04/03/24
 シャン仏教研究の意義―東南アジア上座仏教研究における新たな可能性
 
村上 忠良

はじめに

 東南アジア大陸部の上座仏教における仏教実践の人類学的研究は、1960年代以降タイ、ラオス、カンボジア、ビルマ(ミャンマー)などで進められてきた。当初は「タイ仏教」、「カンボジア仏教」、「ビルマ仏教」というように国民国家の枠を前提とした研究であったが、1980年代以降一国のなかの地域差に注目する詳細な研究が積み上げられてきており、タイの場合では「国家の宗教」として標準化された仏教とは異なった北タイ(ラーンナータイ)、東北タイ(イサーン)などの地域社会で実践される仏教についての詳細な研究が進められた。さらに1990年代以降は東南アジア大陸部の国境を越えて連続する地域性や、この地域の複雑な民族間関係に注目する研究が行われている。

シャン研究の動向

 さて、ここで紹介するシャンという民族は、主にビルマ(ミャンマー)のシャン州を中心に、中緬・泰緬国境地域に分布するタイ系の民族の一グループであり、人口は約300万人とされる。シャンは、ビルマ(ミャンマー)、中国、タイのどの国においても少数民族となっているが、ビルマ(ミャンマー)のビルマ系、タイ国北部のタイ・ユアン系(ラーンナータイ)、中国雲南省のタイ系の三つの民族の「はざま」に位置し、三者を仲介する役割を担ってきた。また東南アジア大陸部の内陸山地社会における山地−平地民関係は東南アジアの人類学的研究の一大テーマであるが、シャンは最も山地民との関係が深い平地民の一つであることから、山地−平地民関係を研究するにあたっても欠かすことのできない研究対象である。

 しかし、このように重要な位置を占めるシャンの社会や文化についての著作は、現在のシャン州が英領ビルマの辺境地域として統治されていた時期を除くと、その数は非常に少ない。また、現在シャン州は政治的に微妙な状況にあり外部の研究者による調査が制限されており、東南アジア上座仏教社会の人類学的研究におけるブラックボックスとなっている。

 人類学以外では、現在シャンについて言及する著作の多くは、ビルマ(ミャンマー)軍事政権と対立する泰緬国境地域のシャン武装勢力の動向や、泰緬国境地域の内戦状況から生じる難民問題、人権侵害問題、麻薬問題などを扱ったものであり、社会問題に焦点を当てているため、そのような「苦境」のなかで営まれるシャンの人々の生活や文化についての言及は非常に限られたものとなっている。

 但し、1980年代以降比較的状況が安定しているシャン州の周辺地域での研究が蓄積されてきている。例えば中国雲南省の西双版納や徳宏のタイ族やタイ国北部に居住するシャンについてはフィールドワークに基づいた人類学的研究の成果が数多く見られる。また、1990年代の終わりからミャンマー国内のシャンについての研究も少しずつ行われるようになってきた(日本語の著作で代表的なものとしては、新谷忠彦編『黄金の四角地帯―シャン文化圏の歴史・言語・民族』慶友社1998年)。

シャン仏教研究の意義

 現在ビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオス、カンボジアにおいては、国民国家を単位とした統一的なサンガ(僧の組織)がそれぞれ形成されている。このような国家と仏教の関係のモデルは、東南アジア大陸部に歴史的に存在してきた王権と仏教の関係にさかのぼることができる。王権はブッダの教えを正しく継承するサンガを庇護することで自らの支配の正統性を証明し、王の庇護の下で政治的・経済的安定を保証されたサンガは正しい仏教の教えを実践することができるというように、王権と仏教(ここではサンガ)は相互依存の関係にあり、その関係を維持するためには仏教界の統一性・清浄性の維持が必要であった。そして伝統的な王権から近代国民国家に変わった後も、東南アジア大陸部の各国は統一サンガを近代国家の中で制度化し維持してきたのである。

 このような国家単位の仏教のあり方を前提とすると、それぞれの地域社会で行われる仏教実践、あるいは国内の少数民族の仏教実践は、統一サンガ・国家仏教(中心)と地域的偏差(周縁)という、一つの国家のなかの中央と周縁の関係で論じられることになる。しかし、現在の東南アジア大陸部には近代的な国境が厳然と存在している一方で、国境を越えて広がる地域のネットワークも存在しており、こちらの方に注目するならば、国民国家の枠組みでは周縁的な存在として捉えられる仏教実践が、国境を越えたネットワークのなかから生まれてくるものとして性格付けられ、国民国家モデルからは見えてこない東南アジアの上座仏教の実践形態の特徴を把握することができる。

 このような観点から見ると、政治的中心を持たないため統一的なサンガを形成することなく、緩やかに共通点を共有しながらいくつかの国家にわたって形成されているシャン仏教は、国境や民族境界を越えて広がる東南アジアの上座仏教ネットワークを見る上で最も興味深い事例の一つといえる。

事例の紹介

 最後に、私が現在研究を進めている、シャン仏教の「厳格派」とされるチョーティ派について紹介する。もともとは17世紀に上ビルマで成立したとされるビルマ仏教の一宗派であったチョーティ派は、18世紀半ばにはビルマの王の弾圧によりビルマの仏教界から姿を消し、その後シャン州や雲南省徳宏地区に居住するシャンや山地民の間へと広まり、現在シャン仏教の主要な宗派の一つとなっている。

 このチョーティ派に注目することから見えてくるものは、まず、仏教を通したシャン−ビルマ関係、シャン−徳宏タイ族関係である。ビルマの地からシャン州を通り雲南省徳宏地区まで広がったこの宗派の足取りを辿ることで、18〜19世紀にかけてのこの地域における仏教受容の形態を明らかにすることができる。次に、チョーティ派はビルマからシャンへ、さらにはシャンから山地民へと民族境界を越えて広がっていった経緯があり、東南アジア大陸部内陸山地社会における民族と仏教の関係についても新たな知見を提供してくれる。

 これはまだ一例でしかないが、このようなシャン仏教に関する研究成果を中国雲南省、上ビルマ、北タイ、さらには北ラオスまで視野に入れた範囲で比較することで、東南アジア上座仏教圏の仏教実践についての研究が新たな段階に進んでいくと考えている。

(宮崎公立大学 講師)