04/03/24
 中国演劇研究の現状と展望
 
加藤 徹

はじめに

 西洋における演劇の地位の高さに触発されて、近代的な意味での中国演劇研究・戯曲研究(以下、本稿では両者をあわせて「中国演劇研究」と称する)がスタートしたのは、二十世紀に入ってからである。中国演劇研究に先鞭をつけたと言われる王国維『宋元戯曲考』(1912)から数えても、九十年以上の歴史を有することになる。

 本稿では行論の便のため、中国演劇研究を仮に以下の六つのステージに分けることにする。


戯曲研究 演劇研究
伝統劇 古典劇(元雑劇・崑曲など) T U
地方劇(京劇を含む) V W
話 劇 X Y
注1

 近年の中国演劇研究で目立つトピックとして、本稿では、
    (1)地方劇研究(ステージIII・IV )の発展
    (2)話劇研究と地方劇研究の接近
    (3)電子技術(インターネット、電子テキスト等)の活用
 の三つを取り上げ、今後の展望・課題とあわせて論ずることとする。


(1)地方劇研究(ステージIII・IV )の発展

 従来の中国演劇研究において、地方劇研究は付随的な扱いを受けてきた。この状況が変化し始めたのは一九八〇年代初めからである。

 近年の中国国内外の演劇研究に多大の影響を与えたのは、『中国祭祀演劇研究』(1981)に始まる田仲一成氏の一連の地方劇研究である。農村の祭祀儀礼と結合してその一部として演ぜられる「祭祀演劇」の視点から中国演劇史を再構築し、従来の戯曲研究と演劇研究の枠を超えた田仲氏の地方劇研究(ステージIII・IV)は、社会学的な視点と論理的整合性に富み、古典劇研究(ステージI・II)や古典小説研究、東洋史研究など他分野の研究者にとってもパラダイムとなった。(注2)

 八〇年代半ば以降、中華人民共和国での地方劇研究の条件も整い(注3)、九〇年代に入ると地方劇研究の対象はいっそう拡大した。京劇や秦腔など従来あまり学術研究で取り上げられなかった劇種についての研究論文も発表されるようになり、また、皮影戯(影絵芝居)・傀儡戯(人形劇)・評話(語り物)など周縁劇種も地方劇研究の対象に組み入れられた。

 ただ、ここ数年来の地方劇研究の動向について見ると、対象の拡大と深化の反面、過度の細分化の危惧も見え始めている。もともと地方劇研究には、方言の知識やその地方劇音楽の楽典的知識を始め、高度に専門的な知識が不可欠であるが、研究の方法論をもたぬままそれらの個別的知見の探求に走りすぎると、研究の普遍的妥当性が曖昧になりかねない。

 いまだメジャーであるとは言いがたい地方劇研究においては、学際的な視点を保ち、他の研究分野との連携を深めることが、今後の発展性を確保するうえで重要であろう。


(2)話劇研究と地方劇研究の接近

 従来の中国演劇研究は、「求心力」が乏しかった。

 古典劇と話劇は、研究資料の時代も使用言語も違うため、互いに別個の研究分野として存在してきた。古典劇は古典小説・韻文の近くに、話劇は現代文学の一部に位置づけられ、両者を同一の「中国演劇研究」という枠でくくる意識は比較的希薄であった。

 この二極分裂の状況は、現在、「古典」と「現代」の双方にリンクする地方劇研究の伸展によって、改善されつつある。

 地方劇の一つである京劇を例に取ると、京劇は古典劇や古典小説など「古典」とリンクしつつ、同時に革命現代京劇などで「現代」ともリンクする。実際、古典劇の演目の演変の歴史を下降してゆくとおおむね最後は京劇に収斂されるし、話劇の歴史をさかのぼると初期話劇(文明戯)に多大の影響を与えた京劇につきあたる。

 そのため、例えば1999年に関西で成立した「中国現代演劇研究会」では、「ここで言う中国現代演劇は『中国で現在上演されている演劇』の意味で、『話劇』『戯曲』の双方を含みます」(注4)と定義し、話劇と「戯曲」(中国語「戯曲」は、地方劇など伝統演劇の意)の研究者が積極的に交流している。これはほんの一例であるが、「古典」と「現代」とを統合して中国演劇を総体的に見つめ直す新しい視点は、今後の中国演劇研究において一つの潮流となるであろう。


(3)電子技術(インターネット、電子テキスト等)の活用

 一九九〇年代半ば以降、インターネットや電子テキストなど、電子技術の急速な発展が中国研究にも影響を与えつつある。

(3)-1 電子テキストの活用

 電子テキストの利用に最も適しているのは、古典劇の戯曲研究(ステージI)であろう。古典劇の脚本テキストはほぼ固定化しているので、電子テキストをもとに、検索機能を使って単語の用例や使用頻度を拾うのは容易である。いっぽう、地方劇脚本の電子テキストは乏しい(そもそも地方劇の脚本は固定化していないものが多い)。ただ、電子検索機能自体はあくまでもツールの一つにすぎず、これらを使って何ができるかは今後にまつところが大きい。

(3)-2 インターネットの活用

 ウェブページ(ホームページ)や電子メールなどインターネットの普及による恩恵を最も受けているのは、地方劇の演劇的研究(ステージIV)である。

 従来、紙媒体での地方劇の情報量は限られていたが、今日では中国国内外のサイトで地方劇の情報が発信されている。ただ、現時点でネットで発信されている地方劇関連情報にはまだ偏りがある。紹介される地方劇は、京劇・昆劇・秦腔など愛好者人口が比較的大きい劇種に偏っており、コンテンツも、大半はステージIVの基礎的情報(劇団や劇場の紹介・演目内容紹介・舞台上演予定表・音声や動画のサンプルなど)で占められ、ステージIIIの基礎情報(演目内容紹介・歌詞や台詞の紹介)は比較的少ない。

 今後期待されるネット活用の展望として、例えば、地方劇戯曲研究(ステージIII)関連のコンテンツの充実などが考えられる。紙媒体では営業的に出版困難な地方劇の古脚本を、電子テキスト化ないし画像化してネット上で公開して中国国内外の研究者の便に供すれば、研究者にとっても有益であろう(そのためには、台湾中央研究院の漢籍電子文献資料庫のような大規模なプロジェクトを推進する必要があろうが)。

 また、中国演劇の研究者が、研究成果や啓蒙的コンテンツをネット上で公開する事例も増えている。中国演劇の専門家が在職している大学の数は限られており、当該分野の専門書も比較的少ないので、ネットによる情報発信は、この分野に興味をもつ後進の育成にも役立つであろう。


むすび 日本人研究者がなしうること

 中国演劇研究は、日本人研究者にとって不利な点がいくつかある。

 一つは、研究資料である。例えば、中国の古典文学については、中国本土で散佚したテキストが日本でのみ保存されている、という事例もあるが、中国演劇でそのような事例は少ない。研究資料の面で日本人研究者の優位性を保証してくれるものは、中国演劇研究では期待できないのである。

 もう一つは、演劇の「暗黙知」である。どこの国でも、演劇や戯曲は、本質的に暗黙知の芸術であり、言葉では表せない俳優の演技の微妙な「間」や陰影が、しばしばテキストの文言以上の意味をもつ(例えば、古典劇のテキストさえ、ある一句を反語に読むか否かで文脈がガラリと変わることがしばしばである)。文字や言葉などの「形式知」で表せぬ人間のドロドロとした部分も表現できることが、演劇や戯曲の特長の一つなのだが、こうした微妙な暗黙知的呼吸を外国人が正確に理解するためには、相当な修練が必要となる。

 それゆえ、本来ならば、
   「中国演劇研究は、しょせん中国人にはかなわない」
という状況になって不思議はない。にもかかわらず、二十世紀の中国演劇研究史をふりかえると、画期的な研究はしばしば日本人研究者の側からなされてきた。しかも、研究の方法論や視座という根本的なコンセプトの面で、日本人研究者がパラダイムを提供した例が少なくないのである。

 青木正児、吉川幸次郎などの昔はさておき、例えば田仲一成氏の地方劇研究がなぜ中国人研究者に衝撃的な影響を与えたかと言えば、中国演劇の起源について中国人研究者がマルクス史観的な労働起源説しか論じられなかった時代に、田仲氏は「祭祀演劇」という画期的な視点を提唱し、文献分析とフィールドワークの両面から論証するという方法論を構築したからである。

 今後、開拓が期待される研究コンセプトとしては、例えば、従来の中国演劇の「正統」と「通俗」の見直し、具体的には文学的価値を認められなかった地方劇脚本の文学性を再評価する研究(ステージIII)などが考えられる。(注5)

 ただし、二十一世紀初頭の今日では、以前とちがって中国人研究者も既成概念にとらわれず自由に自説を構築できる環境にある。もともと不利な環境にある日本人研究者が、今後もコンセプト面で中国演劇研究をリードできるかどうか。これからが正念場であると言えよう。


注1 
本表の見出しについて、以下に説明する。

  
戯曲研究とは、演劇の脚本ないし上演台本を、独立した文学作品として鑑賞・分析・考察する研究手法を言う。

演劇研究とは、総合芸術としての演劇の社会的側面に注目しつつ、上演史・上演形態・上演技術などを探求し、考察を加える研究手法を言う(もとより戯曲研究と演劇研究とは截然と区別しうるものではないが、行論の便のために、ここではあえて分けることとする)。

伝統劇とは、伝統的な音楽劇を指す(中国には純粋な科白劇は自生しなかった)。これは更に、文人・知識階級によって支持された典雅な古典劇と、都市の庶民や農村で支持された通俗的な地方劇の二つに分かれる。

古典劇とは、旧社会の文人階級の手になる古典的な作品である。本来は音楽と密接に結びついた戯曲作品であったが、脚本自体に文学的価値があると認められ、後世、一種のレーゼドラマとして読まれることが多い。作品の制作年代は、主に元・明・清である。

地方劇とは、古典劇よりも通俗的な、芸能としての伝統演劇(人形劇や影絵芝居も含む)を指す。脚本は、一部の例外を除き、文学的な価値を認知されていない。現存の地方劇の大半は清朝以降の成立である(京劇のように全国的に分布する伝統劇も、便宜的に「地方」劇とみなす。また、古典劇としての崑曲のうち、現代でも舞台で上演されるものは、地方劇の一つとして「昆劇」と呼ぶ)。

話劇とは、二十世紀の初めに西洋や日本の影響を受けて成立した近代的な科白劇である。

注2 
アジア研究情報ゲートウェイ「日本の中国古典小説研究はどこへ向かうのか」(http://asj.ioc.u-tokyo.ac.jp/html/002.html)「社会史、文化史的研究」の項を参照。
注3 
  
具体的には、
中国の「改革開放」の結果、海外の研究者のフィールドワークも可能になった。
中国共産党の文芸政策が緩和され、農村における巫術的な仮面劇など古い形を残す地方劇の上演が復活し、調査可能になった。
明代の山西楽戸の『迎神賽社礼節伝名簿』など、歴史的史料の発見・公表が相次いだ。
文革期をはさんで長いあいだ出版計画が凍結されていた『中国戯曲志』はじめ、地方劇関係の資料の公刊が相次いだ。
『車王府抄本』など、古い形を残す地方劇脚本資料が影印本として公刊された。
などの変化が挙げられる。

注4 
 
日本現代中国学会のHP http://wwwsoc.nii.ac.jp/jamcs/index.html に載せる中国現代演劇研究会の案内文より。

注5 
 
地方劇脚本の文学的価値が、過去に全く認められていなかったわけではない。中華人民共和国では一九六〇年前後に「人民文学」の視点から地方劇を重視し、中国共産党のイデオロギーに沿うかたちで地方劇テキストの整理改編が励行された。ただ今日の視点からふりかえると、当時の地方劇評価は極端なイデオロギー先行型で、整理改編も地方劇本来の形をかえって損なう面が多く、結局、長続きしなかった。

一九九〇年代半ば以降、中華人民共和国では、民族文化のルーツとして清朝の再評価がブームとなっている。清朝以来の通俗的地方劇の価値が、本来の形で再評価される日も、近いかもしれない。


(広島大学総合科学部助教授 http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/