03/12/01
 中国現代文学史はいかに「書き換え」られたか
 
鈴木 将久

 中国現代文学史の「書き換え」が中国大陸の研究界で唱えられはじめたのは、一九八〇年代半ばのことであった。主な動きとして、北京で黄子平・陳平原・銭理群の三人が打ち出した「二十世紀中国文学」の概念、上海で王暁明が主導した「文学史の書き換え(重写文学史)」などがあげられる。彼らはいずれも、旧来のイデオロギー先行の研究に対して、より広い視野から研究の深化を目指した。

 その特徴を列挙してみよう。旧来の学科構成に見られた「近代(清末)」「現代(五四から建国まで)」「当代(建国以降)」の枠組みを突破し、二十世紀の文学を一貫性をもった現象としてとらえること。中国における「モダニティ」のありように着目し、とくに近代的「民族意識」の歴史的変化の過程をとらえようとしたこと。世界文学の中において中国近代文学を位置づけること。「文化」の角度から文学テクストを扱うことなどなど。 

 現在の視点から考えれば、彼らの主張には八〇年代中国知識界の空気が深く刻み込まれている。ただ同時に忘れてはならないのは、それが同時代の日本研究界にも大きな影響を与えたことである。日本の研究界も、いわば中国大陸の熱に感応するかのように、旧来の枠組みを問い直し、自らの研究を大きく開放していくことになった。ここではいくつかの側面にしぼって成果を回顧してみよう。

 第一に、個別作家の研究が深化したこと。とくに、イデオロギー先行の時代には忘れ去られていた、もしくは研究をさまたげられていた作家への再評価が飛躍的に進んだ。代表的な作家として周作人、沈従文、張愛玲などがあげられる。それぞれ多くの個別論文が発表されたほか、沈従文研究では専門の学術雑誌『湘西』が発行され、張愛玲研究では邵迎建『伝奇文学と流言人生』(お茶の水書房、2002年)が出版された。

 第二に、従来は文学の背景としてしか考えられなかった歴史・社会的視点を参照する研究が増えたこと。「文学」を文学者の活動だけに限定する考え方が問い直され、歴史・社会的視点の網の目の中において「文学」の位置づけが読み直された。その結果、教育制度、メディア編成、生活様態などと文学作品のあいだの一筋縄でない関係が探求され、より豊かな文学像が浮かび上がってきた。この方面の先駆的な研究としては、藤井省三『魯迅「故郷」の読書史』(創文社、1997年)がある。

 第三に、小説研究にかたよっていた研究スタイルが問い直され、諸ジャンルの研究が深化し、同時にジャンル間の相互関係が研究されるようになったこと。詩研究でめざましい成果があがったほか、演劇研究の分野では瀬戸宏『中国演劇の二十世紀』(東方書店、1999年)をはじめ多くの研究が登場した。中でも重要なのは通俗文学研究の成果であろう。中華圏での金庸ブームの影響などもあり、日本の研究界でも、従来軽視されてきた通俗文学の意味を読み直す研究が盛んになった。代表例としては金庸を迎えたシンポジウムの成果である『歴史と文学の境界』(勁草書房、2003年)がある。

 第四に、文学史の時代区分を問い直し、歴史的連続性を意識した研究が現れたこと。「二十世紀中国文学」という概念自体が時代区分の問い直しを含んでいたが、さらに進んで、古典文学研究と現代文学研究の交錯する問題領域を扱った研究が登場した。代表的なものとして木山英雄が雑誌『文学』に連載した「漢詩の国の漢詩 煉獄篇」をあげることができる。また古典研究者と現代研究者の共同研究の成果として『ああ哀しいかな』(汲古書院、2002年)もあげられる。

 以上のように、八〇年代以降日本の中国現代文学研究界では、従来の研究スタイルを問い直した新しい視点からの研究が相次いだ。その成果を現在もっともよくあらわしているのは、『中国二〇世紀文学を学ぶ人のために』(世界思想社、2003年)である。啓蒙書としての体裁の中に、現在までに日本の研究界が達成したさまざまな視点をコンパクトに織り込んでいる。この二〇年の成果の集大成を見ることが可能だと言えるだろう。

 ただし、最近、中国大陸の学術界では、「文学史の書き換え」という思考そのものへの問い直しが生じている。たとえば昿新年は、「書き換え(重写)」という表現にはらまれている、八〇年代中国特有の進歩史観や啓蒙主義的思潮を批判的にとらえなおし、現在のコンテクストに即した問題を提起すべだと主張した。

 ひるがえって日本の研究界の状況を見てみよう。たしかに八〇年代以降の研究の突破はめざましいものがあるが、現在の日本の思想課題という点から考えたとき、決して十分とは言い難いのも事実である。最後に、現在の日本における中国認識と関連させて、今後期待される研究領域を二点だけ提起させていただきたい。

 第一に、毛沢東時代の文芸の再評価。毛沢東時代のみならず、左翼文芸の歴史的蓄積をいかに扱うかという問いは、ポスト冷戦期の現在、極めて重要な思想課題である。とくに毛沢東時代が重要なのは、それが冷戦時代の記憶の再構成につながり、いわば毛沢東を鏡として、冷戦時代の日本の文化の問い直しを引き起こす可能性をもっているからである。この分野では『中国のプロパガンダ芸術』(岩波書店、2000年)という先駆的研究があるが、さらなる進展を望みたい。

 第二に、アジア論的視野の導入。近年、アジアを思考の枠組みに据え、さまざまな思想連鎖や衝突、交錯を問い直す研究が現れている。たとえば山室信一『思想課題としてのアジア』(岩波書店、2001年)、孫歌『アジアを語ることのジレンマ』(岩波書店、2002年)のような視点を文学研究に導入することで、より多層的で複雑な近代文学の姿を浮かび上がらせることが可能になると思われる。

 中国現代文学研究は、アクチュアリティを失うことなく、つねに時代と緊張感をはらんだ対話をつづけていくことが求められている。ある意味では、文学史は「書き換え」つづけられなければならないとすら言えるのではなかろうか。