04/10/04
 インド・グジャラート地方の近代史研究
 
    ――1990年代以降の研究動向を中心に――
 
井坂 理穂

  インド史研究の大規模な学会では、「法とジェンダー」「インド・パキスタン分離独立」などのテーマ別の分科会と並び、「ベンガル研究」「タミル研究」など、地域別の分科会が設けられることが少なくない。あるいは「国際マハーラーシュトラ会議」のように地域別の国際学会が開かれる場合もある。これらの地域区分は、多くの場合、言語集団の分布に大まかに対応しているため、「ベンガル研究」の分科会では発表や質疑応答の中でベンガル語の単語が飛びかい、「国際マハーラーシュトラ会議」ではマラーティー語の単語が飛びかうといった状況になる。

 独立後のインドが言語分布に基づく州再編をしたことから(いわゆる「言語州」)、これらの地域区分はしばしば現在の州区分と重なっている。もちろん、逆にベンガルやパンジャーブのように、この地域区分が現在の国境をまたいでいる場合もないわけではないが、いずれにせよインド史の研究交流や議論においては、時代や個別テーマとならんで、地域という観点が重視されてきたことは明らかである。そうした中で、各地域間の研究蓄積の比較などもしばしば行われ、「こうした研究はベンガルに関しては数多く発表されている」「アッサムについてはこれまで十分な研究がなされてこなかった」などのコメントが、研究書や論文の中でも散見される。

 筆者は植民地期のグジャラート(地域の主要言語はグジャラーティー語)を研究対象としている。インド西部に位置するグジャラートは、大まかな地理概念としては古くから存在していたのだが、現在の「グジャラート州」自体は、1960年にそれまでのボンベイ州が南北に分割されることによって誕生した。この地域は、活発な商工業活動や貿易で一般に知られていることから、従来のグジャラート近現代史研究では経済史、経済活動に対する関心が高かった。また、独立運動の父と呼ばれるガンディーの出身地であるために、ガンディー研究も常にさかんである。しかし、それ以外のテーマについては、対象地域をグジャラートとした研究でインド近現代史研究の代表的文献とみなされたものは少なかった。

 この状況が変化したのは主に1990年代以降である。この頃から、グジャラートにおけるヒンドゥー・ナショナリズムの台頭や、その過程で現われたコミュニティ間の対立、暴力事件などが背景となって、研究者の間でグジャラートへの関心が次第に高まり、さらに今世紀に入ってからは、グジャラート大地震や大規模なコミュナル暴動が国際的に報道されたこともあって、グジャラートはさらに大きな注目を浴びるようになった。このことは、Economic and Political WeeklySeminar などのインドの代表的な雑誌においてグジャラート特集がたびたび組まれていることや、後述するようにグジャラート研究のための学会や研究者ネットワークがこの時期に次々と成立したことからも窺える。

 以下では、こうした状況を踏まえて、90年代以降のグジャラート研究のうち、特に植民地期を中心とした近代史研究を取り上げて、そこに見られるいくつかの動向を紹介する。「グジャラート」という地域単位で研究動向を追うことの意味を問う向きもあると思われるが、ここでは、上記のように学会や研究交流の場で「グジャラート」という枠組みが機能していることを受けて、この枠組みが現在どのように機能し、どのような方向に向かいつつあるのかを考えたい。なお、ここでは筆者の関心領域や紙面との関係から、グジャラート近代史研究全体の動向を網羅的に紹介することはできない点を、あらかじめお断りしたい。

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 まず、1990年代以降のグジャラート近代史研究では、特に社会史の分野で、インド近代史全体の議論に影響を与えるような研究が複数発表された。一例を挙げれば、Douglas Haynes, Rhetoric and Ritual in Colonial India: The Shaping of a Public Culture in Surat City, 1852-1928 (Delhi: Oxford University Press, 1992) は、植民地の都市エリート層の「公共」の場での文化や言説を分析し、公共性の概念や文化的ヘゲモニーの議論に一石を投じた。

 また、サバルタン研究グループの代表的な研究者であるDavid Hardimanは、すでに80年代に農民カーストであるパーティーダールに焦点を当てた研究、Peasant Nationalists of Gujarat: Kheda District 1917-1934 (Delhi: Oxford University Press, 1981) を発表していたが、90年代には関心の対象をアーディヴァーシー(トライブ、部族)、及びバニヤー(商人コミュニティ)に広げ、The Coming of the Devi: Adivasi Assertion in Western India (Delhi, Oxford University Press, 1995) や、Feeding the Baniya: Peasants and Usurers in Western India (Delhi: Oxford University Press, 1996) などの研究を発表している。アーディヴァーシーに関しては他にも、彼らの口承伝統と支配者側の言説との関係に注目したAjay Skaria, Hybrid Histories: Forests, Frontiers and Wildness in Western India (Delhi, Oxford University Press, 1999) があり、ここではサバルタン研究をめぐる新たな方法論が模索されている。

 一方、エリート研究についても、従来の政治史を中心とした記述とは対照的に、植民地期のエリートの言説を分析した研究が続々と現れている。こうしたエリートの言説研究は、80年代後半以降、ベンガルをはじめインドの他地域においても流行しており、そこでは現地語出版物をもとに、心性・意識・アイデンティティなどの諸問題が活発に論じられた。この潮流に沿う形で、グジャラートについても、Sudhir Chandra, The Oppressive Present: Literature and Social Consciousness in Colonial India (Delhi: Oxford University Press, 1992) などの研究が、グジャラート知識人の社会意識や観念を分析している。

 以上に紹介した研究例からも窺えるように、90年代以降の研究では、研究対象として扱う集団が多様化している。他にも、下位カーストや女性に焦点をあてた研究、ゾロアスター教徒(パールシー)やムスリムの商業コミュニティなど特定の宗教コミュニティを取り上げた研究、あるいは海外のグジャラーティー移民に関する研究などが徐々に進みつつある。日本人研究者の間でも、やや時代は異なるが、篠田隆『インドの清掃人カースト研究』(春秋社、1995年)、Takashi Shinoda (ed.), The Other Gujarat (Mumbai: Popular Prakashan, 2002) のように、関心対象となる集団は明らかに多様化している。

 さらに、近年のグジャラート近代史研究では、グジャラート内部の地域的差異が強調され、これまで研究蓄積が比較的少なかった地域へも積極的に関心が寄せられている。たとえばサウラーシュトラやカッチについては、まとまった研究書はほとんど存在しないのだが、近年になってHarald Tambs-Lyche, Power, Profit and Poetry: Traditional Society in Kathiawar, Western India (New Delhi: Manohar, 1997) などの成果が徐々に現われている。

 サウラーシュトラやカッチも含め、植民地期に藩王国領であった地域については、直接統治下であった英領インドに比べて、研究蓄積が少なく資料面においても未知の部分が大きい。こうした中で、昨年出版された Manu Bhagavan, Sovereign Spheres: Princes, Education and Empire in Colonial India (New Delhi: Oxford University Press, 2003) は、南インドのマイソール藩王国の例とともに、バローダ藩王国の例を取り上げ、藩王国における「近代性」という新たな視点からの分析を試みている。

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 また、これは近代史の分野に限定した話ではないが、90年代以降の重要な変化として、研究の対象地域をグジャラートとする研究者たちの国際的なネットワーク、情報交換や議論の場が整いつつある点も注目される。たとえば90年代後半に合衆国の研究者が中心となって組織されたグジャラート研究グループは、毎年AAS(The Association for Asian Studies) の年次大会の合間に会合を開き、研究者間の交流の場を提供している。

 また、2003年6月にパリで開かれたグジャラートに関する国際会議(テーマは’Instances of Patronage: Arts, Literature and Religion in Gujarat’)を契機に、その参加者が中心となった新たなグジャラート研究グループが発足し、同年8月からはメーリングリストを通じた情報交換のネットワークを開始している。このリストは、学術上の交流のみならず、グジャラートの政治情勢に関する報告を広めたり、署名運動や支援活動を組織する際の手段としても用いられている。2004年5月には、同グループによってグジャラートについての2回目の国際会議(テーマは’Engagements with Tradition in the Gujarati World’)がロンドンで組織され、文化人類学、歴史学、考古学、文学、政治学その他の分野からの15名の研究者による報告がなされた。こうした動きは、「グジャラート」という共通の枠組みの中で、異なる分野や視点からの分析や議論を対照させようという試みであり、今後も継続するものと思われる。

 ただし、こうした研究者ネットワークの発達にも関わらず、グジャラート内で行われている研究と、グジャラートの外、特に欧米で行われている研究との交流は、いまだに不十分であるとの印象を受ける。

 たとえば、前述のグジャラート研究グループの国際会議においても、予算の関係もあるだろうが、発表者の大半は欧米を研究拠点としており、現在グジャラート内の教育・研究機関に所属している研究者は一人もいなかった。欧米に拠点をおく研究者とグジャラートの研究者との間では、問題設定、議論の組み立て方、概念の用い方などが異なることも多く、その結果、両者の交流はしばしば単なる情報の交換に留まっているように思われる。

 また、グジャラート内の歴史研究の成果は、特にグジャラーティー語で発表されたものについては、海外の学会や出版物の中になかなか反映されない状況にある。逆に現地の研究者の方でも、海外の研究動向に接する機会が現時点では大きく限られている。スーラト市にある社会研究センターなど一部の例外はあるが、グジャラート内の教育機関や図書館では、Journal of Asian Studies Modern Asian Studies などの海外のアジア研究の代表的な学術雑誌さえ揃っていないことも多い。インターネットの普及によって状況は改善しつつあるものの、今後、グジャラート内外の研究が、さらに意識的に相互交流を深めていくことが望まれる。

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 最後に、上記のような90年代以降のグジャラート近代史研究の中で改めて浮き彫りになった課題をいくつか指摘したい。まず、研究対象の広がりという点についてだが、時代という観点から見ると、この間の研究の大部分は19世紀後半以降を扱っており、インドの他地域でしばしば論じられているような植民地化初期の状況や、植民地期前と植民地期との間の「連続性」に関しては、いまだに十分な検討がなされていない。こうした研究を進めるためには、英語やグジャラーティー語と合わせて、サンスクリット語やペルシア語その他の言語の知識が必要となる場合が多く、資料の収集自体にも困難が伴うため、研究者が入りにくい分野であると思われる。この問題に対処するためにも、植民地期前を扱っている研究者と植民地期を扱っている研究者との間の活発な交流や共同作業が望まれる。

 また、通時的な観点と合わせて、植民地期のインド他地域との関係や比較などの横断的な観点からも分析を進める必要がある。このためには、今度は他地域についての研究との交流を深めなければならないが、そこでは研究者自身の成果と合わせて、たとえばグジャラート近代の代表的文献をグジャラート外部に積極的に紹介することが有効ではないだろうか。

 文学作品については、グジャラート文学アカデミーやグジャラート文学協会などが中心となって再版作業が進められているが、著名な作品でありながら、いまだにグジャラート以外では入手が難しく、再版のめどがたっていないものも多い。まして翻訳となると、グジャラートはベンガル、マハーラーシュトラに比べてははるかに遅れている。たとえば近代グジャラート文学の名作、G・M・トリパーティー(Govardhanram Madhavram Tripathi, 1855-1907)の『サラスワティーチャンドラ(Saraswatichandra)』 (のちにグジャラーティー語でテレビドラマ化され、ヒンディー語で映画化された有名な作品)ですら英訳されておらず、20世紀のグジャラートを代表する文学者であり、政治家としても活躍したK・M・ムンシー(K.M. Munshi, 1887-1971)のグジャラーティー語小説についても、翻訳は一部に留まっている状態である。

 さらに、これまでグジャラートの外では知られることのなかったような自伝、伝記、日記、書簡集、評論、研究書についても、英語で紹介されることにより、他地域を扱う研究者との間で議論を深める手がかりとなる場合もあるだろう。ベンガルやマハーラーシュトラなどの他地域については、たとえば植民地期のインド人女性による現地語の著作が次々に翻訳されており、Tanika Sarkar, Words to Win: The Making of Amar Jiban: A Modern Autobiography (New Delhi: Kali for Women, 1999)や 、Rosalind O’Hanlon, A Comparison Between Women and Men: Tarabai Shinde and the Critique of Gender Relations in Colonial India (Madras: Oxford University Press, 1994) などは、研究者自身による翻訳と詳細な解説によって、女性史研究の議論に大きな影響を与えた。これらと類似した試みは、グジャラートでも若手研究者を中心に徐々に進められているようだが、今後の進展を期待したい。