、田中恭子『シンガポールの奇跡』(中公新書、1984年)、村井雄『都市国家シンガポール』(三一書房、1990年)、田村慶子『「頭脳国家」シンガポール』(講談社現代新書、1993年)がある。各分野の研究成果としては、矢延洋泰『小さな国の大きな開発』(勁草書房、1983年)、岩崎育夫『シンガポールの華人系企業集団』(アジア経済研究所、1990年)といった多数の著作が存在する。

 実のことろ、日本人によるシンガポール研究は、戦後に始まったものではない。戦前にも、無数の本が出版された。大半は、その時代の日本人の南方認識を知るための一次資料にしかならないが、信夫清三郎『ラッフルズ伝』(平凡社東洋文庫、1968年)は、今なお読み継がれている名著だと言えよう。

 さてここで、私自身の研究を少々ご紹介させていただきたい。私が関心をもっているのは、日本人がシンガポールでどのような体験をし、いかに描き、語って来たかという問題である。従来の日本シンガポール関係史は、からゆきさん、現地日本人社会、日本軍占領史の3分野に成果が集中してきた。しかし、シンガポールに足を踏み入れた日本人は、売春婦や駐在員や軍人ばかりではない。実は、最も数が多いのは、日本人旅行者である。

 ヨーロッパ方面への主な交通手段を船に頼っていた時代、シンガポールは欧州航路の寄港地として書かせない存在だった。そのため、洋行途上のありとあらゆる人物が、シンガポールで下船し、市内外を観光している。福沢諭吉、森鴎外、夏目漱石、斎藤茂吉といった名前を挙げるだけで、その重要性が理解できるだろう。ここでは、日本シンガポール協会にエッセイの連載という形で発表し続けてきた題目一覧を掲げておく。詳しくは、これらの文章を一読されることをお薦めしたい。

1
夏目漱石のシンガポール観光
『シンガポール』2000年1号、18-19頁
2 永井荷風のシンガポールやつあたり 『シンガポール』2000年2号、16-17頁
3 高丘親王、シンガプラに死す 『シンガポール』2000年3号、16-17頁
4 斎藤茂吉、シンガポールを詠む 『シンガポール』2000年4号、22-23頁
5 福沢諭吉と漂流民音吉 『シンガポール』2000年5号、20-21頁
6 宮崎滔天、シンガポールの入獄 『シンガポール』2000年6号、22-23頁
7 弥次喜多、シンガポウル道中 『シンガポール』2001年1号、19-20頁
8 きけチャンギーのわだつみのこえ 『シンガポール』2001年2号、25-27頁
9 新嘉坡の護謨園の夢 『シンガポール』2001年3号、24-27頁
10 彫刻家朝倉文夫の南洋旅行 『シンガポール』2001年4号、34-36頁
11 小津安二郎監督の昭南島映画三昧 『シンガポール』2002年1号、23-25頁
12 吉行エイスケの小説「阿片工場」 『シンガポール』2002年2号、31-33頁
13 宮本三郎作《山下、パーシバル
両司令官会見図》
『シンガポール』2002年3号、33-36頁
14 井伏鱒二の呑気な従軍小説 『シンガポール』2002年4号、27-29頁
15 長谷川如是閑の特派員レポート 『シンガポール』2003年1号、37-40頁
16 エコール・ド・パリの画家藤田嗣治 『シンガポール』2003年2号、38-41頁
17 井伏鱒二、郁達夫を探す 『シンガポール』2003年3号、26-29頁
18 田中館秀三の昭南植物園 『シンガポール』2003年4号(予定)
19 森鴎外と成島柳北の漢詩 『シンガポール』2004年1号(予定)

 なお、シンガポールの図書館・資料室及び書店等に関する情報を集めた『シンガポール・レファレンスガイド』を、池田充裕(山梨県立女子短大)、板谷大世(広島市立大学)、西原大輔(駿河台大学)、福浦厚子(滋賀大学)の4名で共同制作し、1996年に初版、1999年に改訂版として、日本シンガポール協会から発行した。在庫等の問い合わせは、社団法人日本シンガポール協会、〒107-0052 東京都港区赤坂 4-5-6 栄屋ビル502号、電話03-6230-2373、電子メールsingaaso@singaaso.or.jp まで。日本シンガポール協会では、他にもシンガポールに関する様々な資料・刊行物等を扱っており、季刊『シンガポール』を発行、また、しばしば会員のために交流の機会を設けており、会員となるメリットも大きい。

(駿河台大学法学部助教授)