03/10/14
日本におけるアジアの建築史研究
 
深見 奈緒子

 2003年の6月、「東アジアにおける伝統的建造物と歴史的都市」のワークショップが、信州大学で開かれた。韓国から来日した建築史研究者と日本でアジアを研究する建築史研究者が互いの研究交流を行った。韓国からきた研究者は、みな自国の建築史や都市史を専攻する人たちだった。日本からの参加者は、日本をフィールドとする人の他に、中国やヴェトナムなどアジア建築の歴史を研究する者もいた。私自身は、西アジア以東のイスラーム建築を研究している。

 いくつかびっくりした事があった。まず、韓国にはイスラームの建築史を専門に研究する人はいない。そればかりでなく、アジアの建築、中国や日本でさえ、建築の歴史から専門に研究している韓国人はいないという。とはいえ、韓国の建築史を専攻する彼ら六人のうち、少なくとも二人は、サウジなどイスラーム国に数年間滞在し、建設関係の仕事をしていた。兵役に換えて、海外での仕事を選んだとの話だった。また、韓国には結構韓国人のイスラーム教徒もいて、釜山ではイスラーム教人口が増えつつあり、モスクも建設されているそうだ。イスラーム圏へと出稼ぎにいったことがきっかけで、韓国人がイスラームに改宗するのだという。

 この会議で、韓国や中国では、自国の建築史と西欧の建築史の研究者はいるけれども、それ以外の地域を研究する建築史学者はほとんどいないということが話題になった。この要因は、建築史研究自体が、近代のヨーロッパから始まった学問であることが大きいと考えられる。すなわち西洋建築史の体系がまず整備された。その後、近代ヨーロッパは、アジアやアフリカへと食指を伸ばすために、その地域の建築の歴史を研究し、西洋建築史を中心に据えた世界建築史を構築した。その後、アジアでも国民国家のアイデンティティーを明確化するために、自国の建築の歴史を構築することが必須となった。

 こうした状況をそのまま反映しているのが中国や韓国の状況であると思われる。それでは、日本ではなぜアジアの建築史を研究するようになったのだろうか。伊東忠太がアジアに目を向けたのは、列強の進出に遅蒔きながら日本も加わろうとしていた頃である。彼自身はともかくとして、国家体制の中には、支配の道具としての文化史研究という側面があったことは否めない。その後、日本が高度成長を遂げた時点でも、日本は市場を求めてアジアを捉えていた。そうした中で、アジアへ赴き研究する人や、アジア諸国への文化財保護援助も増え、アジアの建築史研究が充実するに至ったのである。

 現代という時代において、アジアに対する建築史研究に何を求めたらよいのだろうか。私は、19世紀に構築された世界建築史を考え直してみるという課題を提案したい。欧米の研究者でアジアを対象に建築史研究をする人も多い。ただし、アジアから見た世界建築の提案はいまだ出されていない。各地の建築史研究が進みつつある現在、そして日本建築史や西洋建築史の研究に翳りが見える今日、世界的なスケールで建築の歴史を問い直すことは重要な視点になるのではないかと考えている。そして、アジア諸国へも、自国ばかりでなく、世界の建築に対して歴史を描かねばならないという点を今後喧伝していかねばならないと思う。世界の建築史は何もひとつではなく、いろいろな描き方があってよいはずである。

 もうひとつ、数日前のことであるが思わぬ出会いがあった。たまたま店先で拙著「イスラーム建築の見かた」を見つけ、連絡を下さった方がいた。海外の建造物の設計を手がけている建築家の彼は、20年ほど前にバグダードの空港を設計、今度はカブールの空港設計実施に赴くという。新しい技術や理想を持って、異国の地に立つ建築を設計するわけであるが、そのときに地域的特性をどこに込めるべきか、どんな伝統的技術が応用できるのかという相談を受けた。

 20世紀には建築がグローバルな存在となり、鉄筋コンクリートとガラスの流布とともに国際様式が世界を制覇した。そして、その反省から小手先の変化を狙ったポスト・モダニズムの建築が風靡された。そして現在、地球環境悪化や限られた資源の有効活用等によって再び地域の伝統を考えねばならない状況に置かれている。特に建物は風土と密接なかかわりをもっているので、その地を覆った建築文化を評価し再考することが必要となる。さらには、現在に残る歴史的ストックをどのように利用するかという保存再生の側面も考えていかねばならない。このように、我々の時代においては建築史の研究が、現代ひいては未来の建設活動に大きな影響力を持たねばいけない時なのである。ただし、何も新たな創作を否定し、歴史の逆行を推進するわけではなく、未来への展望を描く場合に蓄積された文化に立ち返る謙虚さを考え合わせねばならない状況なのである。

 こう考えたときに、いままで心の中で絡まっていた糸が解けた気がした。日本における建築史研究は欧米とは異なり、工学的技術の解明に重きをおく特徴がある。文書研究の遅れなど歴史研究との障害をもち、社会や人の不在、すなわち「もの」だけの研究に偏ってしまう傾向がある。美術史との関わりも比較的薄く、建築史研究者の学会誌「建築史学」を見ても、建築という傘をかざした特殊な集まりのようである。そうかといって建築学全体から見れば、あってもなくてもよいような、お飾りのような端に置かれた学問である。日本における建築史研究の否定的な面ばかり見て悩んでいたのである。現代そして未来の建築を考えるとき、日本で培われた建築史は、実学としての建築に容易く介入できるという長所となるのではないだろうか。

 最後に、建築史の研究者は、アジアの建築に携わる場合、対象とするフィールドとの関わりが、よく言えば柔軟、悪く言えば移り気に走る傾向がある。歴史研究者を見れば、地域時代を絞り込んでより専門的に見える。私自身、イスラーム建築という長い時代広い地域を設定していて、あっちにこっちに蝙蝠のような気がしないでもない。さらに、都市計画や住宅計画の研究者に関していえば、何もアジアのある地域を専門にするわけではなく、たまたまある研究の実験的なフィールドとして地域を選ぶに過ぎない。
それぞれの研究者が目標に向かってフィールドを選択しているわけであるが、歴史の解明という課題に関して一つの建造物からアジアそして世界までをフィールドにできうる建築史学の柔軟性も、ひとつの武器として考えてもよいのではないかと思う。

 建築史へのまなざし、実用性と学問の間、フィールドの設定について、気にかかる点をあげてみた。昨今、建築史研究という分野は、デザイン・ソースの供給源などと閉塞的、否定的に考えられがちであるが、現代的な状況を打破する有効な手段として考えることが必要である。日本におけるアジア建築の研究が梃子になって、建築史から見た新たなる世界観を提示できる日も間近いのではないだろうか。