03/11/18 | |
ガイダンス 東南アジア経済研究 | |
薮下(ワイラートサック)ネーナパー | |
1.東南アジアとは 「東南アジア」という呼び名の由来は、第二次世界大戦時に英米連合国が、地理的な特徴として、インドと中国の間に位置するこの地域をこう名づけたことによる。地域的にはアセアン諸国と東チモールに重なる。アセアン(ASEAN)とは、「東南アジア諸国連合 (Association of South East Asian Nations 」の略で、1967年にマレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、シンカポールの5カ国によって地域統合組織として設立され、その後、ブルネイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーが加わり、現在、東南アジア地域の全10カ国から構成される。政治面では、インドネジアのように独裁主義体制国として知られた国もあれば、ミャンマーのような軍事政権、ベトナム、ラオス、ガンボジアのような社会主義国もあれば、民主化が進む国(タイ)もある。 東南アジア諸国を地域経済協力の側面から見ると、一部の国はアジア太平洋経済協力会議 (Asia Pacific Economic Cooperation: APEC) や世界貿易機関 (World Trade Organization: WTO)の加盟国であり、さらに、地域内での経済協力構想として、ASEAN自由貿易地域 (ASEAN Free Trade Area: AFTA)などが合意されている。 さて、「東南アジア経済」というと、皆さんは何を思い浮かべるだろうか?東南アジア全体を捉えつつも、多様な人種及び使用言語の存在、各国の文化的なユニークさに興味を持つ人は多い。毎年、この地域の美しい自然(リゾート)や神秘的な文化(世界遺産)に惹かれて世界中から多くの観光客が訪れ、観光産業は経常収支においても大きな役割を果たしている。 東南アジア地域は「発展途上国」のイメージが依然として強く、農業部門に従事している労働者の数は多く、地方と都市との間の所得格差は大きい。一方、安価な労働力を提供して、日本企業の生産組立基地となっていることも良く知られている。1980年代後半から1990年代にかけて、外国の直接投資と地場企業の活力により、目覚しい経済発展を遂げたのである。東南アジア諸国における比較優位は、資源集約型産業ならびに労働集約型産業にある。この地域は、世界中からその豊富な資源を求められてきた。1990年代前半に金融自由化を実施し、次期に通貨経済危機に直面したのもこの地域の国々である。軍や政治家、指導者の間には汚職や不正蓄財が蔓延し、政府と企業との癒着も珍しいことではない。こうした独裁または政治汚職が、マクロ経済の運営に関わる経済官僚をどこまで巻き込んでいるかが、アジア通貨危機との関連で議論されている。 2.東南アジア経済の研究 「東南アジア経済」の研究は、東南アジア諸国の経済社会を対象とする研究分野であり、日本においては「地域研究 Area Study」として扱われる。60年代に入ってから地域研究はほぼ発展途上諸国の研究と同義となっていく。ここで日本における東南アジア経済に関する研究分野を整理し、開発経済学、国際経済学、そしてアジアビジネスという3つの分野を取り上げてみる。 開発経済学 経済学において東南アジア経済を位置づけるのは意外と難しい。まず、思い浮かぶ分野は「開発経済学」であろう。開発経済学とは開発を分析するための経済学であり、特に発展途上国の開発や問題に関する領域は非常に広い。「開発経済学」という言葉は 英語のDevelopment EconomicsまたはEconomics of Developmentからきている。時には「経済発展論」とも言う。 植民地支配から脱却したのち、東南アジア諸国の多くで5年ごとの経済運営に関する国家目標とその目的達成への道筋を示す経済計画を策定し、それに基づいて大規模なプロジェクトが実施された。例えば、タイにおいては1960年代には輸入代替工業化政策、1970年代には輸出指向型工業化政策を採り、1980年代の構造調整の時代を経て、急速な経済成長を遂げた。また、政府指導と民間企業の活力によるダイナミックな経済発展パターンは、独自の経済成長モデル(キャッチアップ型工業化、内生経済成長理論など)として多くの研究がなされている。 開発経済学の中で、東南アジア経済研究は大きく3つの分野に分けることができる。つまり、「農村開発や貧困問題」を扱う研究、「工業化論および経済発展論」、そして「政治経済論」である。 「農村開発や貧困問題」についての研究には、まず、ルイスの「二重経済モデル」に基づくものがある。このモデルは農村・農業部門と都市・工業部門の並存であり、相互の有機的な関連こそが発展途上国を経済発展に導く鍵になると捉える。また、この分野では都市化の急速な進展と密接な関係にある都市の「インフォーマルセクター」および「地域間格差」の課題も対象テーマとする。 「工業化論および経済発展論」には、国別の工業化のプロセスと産業別の実態を中心に分析する研究が多い。また、東南アジア諸国の経済成長メカニズムにおいては、外国資本が大きな役割を果たしたため、「多国籍企業支配論」、「海外直接投資(企業進出)」や「技術移転論」もこの分野で取り扱われる。 最後に、「政治経済論」である。独裁主義体制から民主主義体制への移行、つまり「政治の民主化」はその代表的なテーマである。さらに、政治指導者や軍部と地場企業(もしくは華人系資本家)との癒着・同盟に関連した研究として「レントシーキング (rent seeking)」の研究がある。 国際経済 そもそも、国際経済学 (International Economics) では国境を越えたヒト、モノ、カネの動きを追求するが、1980年代から1990年代半ばまで、東アジア地域は他の地域をはるかに上回る高い成長率を実現したため、「アジア経済論」という研究が、通常の途上国経済発展論から区別され、独立した。 東アジア(East Asia)として通常認識される国には、日本、続いて経済発展を遂げたNIEs(新興工業経済群:シンガポール、香港、台湾、韓国)があり、それを追う国々として東南アジア諸国が位置づけられる。 また、東南アジア諸国のうちで経済発展を実現しつつあるタイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンをASEAN4(アセアン・フォー)と呼ぶ。これらの国々は、1人当たりGDPは今だ5000ドル未満と低いものの、今後も引き続き高い成長が見込まれる国々である。 又、東南アジア諸国の中で、計画経済から市場経済へと移行しつつある国々もある。つまり、新しい加盟国のベトナム、ミャンマー、ラオス、及びカンボジアがそれである。これらの国々は外国(イギリスとフランス)の植民地支配、日本軍による占領を経たのち、第二次世界大戦後も長い苦難の歴史を歩んだ。発展段階はまだきわめて低く、ベトナムを除くと、今のところ東アジアのダイナミズムに強力に組み込まれる以前の段階にある。 なお、「国際経済」は大きく「国際貿易論」と「国際金融論」の分野に分けられる。「国際貿易論」は各国間の輸出超過や輸入障壁をめぐる問題を議論するが、その中で代表的な研究は「比較優位論」である。 そして、国際的な資本移動の状況や為替相場制度は各国の金融政策に重要な影響を与える。1997年にタイから始まったアジア通貨・経済危機の進行や、危機後に各国政府がとった通貨制度及び金融システムの実態を検討するのが「国際金融論」の領域である。 アジアビジネス 東南アジア諸国の経済発展を実際に担ったのは「企業」であるので、その「企業」に焦点を当てて研究する分野がある。その中で代表的なのは「進出日系企業と日本的経営の移転」についての研究と、「東南アジアの地場企業」についての研究である。 1985年のプラザ合意後の急速な円高によって、日本から東南アジア諸国に輸出産業の工場移転が増加した。その後も、日本の大企業、中小企業とも企業内国際分業を推進しつつあり、「日本型経営」方法をなんらかの形で持ち込んでいった。こうした状況の中で、日系企業のビジネス環境変化や企業経営能力に関する研究が盛んとなった。 一方、1980年代に急速に台頭してきたのが、「アジア企業研究」である。東アジア諸国が高い成長を遂げた背景には、地場企業(殆どは華人系企業)がその担い手となったことがあると、彼らは主張する。この分野の研究は家族企業、つまり「ファミリービジネス」と創業者一族に焦点を当てた研究が主である。しかし、実態としては、経済発展と共にいわゆるミドルクラスである「ホワイトカラー」及び「専門経営者」が増加しつつある。にもかかわらず、東南アジアの地場企業の専門経営者を取り扱う研究は非常に少ない。 その中で唯一の研究として私はタイのホワイトカラー及び専門経営者を対象に彼らの「キャリア形成」についての実証研究を行った。タイの経営管理職者の転職は頻繁であり、引き抜きが行われるのが通常であるという通説があるが、調査の結果として日本の大企業と同様にタイの大企業においても生え抜き経営者もかなり存在し、内部昇進や企業内労働市場が重視されていることが明らかになった。 3.東南アジア経済に関する研究機関と資料収集 研究機関 日本における東南アジア研究の代表的な機関は、「アジア経済研究所」である。1998年7月、日本貿易振興会(ジェトロ)と統合した。アジア経済研究所が出版する『アジア経済』、『アジ研ワールド・トレンド』『アジア動向年報』『The Developing Economies』、日本貿易振興会が出版する年刊『ジェトロ貿易白書』、年刊『ジェトロ投資白書』、『ビジネスガイド』はアジア経済研究所図書館(千葉・幕張)及びジェトロ・ビジネスライブリー(虎ノ門)で入手できる。 次に、大学における東南アジア関連研究機関として、東京大学東洋文化研究所の他、京都大学東南アジア研究センター、東京大学社会科学研究所、九州大学アジア総合研究センター、早稲田大学アジア太平洋研究センターなどがある。これらの機関は出版活動のほか、国際シンポジウムや講演会・セミナーも主催しているので、参加する機会を作るのも良い。 英文学術雑誌としては、京都大学東南アジア研究センターが発行する『東南アジア研究』がある。また、東南アジア史学会の『東南アジア史』や、アジア政経学会の学会誌である『アジア研究』にも、東南アジア経済関連論文が時々掲載される。 民間研究所については日本総研などがある。日本総研が発行する『環太平洋ビジネス情報RIM』と『アジア・マンスリー』の定期刊行物を参照することも良い。 統計資料 上記の研究機関が発行する資料の他に、東南アジア諸国を含む最近のアジア経済事情や基礎統計については、世界銀行の年報『世界開発報告 (World Development Report)』、アジア開発銀行『Key Indicators』、アジア経済研究所『アジア・中東動向年報』(1971年から)、経済企画庁調査局『アジア経済』(1995年から)などが手頃である。 主題別、セクター別にさらに国際比較研究を進めたい人には、国際機関がそれぞれ出している年鑑、年報、季報、月報が参考になる。例えば、為替や国際資本取引、対外債務の動向を知るためには、国際通貨基金(IMF)の 『国際金融統計 (International Financial Statement Statistics)』がある。労働統計としては国際労働機構(ILO)の『労働統計書 (Yearbook of Labor Statistics)』、国連開発計画 (UNDP) の年報『人間開発報告 (Human Development Report)』(1990年から) などが基本文献となる。 現地調査 国内の資料収集の後、もっと掘り下げた分析をしようとすると、実際に調査対象国を訪問し、現地調査やインタービューを行う方法がある。私がホワイトカラー及び経営者のキャリア形成について調査した時は、対象企業の「人事プロファイル」を入手することが絶対条件であった。だが、そのようなデータは簡単に提供してくれるものではないので、各企業を数回に亘り訪問し、会話を重ねてやっと入手できたものである。現地調査とは研究者としての研究理念や信頼性が問われる作業だと強く実感した。 もう一つの方法は証券取引所の有価証券報告書を入手することである。タイの場合は(執行委員会を含む)取締役会全員のプロファイルを公表することを2000年から上場企業に対して義務付けており、それを入手することも一つの方法である。東南アジア経済研究において最新動向や現状の実態をより細かく理解する為には、現地調査を重ねることは欠かせないだろう。 4.今後の東南アジア経済研究 東南アジア経済研究は、従来「地域研究」として位置づけられていたが、近年、この地域の国々の急速な経済発展や目覚しい政治経済の展開は一般の経済学者の注目も集めており、1997年からのアジア通貨危機も世界経済全体に大きな影響を与えるものとして重要視された。東南アジア経済は様々なアプローチから分析されているため、どのディシプリンに分けるかが難しくなってきている。言い換えると、東南アジア諸国の開発は、今や経済学者の一般の興味を惹くテーマとなっている。 東南アジア諸国は冷戦時代後、経済のグローバル化と自由化の時代に入り、その中でどうすれば経済発展を実現することができるのか、また、国際舞台で如何に競争優位を強化するのか、という基本的な課題を改めてつきつけられていると言えよう。 |
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東洋学研究情報センター『明日の東洋学』No.10(2003.10)より転載。 |
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