本研究は第一に「中国絵画所在情報データベース」を援用して調査を行い、その成果により「中国絵画デジタル・アーカイヴ・プロジェクト」の推進を図ることを課題とする。第二に、中世寺院社会において入宋僧が請来した宋代仏教の思想や儀礼文化、美術作例の受容過程を、従来の宗派史観や顕密仏教論から開放し、東アジア仏教的視角から再解釈を行い、関連資料を蒐集することで、鎌倉仏教の新たな宗教史的・美術史的・文化史的意義の統合的構築を試みる。
その基点寺院を入宋僧・俊芿開山の泉涌寺(京都市)とする。同寺は近年発見の『南山北義見聞私記』(同寺蔵)により、日本の禅宗寺院と同様に、南宋仏教の寺院制度、出家生活の作法・諸儀礼などを興行し、また儀礼空間において釈迦三尊・羅漢・祖師などの仏像仏画の奉安例が明らかとなっている。本発見は(1)「宋代仏教=禅仏教」イメージからの脱却とその相対化、(2)日宋間における同主題の美術作例流行の要因を「儀礼興行」という新視角による再解釈を可能とし、(3)泉涌寺僧や同寺参学の禅僧・律僧・浄土僧・顕密僧に対する擬似的宋代仏教の受容とその展開、を想定可能にするもので、従来の中世寺院社会における宋代仏教文化の受容や影響を抜本的に見直す最新の研究視座に位置付けられる。
そこで、これらの視座を基点に、泉涌寺や関連寺院、各博物館所蔵の聖教・美術作例の調査を行い資料蒐集することで、宋元・鎌倉仏教文化の再解釈を行い、従来の史観から解放された仏教学・仏教史・美術史の立場から中世寺院社会における宋代仏教文化受容の総合的研究を行うことを課題とする。
本研究は、平成24~25年度共同研究のテーマ「日本漢籍集散の文化史的研究-「図書寮文庫」を対象とする通時的蔵書研究の試み-」の継続研究として、宮内庁書陵部所蔵漢籍の伝来調査と各図書の書誌調査を一体化することによって伝統的蔵書文化の特徴を明瞭に把握しようとするものである。既に、伝来単位である公家・大名・幕府・近世漢学者等に焦点を当てた分担調査が進行中であるが、伝来単位の蔵書構成を解明することは、漢籍文化がどのように我が国に浸透し発展してきたかを理解する有力な観点の一つであることが共同研究者の共通する認識となっている。最も歴史ある書陵部蔵書は、アジア諸国の皇室・宮廷蔵書文化と比較しうるものであって、ここに我が国固有の書物文化のエキスをみることができる。漢籍の刊・写、時代鑑定、唐本・韓本・和本の審定を基礎として、中世博士家・三条西家等公家・東福寺を始めとする古刹・日典や大通等の釈家、更に金沢文庫・足利学校を中心とする学堂と、近世を遡る蔵書史と、徳川家康以来の駿河御譲本・楓山文庫・昌平坂学問所、毛利高標・市橋長昭・新見正路等の大名武家の蔵書史を有機的な流動史として捉え、更に漢籍伝来の歴史を見据え、中国・朝鮮・日本・越南の蔵書文化との連携・共有・差異を探る基礎知識庫の構築を目指すものである。
広島大学文学部旧蔵漢籍(現在は大半を広島大学図書館に移管)は、原爆による被災や、昭和から平成にかけて四十年近く費やされたキャンパスの統合移転の他様々な事情によって、長年、整理が滞っていた。申請者は2007~2009年度(平成19~21年度)に広島大学図書館研究開発室、2010年~2012年度(平成22~24年度)には広島大学大学院文学研究科に所属し、広島大学文学部旧蔵漢籍の調査及び目録作成に取り組んだ。広島大学文学部が蒐集した漢籍約4,000点の中には、明本を含む『文選』関係資料・『李卓吾先生批評西遊記-百回繪圖』をはじめとした善本が存する。国内外の研究者の閲覧に供するためには迅速に残りの調査を完了させて、漢籍目録を刊行しなければならない。
この広島大学文学部旧蔵漢籍目録の刊行は、広島大学所蔵資料への評価のみならず、申請者が受講した東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター主催漢籍整理長期研修への再評価にもなる。広島大学文学部旧蔵漢籍目録刊行は、漢籍整理長期研修後、受講者が所属の図書館で漢籍整理を実現するためのモデルケースとして他機関に示すことが可能である。そこで東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センターと共同で、広島大学文学部旧蔵漢籍目録刊行を漢籍整理の普及の促進を図るためのモデルケースとして構築し、国内諸機関、特に地方大学における漢籍整理事業のあるべき方向性を提唱する。
1930年代前半に、東方文化学院による中国大陸の文物調査が関野貞とその助手竹島卓一らによって行われた。東京国立博物館(以下「東博」)では、2012年度に竹島の遺族から、竹島が保管整理していた当該調査の焼付写真約4400枚の寄贈を受けたことから、平成25年度に東洋文化研究所との共同研究の採択を受けて、東洋文化研究所が所蔵する同調査の写真と東博へ寄贈された写真との照合を行い、その全貌についての把握を進めてきた。
その結果、両者の間で重複する写真が多くある一方で、竹島が独自に撮影・保管していた写真もかなりの数含まれており、これらの写真は関野・竹島等による調査の詳細を研究する上で、貴重な資料となることが見込まれることが明らかとなった。調査成果の一部については、関野貞プロジェクト 国際会議「龍門石窟と関野貞」(平成25年8月27日、法政大学)で報告され、また平勢隆郎「関野貞大陸調査と古写真」(『明日の東洋学』no.30、2013年10月)においても言及されている。
今回は、上記において明らかにされた情報をも加えて、竹島写真作成の経緯について可能な限り新情報を付与したい。東文研・「東博」以外の資料にも手を広げて検討することを考慮し、あらためて1年間の申請をお願いすることにした。
地政学的変化は、社会科学の再編成を惹起する。冷戦体制のもとで近代化研究が進み、日本の高度成長によって日本研究から多くの魅力的概念が提示されたように、中国の大国化はさまざまな社会科学的な研究テーマを生み出し、新たな秩序形成の過程で新たな概念や分析枠組み、理論が作られつつある。中国モデルや北京コンセンサス論などは、その代表的なケースだが、政経分離を前提に日本や台湾との交流強化をめざす中国の姿は、新しい研究課題群を生み出しつつある。
台湾では「台商研究」と呼ばれる研究群が生まれ、中国大陸に渡った台湾人に関する総合的な研究がなされつつある。日本でも、ビジネスや留学、観光を通じた人的交流が盛んになっていることをベースにした研究群が生まれているが、その際、必ずしも比較研究が十全に行われているわけではない。1990年代以降、中国への投資を加速化させている韓国や、アジアから少し距離を置いているドイツなどとの比較は、中国台頭のチャンスとリスクをどう見積もり、経済的にどのような関係を構築しようとしているかを考える、きわめて魅力的な研究テーマとなっている。
東洋文化研究所は、中央研究院社会学研究所と4年にわたる研究交流を続けてきたが、従来の共同ワークショップの共催から、より焦点をもった共同研究へとシフトし、中国との人的移動をめぐる国際共同研究を本格始動させたい。その成果は、所内でのワークショップや国際学会などで紹介されることになる。