06/02/23
コロンビア大学におけるアジア研究―NYとアジアの接点とともに―

                                                        
井上実佳
 
コロンビア大学のシンボルともいえるThe Law Library。
現在は図書館ではなく講演会場などとして使用されている。

マンハッタンとアジア系の人々


 マンハッタンはアメリカの中でも特に「人種のるつぼ」「人種のサラダボール」と表される特徴を如実に示している。ある日、筆者が乗ったタクシーのドライバーはマンハッタン生まれのマンハッタン育ちというこの業種にしては珍しい初老の男性だったが、彼曰く、「自分は今まで(カナダなど隣国を除いて)一度も海外旅行をしたことがないけれど、そんな必要まったくないよ。だって世界中から人々が来てくれるから。彼らがいろいろなことを教えてくれる」そうである。そんなニューヨークのマンハッタンは各エリアによって民族を中心とした集団の居住地が比較的明確に分かれている地域がある。そのような場所では、地下鉄の駅の利用客でわかるくらい周辺に住む民族や特定の集団がはっきりしている場合もある。その中にはチャイナタウン、コリアンタウンと呼ばれる地域もあり、マンハッタンで生活する中では、アジア系、特に中国系・韓国系の人々に接する機会が多い。1〜2つの通りを占める程度の小規模ながらも、インド街もある(南アジア系の人々が多く住む地域は、マンハッタン外のクイーンズの方が大きいようである)。特に、ニューヨークのチャイナタウンの規模は、いまやサンフランシスコを抜いたといわれている。しかも、実際チャイナタウン周辺に行ってみると、その様子は日本の横浜や神戸にあるようなものではなく、かなり雑多でエネルギッシュである。筆者は、マンハッタンで小学生、中学生の集団が社会見学やスケッチに出かけるところにしばしば遭遇したが、白人、アフリカ系の子供が圧倒的多数な中に一人、二人のアジア系と見られる子供が「混ざっている」こともあれば、チャイナタウンの近くなどでは集団のほぼ全員が中国系と思われた。このような地域では、地下鉄の駅にいると人々が普通に中国語で話してくる。

 マンハッタンで日本人が比較的多いのは、イーストビレッジと呼ばれるマンハッタン南東部の一角で、筆者もこの地域に住んでいた。確かに、他の地域と比べると明らかに日本人によく会うし日本食をはじめとする日本系の店舗が軒を連ねている。しかし、他の地域との違いは、そこに暮らす人々と地域との関係である。日本人はここ以外にもマンハッタン内外を含めかなり散らばっているし、イーストビレッジに住んでいる理由も(少なくとも最初のきっかけは)留学をはじめとする一時的な滞在が少なくないように思う。アジア系をはじめとして世界各国・各地域からニューヨークに移住してきた人々が、とりあえず腰を落ちつける場所、仕事を見つける場所として同郷の人々が「牛耳る」地域に住むのとは趣が違うだろう。

 仕事といえば、ニューヨークに行く前に「ニューヨークでは民族などによって面白いほどに仕事が分かれている」と聞いていたが、確かにその傾向がある。もちろん、筆者は、マンハッタンで、医師や教員といった専門職やサービス業など職業全般にわたって、ありとあらゆる民族・人種がいるのを目の当たりにした。しかしそれでも、タクシードライバーにはアフリカ系に次いで南アジア出身と思われる人が多く、ニューヨークのコンビニエンスストアともいえるデリ(a delicatessen)や個人経営レベルのスーパーの経営者・従業員には韓国系の人が多い。さらに、筆者が関心を持ったのは、「日本」を表すものを中国・韓国系の人々が扱っていることだった。たとえば、寿司、出前などマンハッタンにある日本食店では彼らがたくさん働いているし、そのようなお店では中華と日本食が一緒に扱われている。Chinese & Japanese Restaurantなどざらである。また、テレビコマーシャルをはじめとする広告でも、日本人「役」で明らかに日本人ではない人が出ていることが珍しくなく、日本のイメージがどの程度伝わっているのか疑問なこともある。そういう意味では、よく言われるように、ニューヨークではもともと少数派であるアジア系の中でも、日本人はさらに少数派といえるかもしれない。他方、デパートなどで買い物をしていてこちらが日本人とわかると、一見いかめしいアフリカ系の男性店員が突然「アリガト!」と言ってきたり、女性店員に「こういうとき日本語で何と言えばいいの?」と聞かれたりすることがしばしばあった。マンハッタンでも旅行中と思しき中国系・韓国系のグループをよく目にしたが、旅行者、顧客としての日本人は依然お得意様のようである。


コロンビア大学とアジア研究

 さて、コロンビア大学は、米国のニューヨーク・マンハッタン北西部に位置する総合大学である。常に様々なシンポジウム、講演会、エキシヴィジョンが企画されるが、例えば、2005年9月には、ムシャラフ大統領(パキスタン)、タラバーニ大統領(イラク)、ユドヨノ大統領(インドネシア)、ダライ・ラマ氏らが講演を行った。各国要人に関しては、国連総会開催期に彼らが集まるというマンハッタンの地の利も活かされているであろう。
 
 また、コロンビア大学には、大学の付属・提携関係にあるものも含めると25の図書館がありそれぞれにアジア・アジア研究関連の文献・資料が収められている。中でも、特に充実しているのは以下のとおりである。
 
・ The Lehman Library:地域研究に関する文献・資料が集められるとともに、各地域研究を担当するライブラリアンのオフィスがある。
・ The C. V. Starr East Asian Library :コロンビア大学に中国語学部を設立するための寄付によるもので、100年以上の歴史を持つ。

特に、The C. V. Starr East Asian Libraryには、日本、中国、韓国をはじめとするアジア諸国の文献・資料が数多く所蔵されており、新聞、辞/事典、統計はもちろん、様々な学術雑誌も利用できる。利用者もアジア系の人々や、アジア研究に従事する学生・研究者が多かった。

The C.V. Starr East Asian Library

 筆者が所属したSIPAは、1946年にMIA(The Master of International Affairs)を授与する大学院として設立された。2004年の名簿でざっと数えてみると、SIPAにはおよそ1300人前後が学生として在籍している。(コロンビア大学全体の在学生は23000-24000人とされている)。西アジア、CIS諸国を含めたアジア系と思しき学生は大体15%前後のようである。特に日・中・韓の学生が目立つ。ただし、SIPA以外のコロンビア大学内外の学生や研究者なども授業を履修・聴講できるので、実際はもっと多くの人々が出入りしている。

SIPAのエントランス


 SIPAのカリキュラムで中心となるのは、MIA(The Master of International Affairs)とMPA(The Master of Public Administration)である(2004年からThe Ph.D. Program in Sustainable Developmentが開始)。両コースの2005年秋学期のカリキュラムをみてみると、アジア研究に関連する科目としては、各国の語学のほか、例えば以下のようなものが挙げられる(SIPA内外のコロンビア大学内で開講される様々な授業が単位の対象となっている)。
・ Korean Foreign Relations
・ China’s New Marketplace
・ Traditional Japanese Architecture
・ Film & Television in Modern Tibet
・ Popular Religion in East Asia
・ Advanced Study-South Asian History, Culture
・ Economic/Social Geography-Central Asia
・ Nationalism in the Arab World
・ US Relations with East Asia
・ Chinese Politics
・ Politics of Southeast Asia
・ Chinese and Tibetan Relations in History
・ Persian Gulf In the 20th Century
・ Islamic Law & Middle East Legal Institution
 
SIPAの学生が集うロビー。
中央の壁には東洋の伝統的な絵画と思われる作品が飾られている。

 また、SIPAのアジア研究にかかわる組織は、主に以下のとおりである。
・ The Russian Institute (現在はThe Harriman Instituteの一部):ロシア、ソビエト連邦を学際的に研究する目的で1946年に米国で最初に設立された学術センター。
・ The Middle East Institute of Columbia University(1954年設立):アラブ諸国、アルメニア、 イラン、イスラエル、トルコ、中央アジア、ムスリム・ディアスポラ・コミュニティー。
・ The Weatherhead East Asian Institute(1949):中国、日本、台湾、香港、朝鮮半島、東南アジア諸国。
・ The Southern Asian Institute(1967):インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディブ。

 SIPAの卒業生は、国連をはじめとする国際機関やNGO、各国の省庁に勤務する人が少なくない。国際関係・公共政策という視点とともに行われるSIPAにおける授業・研究は、そのような場で活かされることが念頭に置かれているといえる。また、研究者の視点でみると、実務と研究を念頭に置いたSIPAが、様々な現象や課題を扱う国際関係・公共政策という分野とアジアをはじめとする各地域に関する研究との関連性を今後どのように深化させていくのか興味深い。

※ 本稿の情報は、筆者が2005−2006年度フルブライト奨学金(大学院博士論文研究プログラム)により米国コロンビア大学で在外研究中に得たものである。


 いのうえみか 津田塾大学院 国際関係学研究科 後期博士課程