04/07/02 | ||||||
文理融合型研究プロジェクトと文化人類学者--中国乾燥域オアシス地域研究を例に | ||||||
尾崎 孝宏 |
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はじめに 個人的な感想で恐縮だが、近年、博士課程の大学院生を含む若手の文化人類学研究者の間でも、いわゆるプロジェクト研究に参加して調査を行う機会が増えてきたように思う。特にその中で、おそらくは学問を取り巻くさまざまな社会的要請の結果であると思われるが、大型プロジェクトでは従来的な意味での単なる「多分野」(文化人類学関連ならば大抵の場合、歴史学や地域研究などの隣接諸分野から構成されてきた)ではない、より異質な自然科学系の学問分野を含むいわゆる「文理融合型研究プロジェクト」がさまざまな機会に模索され、また実際に実行されつつある。 もちろん、共同研究の常として、何らかの予算を取るために多分野の人間を集めたプロジェクトの体裁をとり、実際にはそれぞれ既存の学問分野内で没交渉的に研究を進めていくような「集合型研究」としか呼び得ないものも少なからず存在するだろう事は想像に難くない。 しかし、単なる従来のディシプリン内部での言説の集積にとどまらない、ある程度お互いの活動内容を理解した上でより高次な学問的言説の形成を目指す「融合型研究」に文化人類学者が「参加してしまった」場合、文化人類学者の研究活動の特性ゆえにぶつかってしまう困難がいくつか存在する。もちろん、そうした困難のあり方は実際に参加するプロジェクトの内容によって多かれ少なかれ偏差があり、単純な一般化は困難であろうと思われるが、小論では、一例として筆者が実際に参加している総合地球環境学研究所の1プロジェクトと、そこで見出すに至った困難の例、およびそれを乗り越えるための筆者なりの見通しについて紹介していきたい。 オアシスプロジェクト さて、ここで取り上げる文理融合型プロジェクトの一例は、総合地球環境学研究所で実施されている「水資源変動負荷に対するオアシス地域の適応力評価とその歴史的変遷(プロジェクトリーダー中尾正義総合地球学研究所教授、通称オアシスプロジェクト)」である。FS(予備研究)を含まない本調査期間は2002-2006年度までの5年間で、プロジェクトリーダーの下にコアメンバー11名が配置され、2004年度の実質参加者は約50名という大規模プロジェクトであり、参加者の専門も地球環境学、水文学、気候学、灌漑工学、地理学、東洋史、文化人類学など極めて多種多様な分野に及ぶ。 このプロジェクトは、中国乾燥域(青海省、甘粛省、内モンゴル自治区)に位置する黒河流域を対象として水資源と水需要にかかわる素過程の観測・解析を行い、出土した歴史文書一次資料や各種プロクシーの解析データを組み合わせて過去2000年間にわたる人間と自然系との相互作用の歴史を復元し、相互作用にかかわる人間文化の変遷を明らかにし地球環境問題の本質に迫ることを目的としている。そして、具体的な調査研究活動としては、歴史文書やプロクシー(雪氷コアや年輪、湖底堆積物、風成土堆積物などの代替記録媒体)を解読して相互作用の歴史を復元する研究と、歴史データを解釈するために素過程を解明する研究とに大別される。 そのうち文化人類学者には後者の素過程解明への貢献が期待されている。すなわち、地球規模変動にともなう気温や降水量の変動や氷河変動などによる水の供給量の変動がどのように起きているのか、供給された水の河川や地下水による流出の過程、また灌漑農業や遊牧産業に水がどのように使われているのか、またそのことによる蒸発散量の評価など水の循環過程を、現地観測や聞き取り調査などにより明らかにする研究の一環として位置づけられているのである。さらに現状では、環境や生業形態の違いから、文化人類学者のグループ内部で「上流(山岳牧畜)」「中流(農業)」「下流(平原牧畜)」の地域的分業が行われ、例えば筆者は上流地域を担当している。 問題点の整理 換言すると、ここで文化人類学者に要請されているのは、第一義的にはフィールドワーカーとしての能力を活かした現地住民の生業と水利用に関する近過去および現状の実態把握である。なお研究にあたっては、いかにも「文化人類学らしい」アプローチである「現地の人々の自然に対する認知」もデータとしての重要性を有している点などはすでに共通了解として他分野のプロジェクト参加者にも認知されているが、それを差し置いても、こうした場で文化人類学者が「文理融合」的な結論到達までを視野に入れつつ共同研究を行おうとすると、以下のような「壁」を実感せずにはいられない。
問題克服の見通し まず、上述1.で取り上げた手法の問題であるが、これを解決するために「物量作戦」つまり大量の文化人類学者を投入し、一人一人は従来的なフィールドの方法論でカバーしうるエリアとサンプル数で調査を進めつつ、その総和として広域の面的エリアを考察の範囲内に収めて行くやり方は、理屈としては不可能なオプションではないが、限られた財源で行う研究プロジェクトのコストパフォーマンスや3.で取り上げた「コマ不足」という要因を考慮すれば実現性が低い。 となると、むしろこの点に関しては、大量の調査票と統計的処理を用いる量的調査とは異なる、文化人類学の得意とする質的調査方法のメリットを前面に立ててそれを基本的なスタンスとしつつ、なおかつ量的調査を完全に否定することなく広域の面的エリアの中に個別事例をプロットしていく戦略がもっとも現実的な解決方法であろう。むろん、文化人類学業界内の「当たり前」は決してそのままで他分野にも通用するわけではないから、それなりに丁寧に説明(ないしは説得)する必要があると思われる。 次に、2.に関わる「語り」の問題である。これは文化人類学の閉じた言説体系の中に他分野、特に自然科学系の研究者を完全に引き込むことはおそらく不可能であるが故に、文化人類学側からの飛躍ないしは発想の転換が必要になると思われる。筆者が具体的に想定しているのは、文化人類学者の語りの中に何らかの定量的把握(あるいは定量的データ)を導入することである。無論、ここで言う定量的把握とは、上で言及したサンプル数の多さに依拠した統計的把握なども含まれるが、より重要な点としては、質的調査においても定量的表現を模索することであると考えている。これにより、定量的表現と数学的モデルを多用する自然科学分野の研究者(少なくとも、現在同一プロジェクト内で最も近い関係にある水文学関係者)にも文化人類学者の研究成果が比較的利用しやすくなり、また逆にこうした作業を通じて、文化人類学者が他分野の研究成果を利用する際の「眼力」を養う効用もあるのではないかと個人的には期待している。 おわりに やや具体性に欠く方向性の提示に終始して恐縮ではあるが、筆者の基本的スタンスは、何かを明らかにする、あるいは解釈する際に自然科学的方法が万能ではないのと同様、文化人類学的方法も万能ではない、という認識から出発している。もし文理融合型プロジェクトがそれを認識した上で、ある現象に対するより妥当な理解ないし解釈を目指すものであるとするならば、仮に折衷主義という批判を受けようとも、自らの属する学問分野が持つと思われる他分野との「つながらなさ」を別の角度から補強して全体としての高い整合性を追及することがプロジェクト形式の研究に参加する研究者に対して求められることであり、またそうすることがプロジェクト研究が個人研究では達成不可能な成果を挙げうる前提条件であると思うのだが、いかがだろう。 (鹿児島大学 助教授) |
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