2014年度、アジア学生調査の統合データが完成した。アジアの8つの国・地域(日本、韓国、台湾、中国(香港を含む)、フィリピン、ベトナム、タイ、フィリピン)をカバーし、2008年の第一波調査(サンプル数3,283)と2013年の第二波調査(サンプル数4,331)を含む大規模社会調査データの誕生である。
この統合データを利用した研究成果は、すでに出つつある。2014年2月27日と2015年2月26日には、高麗大学、北京大学、台湾大学、香港大学、フィリピン大学などの調査対象となった大学から研究者がやってきては、分析結果をめぐる検討を行っている(申請者も、この検討会に参加した)。また、東京大学の学生を中心にした日本語での論文集(『連携と離反の東アジア』勁草書房)が、2015年3月には刊行の予定となっている。
現在、別予算を利用して、インドネシア、マレーシア、ミャンマーといった東南アジアの地域を対象に学生調査を実施しているが、2015年3月末には、データが集まる予定となっている。これを受け、再度統合データを作成するとともに、できるだけ広く調査対象大学に声をかけ、統合データの分析プロジェクトに参加するよう、声をかける。具体的には、2015年7月に実施予定のセミナーに参加してもらい、データの形状から使い方についての情報共有を行うとともに(その予算については別途充当)、2016年2月に、フィリピンで成果報告会を実施。すぐれた論文をブラッシュアップして英語での論文集刊行を目指す。
本研究では、東洋文化研究所が保存する東京大学インド史跡調査団(1959年~1962年実施)の資料に基づき、現代のデリーを広域に調査し、都市開発と遺跡保存の状況、およびインドにおけるムスリム遺蹟の現状を把握する。さらに、それらの資料を再評価しながら20世紀後半の中世インド建築史を振り返り、新たな建築史研究の視点を提示する。
12世紀末以後、ムスリム政権の拠点となったデリー一帯には、数多くの都市と建物が構築された。上記調査が行われた1960年代までは多くの建造物が現存したが、その後デリーの発展の中で消失した遺構も多い。本研究では中世デリーの遺蹟を対象としつつ、20世紀後半のグレーター・デリーの変容の様相を捉える。
なお、本資料に関しては、東洋文化研究所所蔵アジア写真資料集成データベースの中で、「インド史跡調査」データベースとして、公開されている。このデータベースには、いくつかの改新が必要である。加えて現状を追加し、遺蹟変容の様相を明らかにする。
デリーの中世イスラーム建築の特徴は、モスク、墓建築等に加え、水利施設を含み広域に点在する。荒松雄博士たちの一連の研究を基盤に、地理情報システムを用いたデータを加えることで、より詳細な中世デリーの都市史を構築し、技法や紋様など細部データを整理することによって、新たな側面を加える。最終的には申請者が対象としているインド洋世界の建築史と統合する形で、南アジアのイスラームと関連する建築史の再構築をめざす。
本研究は第一に「中国絵画所在情報データベース」を援用して調査を行い、その成果により「中国絵画デジタル・アーカイヴ・プロジェクト」の推進を図ることを課題とする。第二に、中世寺院社会において入宋僧が請来した宋代仏教の思想や儀礼文化、美術作例の受容過程を、従来の宗派史観や顕密仏教論から開放し、東アジア仏教的視角から再解釈を行い、関連資料を蒐集することで、鎌倉仏教の新たな宗教史的・美術史的・文化史的意義の統合的構築を試みる。
その基点寺院を入宋僧・俊芿開山の泉涌寺(京都市)とする。同寺は近年発見の『南山北義見聞私記』(同寺蔵)により、日本の禅宗寺院と同様に、南宋仏教の寺院制度、出家生活の作法・諸儀礼などを興行し、また儀礼空間において釈迦三尊・羅漢・祖師などの仏像仏画の奉安例が明らかとなっている。本発見は(1)「宋代仏教=禅仏教」イメージからの脱却とその相対化、(2)日宋間における同主題の美術作例流行の要因を「儀礼興行」という新視角による再解釈を可能とし、(3)泉涌寺僧や同寺参学の禅僧・律僧・浄土僧・顕密僧に対する擬似的宋代仏教の受容とその展開、を想定可能にするもので、従来の中世寺院社会における宋代仏教文化の受容や影響を抜本的に見直す最新の研究視座に位置付けられる。
そこで、これらの視座を基点に、泉涌寺や関連寺院、各博物館所蔵の聖教・美術作例の調査を行い資料蒐集することで、宋元・鎌倉仏教文化の再解釈を行い、従来の史観から解放された仏教学・仏教史・美術史の立場から中世寺院社会における宋代仏教文化受容の総合的研究を行うことを課題とする。
本研究は、平成24~25年度共同研究のテーマ「日本漢籍集散の文化史的研究-「図書寮文庫」を対象とする通時的蔵書研究の試み-」の継続研究として、宮内庁書陵部所蔵漢籍の伝来調査と各図書の書誌調査を一体化することによって伝統的蔵書文化の特徴を明瞭に把握しようとするものである。既に、伝来単位である公家・大名・幕府・近世漢学者等に焦点を当てた分担調査が進行中であるが、伝来単位の蔵書構成を解明することは、漢籍文化がどのように我が国に浸透し発展してきたかを理解する有力な観点の一つであることが共同研究者の共通する認識となっている。最も歴史ある書陵部蔵書は、アジア諸国の皇室・宮廷蔵書文化と比較しうるものであって、ここに我が国固有の書物文化のエキスをみることができる。漢籍の刊・写、時代鑑定、唐本・韓本・和本の審定を基礎として、中世博士家・三条西家等公家・東福寺を始めとする古刹・日典や大通等の釈家、更に金沢文庫・足利学校を中心とする学堂と、近世を遡る蔵書史と、徳川家康以来の駿河御譲本・楓山文庫・昌平坂学問所、毛利高標・市橋長昭・新見正路等の大名武家の蔵書史を有機的な流動史として捉え、更に漢籍伝来の歴史を見据え、中国・朝鮮・日本・越南の蔵書文化との連携・共有・差異を探る基礎知識庫の構築を目指すものである。
広島大学文学部旧蔵漢籍(現在は大半を広島大学図書館に移管)は、原爆による被災や、昭和から平成にかけて四十年近く費やされたキャンパスの統合移転の他様々な事情によって、長年、整理が滞っていた。申請者は2007~2009年度(平成19~21年度)に広島大学図書館研究開発室、2010年~2012年度(平成22~24年度)には広島大学大学院文学研究科に所属し、広島大学文学部旧蔵漢籍の調査及び目録作成に取り組んだ。広島大学文学部が蒐集した漢籍約4,000点の中には、明本を含む『文選』関係資料・『李卓吾先生批評西遊記-百回繪圖』をはじめとした善本が存する。国内外の研究者の閲覧に供するためには迅速に残りの調査を完了させて、漢籍目録を刊行しなければならない。
この広島大学文学部旧蔵漢籍目録の刊行は、広島大学所蔵資料への評価のみならず、申請者が受講した東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター主催漢籍整理長期研修への再評価にもなる。広島大学文学部旧蔵漢籍目録刊行は、漢籍整理長期研修後、受講者が所属の図書館で漢籍整理を実現するためのモデルケースとして他機関に示すことが可能である。そこで東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センターと共同で、広島大学文学部旧蔵漢籍目録刊行を漢籍整理の普及の促進を図るためのモデルケースとして構築し、国内諸機関、特に地方大学における漢籍整理事業のあるべき方向性を提唱する。