04/11/16
 『大木幹一氏旧蔵ノート』とその底本
 
高遠拓児

1.『大木幹一氏旧蔵ノート』

 本資料『大木幹一氏旧蔵ノート』は、東京大学東洋文化研究所蔵大木文庫の寄贈者として著名な、大木幹一氏(1881-1958)の旧蔵に係る39冊のノートである。この39冊は、いずれもごく普通の、やや古びた大学ノートであり、A5版のものが32冊、B5版のものが7冊となっている。各ノートには、ペンによる手書きで中国の法制関連史料が写し取られているが、その内容は【表】『大木幹一氏旧蔵ノート』目録に示したように、13件に分類・整理することが可能である。そして、この13件のうち11件については、大木文庫中にその底本と思しき史料が確認され(2「ノートとその底本」参照)、本資料と同文庫の間に密接な関係があったことが窺われる。また、本資料の書写年月は、ノートの欄外に記された日付によると、昭和23年(1948)3月から26年(1951)9月にかけてであり、この時期、大木文庫はすでに東洋文化研究所の管理するところとなっていた[1]。従ってこの『大木幹一氏旧蔵ノート』は、昭和20年代の半ば、おそらくは研究所の施設内で、大木文庫等に含まれる史料の手控えの如きものとして書き残されたものと考えられる。
 
 なお、これらのノートは、筆跡の特徴が一致し、また、日付の記入法など書式にも統一性が見られることから、同一人の手によって記されたものと判断されるが、それが何者であったかを示す署名の類を資料上に確認することはできない。ただ、本資料中には「大木幹一氏宛会費・職員組合費引き落とし明細書」(ノート番号Ic)、「大木幹一氏宛葉書」(昭和24年11月2日消印。ノート番号L)といった大木幹一氏の私物が挟み込まれており、このノート群が大木氏の旧蔵に係るものであったことは、ほぼ間違いのないところと思われる。本資料に『大木幹一氏旧蔵ノート』との標題を付した所以である。




      


2.ノートとその底本

以下、『大木幹一氏旧蔵ノート』の内容紹介と併せて、このノート群に記された各種史料についての簡単な解説を行うこととしたい。なお、ここでは便宜的に、『大木幹一氏旧蔵ノート』の過半を占める清代の秋審・朝審関連のノート(ノート番号@〜H)と、それ以外の史料を対象としたノート(ノート番号I〜L)に大別して述べることとする。

[秋審・朝審関連のノート]
 清代の法典『大清律例』は、死刑をその執行の手続きから、判決後直ちに処刑する立決と、一時処刑を延期する監候の二種に大別していた。そして監候の罪囚に対する処刑や減刑の可否を定める場として機能したのが、秋審・朝審と呼ばれる制度であり、このうち秋審は各地方の監獄に拘禁される罪囚を、朝審は京師(北京)の監獄に拘禁される罪囚を、それぞれ対象とするものであった。この秋審・朝審の手続きは年間周期で進められたが、とくに中央段階での審議は、中央の司法機関である「刑部」→朝廷の高官を集めた会議体である「九卿会審」→「皇帝」の順に進められ、最終的には皇帝の裁断を経て結論が定められる仕組みとなっていた。

 ところで、東洋文化研究所の大木文庫には、この清代の秋審・朝審に関する数多くの史料が収蔵されており、そのことは『東京大学東洋文化研究所大木文庫分類目録』が、かかる史料を分類するために特に一項(政法第三類法類・四獄訟・其三秋審)を設けていることからも窺われるであろう。そして、この大木文庫収蔵の秋審・朝審関連史料の一つの特色は、刑部が作成した種々の文書群を含んでいることであり、『大木幹一氏旧蔵ノート』にもそうした文書群を書写したノートが複数含まれている。すなわち、ノート番号@EFの各冊は、いずれも刑部が九卿会審の参加官僚に対して配布した「招冊」と呼ばれる文書の写しである。また、ノート番号CDは「略節」、同じくGHは「不符冊」という、刑部が秋審・朝審の審議を進める過程で作成した文書の写しである(各ノートと史料の具体的な対応関係については、【表】の「大木文庫中の対応史料」の項を参照)[2]。

 上記の他、ノート番号ABに対応する史料も、大木文庫中に確認される。まず、ノート番号A「河南癸酉秋審斬絞案」の底本は『河南秋審斬絞案二巻』である。これは、同治12年(癸酉、1873)の河南省の秋審事案を編集した書物である。また、ノート番号B「秋審榜示・秋審出語」は、『陝西秋審榜示不分巻』と『秋審出語一巻』の2本の内容を書写したノートである。『陝西秋審榜示不分巻』は、道光4-6年(1824-26)の陝西省の秋審事案に関する史料であり、とくに九卿会審が執行妥当とした罪囚に対する皇帝の裁断の結果が記されている。『秋審出語一巻』は、本来ならば執行妥当とされるべきところ、皇帝の下した恩詔によって執行延期に改められた罪囚についての記録である。

[その他のノート]
 ノート番号I「古今濡削選章祥考抄」。底本は明・李国祥撰『古今濡削選章』。本書は朝廷の各官職について、まずその沿革を「祥考」としてまとめた上で、その官職に就いている人物に対して贈られる送辞や祝辞などの文例を列示するという体裁の書物となっている。そしてこのIでは、その標題の通り、各官職に対する祥考部分が摘録されるが、そこに記録されるのは原本の巻21以降の記事となっている。これは大木文庫の『古今濡削選章』が残缺本(巻20以前を缺く)であることによっているのであろう。

 ノート番号J「民商事習慣調査録目録鈔」は、1930年に中華民国の司法行政部が印行した『民商事習慣調査報告録』の目録部分の写しである。「民国北洋政府時期に行われた習慣調査の報告書の集成」[3]として知られる本書は、大木文庫には収録されないものの、比較的多くの図書館・研究機関が所蔵しており、東洋文化研究所の蔵書にも収められている。なお、ノート番号K「民商事習慣調査録目録索引」は、この目録の各事項を50音順に配列した索引である。

 ノート番号Lは、咸豊元年(1851)桐郷金氏校刊『疑獄集十巻附一巻』、光緒8年(1882)刊『折獄亀鑑八巻』、光緒4年(1878)蘭石斎刊『折獄亀鑑八巻補六巻』の序跋及び目録を書写し、目録部分にやや詳しい見出しを補記したものである。この『疑獄集』と『折獄亀鑑』は比較的よく知られた案例故事集であり[4]、多数の版本が伝わっているが、大木文庫には上記の桐郷金氏校刊本以下の3本が全て揃っている。

【表】『大木幹一氏旧蔵ノート』目録

ノート番号 標題 形態・冊数 書写年月 大木文庫中の対応史料
@a−d 朝審招冊 A5ノート4冊 昭和24年11-12月 『刑部重囚招冊不分巻』(法・獄訟・秋審・15)
Aa−b 河南癸酉秋審斬絞案 A5ノート2冊 昭和24年5-12月 『河南秋審斬絞案二巻』(法・獄訟・秋審・13)
B 秋審榜示 A5ノート1冊 昭和24年5月
昭和24年5月
『陝西秋審榜示不分巻』(法・獄訟・秋審・4)
『秋審出語一巻』(法・獄訟・秋審・5)
Ca−c 道光二十五年秋審略節
昭和24年5月 『江蘇司不符冊残一巻』(法・獄訟・秋審・22)
Da−b 光緒七年朝審略節 A5ノート2冊 昭和24年4-5月 『朝審略節残不分巻』(法・獄訟・秋審・14)
Ea−g 乾隆元年秋審招冊
乾隆伍拾年秋審招冊
A5ノート7冊 昭和24年7-8月
昭和24年8-11月
『刑部江南司重囚招冊残一巻』(法・獄訟・秋審・16)
『刑部直隷司重囚招冊不分巻』(法・獄訟・秋審・17)
Fa−f 光,九,秋審招冊 A5ノート6冊 昭和25年7-12月 『刑部各司重囚招冊不分巻』(法・獄訟・秋審・19)
Ga−c 各省留養不符冊 A5ノート3冊 昭和24年12月 『各省留養不符冊不分巻』(法・獄訟・秋審・26)
H 光,九,秋,不符冊 A5ノート1冊 昭和25年1月 『各省不符冊不分巻』(法・獄訟・秋審・25)
Ia−c 古今濡削選章祥考抄 A5ノート3冊 昭和26年5-6月 『古今濡削選章残二十巻』(総・文範・17)
Ja−c 民商事習慣調査録目録鈔 B5ノート3冊 昭和26年7-9月※ 大木文庫中には対応史料なし
Ka−c 民商事習慣調査録目録索引 B5ノート3冊 昭和23年3-5月 同上
L 疑獄集
折獄亀鑑
折獄亀鑑・折獄亀鑑補
B5ノート1冊 昭和23年9月
昭和23年9-11月
昭和23年11月-26年5月
『疑獄集十巻附一巻』(法・讞獄記・1及び2)
『折獄亀鑑八巻』(法・讞獄記・6)
『折獄亀鑑八巻補六巻』(法・讞獄記・7)
※ノートの冒頭には「(S.22.dec.22〜原抄)改抄26.7.4.-」と記される。

3.付記

 以上に紹介してきた『大木幹一氏旧蔵ノート』に対する調査及び整理のための作業は、平成15年度から16年度にかけて、東京大学東洋文化研究所班研究「中国法研究における固有法史研究、近代法研究の総合の試み」(班主任高見澤磨教授)と、文部科学省平成15・16年度科学研究費補助金(特定領域研究)「東アジア出版文化の研究」中の「清代法律書籍(とりわけ律注釈書)の出版政策」(研究代表者、京都大学大学院法学研究科寺田浩明教授)の合同作業として進められ、とくに赤城美恵子(東北大学法学部助手)、鈴木秀光(専修大学法学部講師)の両氏と筆者が、調査・整理の任に当たってきた。この紹介文は、上記の作業の成果を踏まえ、筆者がまとめたものであるが、本稿を成すにあたっては、上記の両氏をはじめ、多くの方々からご助力を賜った。記して感謝の意を表する次第である。
(日本学術振興会特別研究員)


[注]
[1]大木文庫は昭和17年(1942)夏に東洋文化研究所に寄贈された(仁井田陞「大木文庫と大木さん」[『東洋文化研究』創刊号、1944年]p.61)。
[2]「招冊」「略節」「不符冊」等の詳細については、拙稿「清代の刑部と秋審文書」(川越泰博編『明清史論集−中央大学川越研究室二十周年記念』国書刊行会、2004年)を参照。
[3]西英昭「『民商事習慣調査報告録』成立過程の再考察−基礎情報の整理と紹介」(『中国−社会と文化』第16号、2001年)p.274。
[4]『疑獄集』と『折獄亀鑑』については、島田正郎「疑獄集・折獄亀鑑・棠陰比事」(滋賀秀三編『中国法制史−基本資料の研究』東京大学出版会、1993年)を参照。


付記 本資料は現在整理中で、2005年度後半に東洋文化研究所図書室において利用可能となる予定である。(東洋文化研究所教授 高見澤磨)

          東洋学研究情報センター『明日の東洋学』No.12(2004.10)より転載。   
          『明日の東洋学』はPDF版でも公開しています。