04/11/16
  安田弘先生捐贈正平本『論語』等十一種  
 
橋本秀美

  最近、東洋文化研究所は、安田弘先生より正平本『論語』を中心とする貴重漢籍十一種の寄贈を受けた。以下にその内容を簡単に紹介し、更にその意義について私見を述べる。

一、正平本『論語』単跋早印本。
 川瀬一馬『日本書志学之研究』1664ページに記載されるもの。
 単跋早印にして保存良好であること、伝存正平版諸本の中でもこれに並ぶものは稀である。「米沢蔵書」の朱印が有り、直江兼続旧蔵のものと知られる。名家の旧蔵書という点でも、この本の価値は高い。第一册末には光緒丁亥張滋ムの識語が有るが、この人物は東大の初代の中国語教師であったという。

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二、正平本『論語』単跋後印本。
 川瀬一馬『日本書志学之研究』1669ページに記載されるもの。
 各册の末に「散位加茂県主清令」の朱署が有るが、この人物は不詳。「賜芦文庫」の印が有り、新見伊賀守正路の旧蔵書で、『賜芦書院蔵書目録』に著録されている。

                           

三、正平本『論語』 双跋本。(卷九卷十は無跋本を配補。)
 川瀬一馬『日本書志学之研究』1630ページ・1688ページに記載されるもの。「勝鹿文庫」の印が有る。

                          

四、明応本『論語』
 川瀬一馬『日本書誌学之研究』1689ページ以下に記載されている。
 明応八年、周防 大内氏の属臣杉武道が双跋本を影刻したもの。正平本は堺で作られたが、堺は大内氏の所領であったので、周防での再版となったと想像されている。
 書き込みに、「家本無此二字」等の言葉が有るが、「家本」と言われているのは清原宣賢のテキストである。

                          

五、市野光彦覆刻正平単跋本『論語』
 文化十年刊。狩谷掖斎の序が有るもの。

                           

六、市野光彦覆刻正平単跋本『論語』
 「常磐御文庫」の記が有り、狩谷序が無いもの。

                          

七、要法寺版『論語』
 整版のもの。

                            

八、慶長活字本『論語』
 1934年『書志学』第三卷第一号『安田文庫古板書目(九)』57ページに著録されるもので、古活字版の中で最も優れたものとされる。「御本」の印が有り、尾州徳川氏の旧蔵とされる。

                           

九、カナ解附き『論語』
 江戸の刊本で、漢字本文の横にカナで日本語解釈が付いたもの。

                           

十、『佛果円悟真覚禅師心要』
 南宋刊本。ただし補写のページも少なくない。本書には宋版の外に、五山版も有るが、この本は上下巻それぞれの末に、別の刊本に拠った補写が有り、版本研究の上で重要である。 

                            

十一、『儀礼経傳通解』第十七卷残本
 南宋刊本。東洋文化研究所は全巻揃いの宋本を所蔵しているが、行格はそれと全く一致するものの、同版ではない。江戸時代に市橋氏が孔廟に献上した宋元本三十種の一つで、昌平坂学問所の印がある、由緒あるもの。他の二十九種は、内閣文庫等に現存している。     

                          


 以上が個別の紹介であるが、前九種はいずれも『論語』の版本で、そのうち六種は正平本『論語』の系統に属するものであるから、まず正平本について説明する。正平本は、刊本としては『論語』の古い姿を伝えるものとして重要視されており、清代の蔵書家もこれを「高麗版」として珍重し、清末の『古逸叢書』にも翻刻されたし、近代の最も影響力ある古典版本の影印シリーズ『四部叢刊』でも『論語』の版本には正平本が選ばれているから、日本のみならず、中国においても、正平本『論語』は『論語』の最も重要な版本として認められているのである。日本においては、更に、儒教経典が印刷された最も早い本として、思想史的にも出版文化史的にも重要であり、正平本『論語』は日本の古刊本の中でも最も有名で、その価値は飛び抜けて高い。

 ところが、正平本『論語』には複数の版本が有り、その先後関係が分かりにくく、江戸時代から様々な議論が行われてきた。近代の社会条件は、江戸時代と比べて格段に便利になり、各所に所蔵される古版本を比較研究することが広く行われるようになり、正平本の版本の研究も大いに進んだ。そして、この複雑な問題に、とりあえずは最終的な解決を与えたのが川瀬一馬であった。

 正平本の版本には、双跋本・単跋本・無跋本の三種があるが、無跋本は単跋本と同じ版木を使いながら跋を削ったに過ぎないという点は、早くから確認されていた。問題は、大きさ・字体からして全く異なる双跋本と単跋本の間の先後関係で、そのどちらが始めに作られ、どちらがその翻刻本であるか、が分からなかった。単跋本には双跋本の文字に対して補訂を加えた箇所が有り、双跋本には単跋本には無い単純な字形の誤りが有り、いずれを先と考えても辻褄が合わなかったのである。川瀬は、現存正平本を可能な限り広く調査し、その結果、一般に言われている双跋本とは別に、もう一種の双跋本が存在していることを発見した。新たに発見された双跋本こそが、真の正平本であり、一般の双跋本は、単跋本同様に、その翻刻本に過ぎない、とされたのである。この説は、現在に至るまで定説とされており、新たな版本の発見が無い限りは覆ることは無いと思われる。

 川瀬が発見した真の正平本は、大阪府立図書館に蔵されるもので、この他に宮内庁に同じ版の一部が存在していることが確認されたのだが、川瀬の研究を支えた最も大きな力は安田善次郎の支持であった。安田善次郎は、少壮の学者川瀬の研究を全面的に支援し、自ら収蔵した安田文庫の貴重典籍も彼に自由に研究させた。川瀬の代表著作である『日本書誌学之研究』には、最大の恩人安田大人への感謝が鄭重に示されている。

 川瀬は、正平本に関する研究の成果を「正平本論語攷」としてまとめ、『斯文』第十三編第九号(1931年)に発表した。後に補訂を加えたものが『日本書誌学の研究』に収められている。今、『日本書誌学之研究』の「正平本論語攷」を見ると、正平真本・双跋・単跋・無跋ならびにその後の翻刻本である明応本・市野本について、それぞれ現蔵者が詳しく挙げられているが、そこに安田氏所蔵として挙げられているのが、今、安田弘先生より寄贈を受けたこの六種なのである。

 中国でも古来注目され、日本では言うまでも無く最も重要な古版本が正平本『論語』であり、その版本についての問題を最終的に解決した川瀬一馬の研究を支えたのが安田善次郎であり、安田文庫の貴重版本であった。その安田文庫旧蔵の正平本『論語』が、揃って安田弘先生に伝えられ、安田先生はそれを揃ったままで東洋文化研究所に寄贈された。その意義の大きさは、読者にも容易に理解できることと思う。

 正平本以外では、『儀礼経伝通解』残本について、特に説明を加えておきたい。表紙には『中庸章句』と墨書されているが、実際には『儀礼経伝通解』の第十七巻で、その部分が偶々『中庸』に当たっているに過ぎない。これは、江戸時代に市橋長昭が孔廟に献上した宋元版本三十種の内の一つで、市橋氏の識語と、昌平坂学問所の印が有る。この市橋氏の識語は、正平本の翻刻本を作った市野迷庵が墨書したもので、正平本のコレクションと一緒に伝えられているのは因縁が有る。市橋氏献上三十種の他の二十九種は、内閣文庫(現在、内閣文庫は組織としては廃されている)などに所蔵されており、言うまでも無く貴重なものである。東洋文化研究所には、『儀礼経伝通解』全部の宋版が所蔵されており、この第十七巻の部分も比較することが出来、同版ではないが、行格・風格などは一致している。昌平坂学問所を遠祖とする東大の、同じ宋版『儀礼経伝通解』を所蔵する東洋文化研究所に、正平本と共にこの残巻が寄贈されたのは、深い因縁の有ることと思われ、有り難くも喜ばしいことである。

 東洋文化研究所には、版本史料を多く所蔵する公的機関として、貴重な史料の保存と研究者への資料提供に努めている。今回の寄贈史料は、上述のような事情を思えば、所を得た、と言えなくもないが、限られた条件の中で、保存と利用の矛盾する要求を出来る限り満たすべく努力を続けることこそが、安田先生のご厚意に酬いる道であろう。

(元東洋文化研究所助教授)

 
          東洋学研究情報センター『明日の東洋学』No.12(2004.10)より転載。  
          『明日の東洋学』はPDF版でも公開しています。