CASニューズレターNo.110(July 2001)より転載 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北京餐庁情報:見聞き驚き食べ歩き(6) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山本 英史 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Y 北京餐庁情報五編(2000年) -- 1 -- 2年半ぶりの北京である。今回は20世紀最後のミレニアム情報としてまた例によって個人的偏見に満ち満ちたあてにならない餐庁情報をお届けしたい。 北京に到着して最初に驚いたのは,空港がすっかり新しくなったこと。まずはきれいになり,あの特有の匂いがしなくなった。日本の空港にいるかのような錯覚に陥る。何でも日本の資金援助が相当にあったとのことで,それを示す石碑がどっかに小さく建っているとかだが,中国の人は誰もそのことを知らないそうだ。なかでも驚いたのは自動換金機。入国する前の会場のあちこちに備え付けられている。恐ろしいことに人はいない。中国で人がいない自動販売機がかつてあったか。人がいないで誰が操作するのか。えっ,我!?機械の説明によれば日本円でも,米ドルでもOK。でも信用してはいけない。きっと札が機械に飲み込まれてそれで「没有了(おしまい)」なんてことがあるに違いない。恐る恐る千円札を入れてみる。即座に計算して人民元が75元ほど目の前に現れる。アイヤと思いつつ五千円札を入れてみる。ちゃんとその5倍が出てくるではないか。なんという現代化。今までのギャップの大きさを改めて感じる。ただし二千円札はやめたほうが賢明であろう。 北京の街の交通渋滞は相変わらずひどい。なんでも面的(パン型タクシー)は暴力団が絡んだために一斉に粛清され,例の乗合マイクロバスの小コンも一掃されつつあり,タクシーの主流は1.2元のシャレードに移りつつある。にもかかわらず車の数は変わらない。最近はマイカーを持つ人がかなりいるとかで,いよいよ問題は深刻である。ちなみに現在北京大学の教授の月給は3000〜5000元であるため,構内に乗り付けてくる先生方が少なくないという。そういえば,最近物が豊富になった超級市場で優に3リットルは入る白酒(バイチュウ)の二鍋頭ボトル(日本のペットボトル焼酎もビックリ)を3つも買っている御仁がいたが,その量もさることながらどうやって持って帰るのだろうか。やはり車で来ているに違いないが,どこに駐車しているのだろうか。それにしても,こんな大量のアルコールをいったい何に使うのか。ひょっとしたらガソリンの代わりなのではあるまいか。 -- 2 -- 王府井が銀座になった。従来,王府井は北京の銀座であるといわれていたが,納得できる日本人は少なかった。一等地を占めていたマクドナルドがなくなり,道路が拡張されてホコ天が出現。大規模建設中であった東側のビル群が勢ぞろいし,ネオン輝く大都会通りに変身した。王府井の由来である井戸も復活し,通りのあちこちに老北京をしのばせる等身大の辮髪おじさんやリキシャマンの銅像があって,ますますややこしくなった。 新東安市場は相変わらずだが,少し庶民的になったようだ。ありていに言えば汚くなった。できたばかりのときはおつにすましていたが,メンテナンスなのか何なのか,すぐ古くなる。鳴り物入りで開店した東来順飯荘総店もまるでデパートのお好み食堂のよう。でも,バラック雑貨市場であった往時の東安市場を考えれば,これも自然の成り行きか。地下に北京老字号という老舗の商店街を再現した一角が作られたが,映画のセットの域を出ていない。北京飯店は目下オリンピック?に備えて改修中。そのためホテル内の餐庁や商店も休業中である。なぜか壁がピンク色をしており,銀座にラブホテルが出現する一抹の危倶がある。 王府井近辺の餐庁では香港美食城,萃華楼飯荘,全聚徳本店などはますますのご発展。ハナ金の夜などは予約なしではずいぶん待たされることになる。美術館近くの例のひっそりと経営していた凱旋門西餐庁は道を隔てた向かい側に引っ越して存続していたが,やはりひっそりとしており,今度来るときは多分つぶれているはずである。ちなみに美術館より少し北にあったお気に入りの文革餐庁老三届餐庁がなくなってしまったのは残念である。 9月15日に北京飯店の王府井大街を隔てた向かい側に東方新天地という大商店街が出現したはずである。というのもオープニングしたにもかかわらず店は通路のワゴン販売だけで,テナント店はまだほとんど営業していない。案内板を見る限り,「大商店街」のはずである。その隣の王府井図書城もネオンが煌々と輝くだけだった。いずれにしてもまだ目下建設中である。 西単が渋谷になった。これはいいすぎである。しかし,デパートが3つも作られ,その他にも巨大なビル群が建設中である。目下十字路が広い通りに一変し,ごちゃごちゃあった建物は公園になり,民主の壁なども吹き飛んでしまった。これに伴って西単にあった老舗餐庁がみんななくなった。ところが地下商場なんていうものがあり,中に入ると名古屋駅の地下街のようなものが出現。天窓設計のために地下3階まで光が届き,そこではアイススケートを楽しむ市民でにぎわっていた(なぜ秋にアイススケートなのか?)。四川料理の老舗天府豆花店を発見。しかし臨時営業のようであり,やがて地上にあがるものと見た。 西単に出現した北京図書城はビルごと本だらけのとても大きな本屋である。海淀図書城を嚆矢として北京には大規模店舗の書店が次々と作られ,いずれも盛況である。一般書の品揃えは豊富で,書籍は高価なのにもかかわらず購入する人,階段を利用して立ち読みならぬ「座り読み」する人,ぼろぼろになった「人体芸術」をこっそりめくっている人(なぜか男性に限る)などで毎日ごった返している。ただ,三聯書店や瑠璃廠の中国書店に比べると専門書が少ないような気がする。 渋谷といえば西単にも茶パツ,厚底サンダルを発見。もちろん本物の渋谷ほど多くはない。茶パツ,ガングロ,厚底サンダルが当世ギャル3要素とすればガングロはさすがにいない(台北や香港には山ほどいるそうだが)。どこかおとなしく,どこか品があると思うのはおじさんの偏見か。ちなみに日本から戻ったばかりの50代の女性にガングロをどう思うかと聞いてみたら,ひたすら顔をブルブル振るだけのガンブルだった。 宣武門の崇光(SOGO)は健在であった。民族資本のデパートとは異なりメンテナンスがよいせいか高級デパートの体裁を失っていない。それゆえ客もあまり入っていない。それはいいとして,そごうカードの会員を募集している。本国で倒産したデパートの信用力ードがどこまで信用されるのか。これまた予断を許さない。 中関村が秋葉原になった。これは本当である。以前からこの一帯には電脳の店が多く,そういわれていたが,正直イマイチの感がした。しかし現在では黄荘から一路電脳の店ばかりで,わけのわからない漢字が通りにあふれる。しかも,さらに大規模な電脳城が次々と出現している。広告に関羽信箱というのがある。「信箱」とはポストのことだが,「中国人独有的信箱」とあり,何のことかと思ったらどうもEメールの会社らしい。関羽@yesky.comというアドレスが書かれていた。以前は海淀路といっていた中関村から白石橋までを中関村大街と呼ぶようになったのは資本の力か。 VCD(ビデオCD)はますます発展し,国内物に加えて洋画もアクションからオカルトまでないものはないくらいである。なかにはまだ日本で上映されてないU−571まで売っている。これは試写会などのスクリーンをビデオ撮影したものだそうで,実に商魂のたくましさを感じる。洋画には原題がつくようになったので何の映画か判別できるようになったが,漢字だけではなかなか判じ物である。「空中監獄」=コンエアー,なるほど。ちなみにミッションイムポシブルUは「職業特攻隊U」となる。ただ,別名として「不可能的任務」と添えられているが,それでは「没有内裤子的涮牛肉」みたいになってしまうのであろう。 中関村に電脳の店がふえるのと反比例して旧来の店がどんどんなくなってしまった。なかでもあの5年間命脈を保ったビア餐庁の猟奇門がなくなったのは寂しい。 -- 3 -- 北京大学は1998年に創立100年を迎え,いろいろ新しくなった。とりわけ変わったことは北京大学の赤門として有名な西門の門衛の制服兄さんが外来者を誰何しなくなったことであろう。昔はまず簡単には入れてくれず,根掘り葉掘りうるさかったものだが,フリーパスになった。でも,それなら何のためにいるのだろうか。唐獅子と大差がない。キャンパスの中では北京大学図書館が新しくなり,大仏殿になった。百周年紀念講堂もそうだが,なぜあんな大仰な建物を建てたがるのか。もっともハウステンボスを建てた日本の某大学は笑えない。
北京大学留学生宿舎である勺園は昔とあまり変わらない。また新学期を迎え,多くの留学生のゆく人くる人を毎年見続けている。ただ,食堂の中心は長い間使われていた留学生食堂中西餐庁から新しく建った正大国際交流中心内の餐庁に移りつつある。その1つである珈琲庁は23:00まで営業する韓国人経営の食堂兼喫茶店で,日韓の軽食も好評である。永年,日本人留学生のために貢献してきた友愛亭は健在であるが,最近オーナーが他で稼げるようになったため経営熱心でなくなったとかで,新学期が始まったというのにまだ店が開かない。その代わり,同じ構内に満腹亭という小さな日本料理屋が開店した。定食屋だが,店の人は親切で,留学生でその存在を知る人が多くなれば繁盛するだろうが,その前につぶれるかもしれない。頃はちょうど中秋。未名湖で見る満月はまた格別である。湖畔のベンチで月餅を食べながらいちゃつくアベック,合コンで盛り上がっている新入生集団と北京大学の学生も変わってきた。 キャンパス内の餐庁では佟園や薬膳は健在。勺園の向かい側は佟府食堂と称して四川料理や韓国料理などいろいろなものを供している。これでは本来の留学生食堂が衰えるのも無理はない。 キャンパスの周辺でもいろいろ変化が激しい。東門を出たところの路地に万聖書店という本屋ができた。この路地は不思議な空間である。周辺に千鶴というお好み焼き屋があり,向かいにはシーバスリーガルの看板を掲げたバーがある。その一角に文系の専門書しか置いていない店がある。名前から推して,本来はキリスト教関係の本屋だったかもしれないが,妙に知的な香りを感じさせる。 大学の南は目下四環路という高速道路建設中の関係から掘り起こし作業が続いており,つぶれた店も少なくない。中国書店は健在だが,海淀図書城は怪しくなった。餐庁では長征飯荘,小長城酒家,鴻賓楼海淀分店,夢路餐庁などはふんばっているが,太陽村酒楼はもちろん高麗亭,波士頓西餐庁,東来順飯庄海淀分店,全聚徳烤鴨店海淀分店など,近代発展の犠牲になったのも少なくない。もっとも,東来順ははるか頤和園近くに移転して経営しており,漢江酒楼はチマチョゴリのお姉さんの呼び込みが復活した。知らないだけで,他で営業している店はまだあるかもしれない。 -- 4 -- さて,最初の4日間の宿にした友誼賓館とその周辺に話題を移そう。50年代にソ連の技術者たちの宿舎に充てた関係から,バスタブが広く,ロシア語の衛星放送が流れるのは,その名残である。ちなみにロシア語のCMはなんというかNHKのアナウンサーが親父ギャグを言うのに似ている。ホテルの奥には専家の住む公寓というアパートがある。アパートといっても,あてがわれる部屋は広大なもので,広大な書斎があり,その奥に広大な寝室があり,さらにその奥にこれまた広大な寝室が控えている。たいていは単身赴任できている人が多く,また貸しをしない限り,今日はこの部屋,明日はあの部屋と寝室を変えても退屈さは変わらない。 専家食堂というのがある。専家のための食堂とのことだが,日本料理屋と韓国料理屋が対等な店構えで経営する敷地の2階にそれがある。普通の餐庁だが,西餐と中餐がこれまた対等なメニューで並んでいる。ここのウエートレスの採用条件は外国語ができることではない。必要なのは走り回る悪ガキに顔色を変えない忍耐力とかわいくない赤ん坊を褒める寛容力である。 ホテルそのものについていえばとてもきれいで便利になったという印象がある。日本で出しているガイドでは友誼賓館は4つ星800元となっているが,それは主楼(貴賓楼)であって,奥の分楼では500元くらいになる。友誼賓館はホテルの中にホテルがいっぱいある典型的な国営のホテルである。水も出る,便器もつまらない,いうことなしである。ちなみに友誼賓館を知らないタクシーの運転手がいる。北京周辺の地方から出てきた運転手が多くなったためであろうが,運転手の言うことも方言が強くてよくわからないのでそんな時には携帯地図が必帯である。もっとも王府井を知らないのもいる。バブル時代,田町で乗ったタクシーで新宿にどう行けばいいのかとたずねてくれた運転手がいたのがなつかしい。 友誼賓館の前に開店したばかりの金翅鳥酒楼という店に案内してもらった。「キンシチョウシュロウ」と読むと怪しげな店のように聞こえるが,淮粤科理(江蘇と広東)を出す正統派の店である。大鰻のぶつ切りを醤油にからめた紅焼河鰻などなかなかの美味であったが,印象的であったのはそこで出された「燕京王」というビールである。中国のビールはもともと美味しいのが多いが,これは特別。日本のドライビールとは一味違う本格的ドイツビールの味がする。燕京ビールは北京一帯に強いシェアを持っており,「燕京王」のほか最近ではドライ,淡麗,黒といろいろなビールを売り出している。 ただ,青島ビールが北京の五星ビールを吸収合併して北京に進出するそうで,燕京vs青島のビール戦争が始まるとか。もっとも,瑠璃廠付近の青島汇泉海鮮大酒楼という山東料理の本場の店で「極品青島啤酒」を頼んだが,栓を抜くと回りのガラスが栓にくっついてきた。取り替えてくれるものと思っていたらそのビンの口をきれいに拭いてきて,例によって「没事儿(問題ない)」とのこと。そちらは「没事儿」でも飲む方は“有事”である。「極品」というのは《悪》の字が間に抜けているのに違いない。そんなわけで,今回は金翅鳥酒楼のウエートレスの感じのよさも手伝って,断然燕京ビールに軍配を挙げることにする。 友誼賓館周辺で変わったことといえば,人民大学の前が整備されてバラック的な店がなくなったこととそこに星巴克(スターバックス)ができたことであろう。星巴克は本来アメリカの珈琲チェーン店だが北京でも本格コーヒーが飲める喫茶店として市内にいくつか誕生した。「今天珈琲」は普通9元,中12元,大(大マグカップ2杯分)15元で少し高めなため,昼間はまだ外国人が多いが,夜になると若者たちのデートスポットに早代わりする。モバイルパソコンを持ち込んではしゃぐカップルや右手にマグカップ,左手に紫煙をくゆらしてインターネットを楽しむミニスカ,ロン毛のお姉さんなど,共産党幹部養成目的に創られたはずの人民大学の老教授たちにはさぞかし感慨深いものがあるはずだ。 当代商場の裏にあった焼き餃子の店福元大酒楼は予想に反してなくなっていた。中国はやはり水餃子なのか。餃子大王なんて「餃子の王将」もどきの店に入ってみる。餃子専門店で,白菜のほか,せりや青菜が入った多彩の餃子が出てくる。糧票という配給切符を持って1種類しかない餃子を食べ,蕎麦湯ならぬ餃子湯をすすった20年前がしのばれる。 -- 5 -- 今回長期滞在の宿にしたのは,護国寺賓館という西単の北,平安里というところにある1泊208元の“高級”ホテル。それでもバス,トイレ,クーラー,カラーテレビがついていて,おまけに兌換や切符予約代行までしてくれる。セミダブルベッドの部屋に対する占有率が大きく,万事狭いのが欠点だが,他は良好。コインランドリーまでついている。ついているだけで現在は故障中。まあこんなものである。朝食は食券をくれる。中国式お粥が幅を利かせ,三田の某ホテルのように一貫して不変のメニューを誇る。食券に漢族と回族の区別があるが,肉も何もないメニューなのにどう区別するのか。不思議なことだがなぜかコーヒーだけは本物の味がする。だが,悲しいことに中国の人たちからは見向きもされない。 ホテルのサービスに盲人保健按摩なるものがある。全身按摩50元,局部按摩20元とある。夜になると若い女性の声で按摩いらんかという電話が時々かかってくる。声の調子はまじめなので,全身が高いのか局部が高いのかがわからない。本稿は餐庁情報につき,その方面の調査については余人に譲ることにする。 ホテルは新街口に近く,周辺は庶民的な賑わいを示している。そういえばなぜか床屋が多い。あれここも床屋あそこも床屋,数えたら100メートルくらいに10軒以上。これは怪しい。蘇州に十全街というのがあり,こちらも100メートルで15軒の床屋。しかも床屋の看板がピンクに染まり,2階は明らかに御茶屋風。それに比べればまじめに髪を切っているではないか。いたーっ!!髪をブルーとピンクに染め上げたお姉さんたち。化粧がどぎつく,体形ははっきり言ってプロレスラー。ガンつけられては何なのでそそくさ逃げるが,怖いもの見たさでもうー度行ってみると,彼女たちもまじめに“理髪”しているではないか。というわけで,こちらの真偽も同様の理由で余人に譲りたく思う。 ここはかつて清朝の皇族の住まいであった恭王府や慶王府に近い。人民劇場や元輔仁大学の建物を過ぎると恭王府の中に四川飯店がある。前回訪れてあまり感激しなかった。でも四川飯店である。何かの間違いと思って再度挑戦した。されど…ガイドでは定食を奨めている。二人餐は128元と188元があるが,はっきりいって期待はずれであったのは残念。古き貧しき時代の麻婆豆腐が懐かしい。救いは陳麻婆豆腐店が動物園の横に復活したことである。どうもアシカショーか何かの会場を借りたみたいで,なぜか真中に丸い水槽がある。「陳麻婆」の看板がかかっている。これだと仮に「麻」がとれてもたかが陳おばさんではないか。などと言ってるうちに運ばれてきた麻婆豆腐。この色,この辛さ,この香り,昔成都で食べたあの味が再現されている。ということで,この勝負,陳おばさんの勝ち。 変化の激しい北京だが,胡同は昔の情景を残している。夕方になると,涼みがてらに外の腰掛ですごす爺さん,その横を飛び跳ねる子供たち。「大小便厳禁」という壁の落書きも元のまま。小便はまあいいとして,通りで立ち大便をする輩がいるんだろうか。麻雀をやる人も増えた。ところで点棒がないが…。ローン!オヨッ,元札が飛び交った。人民中国で,しかも衆目の場で公然たる賭博が見られるとは。誰が言ったのだろうか。麻雀は健康によいと。確かに老人を元気にはするんだが。 ごみ箱が新しくなった。昔のごみ箱ときたら口がパクっと開いた瑠璃陶器の蛙であり,狭い口にどんなごみでも無理やり詰め込んだものだったが,リサイクルのごみを分別するようになったのは画期的である。ただ,「燃えるごみ」という意味の「廃棄物」には何か恐ろしげなものを感じる。 護国寺賓館の近くにはそれなりの店がある。南の白塔寺付近にはご存知(といっても知る人しか知らない),能仁居がある。これはすでに何度か紹介している涮羊肉(羊のシャブシャブ)の店である。この辺一帯は,かって「シャブ通り」(危ない意味ではない!)と異名がつくほど同業店が多かったのだが,ご時世か,電脳店に変わる店が多くなった。それでもこの店の繁昌ぶりは衰えを知らない。「デザイヤー」の明菜風(ふる〜!)を決め込んだ女性経営者が店を取り仕切る。そういえば能仁居のタレは東来順のとともに超級市場で売られるようになったが,前者が数段上のように感じる。客に若者グループが多くなった。「シャブ合コン(いよいよ危なくなった)」,きっとインターネット関連で儲けた若者たちのふところにお金が「ドットカム」するからできるのであろう。 新街口の知味観飯荘は杭州にある老舗の分店。龍井茶で車えびを妙めた「龍井蝦仁」などの杭州料理の名菜が気軽に食べられるので,ここはお奨めである。「龍井蝦仁」は龍井茶でないとしまらない。静岡茶ではこうはいかない。ところで,やぶきた茶でチャーシューを妙めたら,「ヤブキタヤキブタ」になるのだろうか。 くだらないこと言ってないで,もう少し北に行くと,なんと吉野家があるではないか。吉野屋はかつて東安市場にあったが,しばらくなりを潜めていた。現在北京にはいくつか分店があるが,ここはその1つ。ただ,おじさんたちが黙々と丼にかぶりついている日本の雰囲気とは少々異なる。若い女の子たちが元気よく接客し,客はカウンターで注文したものにその場でお金を払ってテーブルまで持っていく。まるでマクドナルドである。メニューには牛丼(「牛肉飯」)のほか,角煮丼(「東坡丼」),焼鳥丼(「煎鶏丼」)があり,同じ10.9元で食べられる。牛丼の味はご飯が少し固めである他はあのヨシギュウである。紅ショウガもちゃんとついている。でもなんだか物足りない。そう,生卵がない。中国人は机まで食べるくせに(ホンマカイナ),生卵だけは苦手なのである。客も若い女性やカップルが多い。三田の吉野家に牛丼をカッ食らってる女子大生がいるか。東洋史にはいかねないのだが…。 -- 6 -- 現代北京のCM状況について少し触れよう。洋服がデパートで山のように売られている。高級ブランドからバーゲン物まで,北京の人々の消費意欲を掻き立てる。「男人穿紳士,女人愛紳士」。これは「紳士」というブランドのコピーである。訳すと「男は紳士を着る。女は紳士を愛する」ということになる。女は紳士を愛するのであって,紳士を着た男を愛するのではないと見たが,いかがであろうか。「農夫山泉」なるミネラルウォーターの広告もよく目につく。「農夫」は天然,健康,安全のシンボルで環境にやさしい語感を持つ言葉として最近もてはやされている。これが「農民」になると途端に,ダサい,暗い,貧しいに変わってしまうのだから,毛沢東も草葉の陰で泣いていることだろう。 「非常可楽」という飲物がよく売られている。杭州の娃哈哈(ワハハ)集団が作っているコーラで「中国人自己的可楽」がキャッチフレーズである。決してアメリカ帝国主義文化を無批判に受け入れているわけではなく,これは中華民族が生み出した固有の飲料なのだとでもいいたいのだろうが,アヘン戦争のときのアヘンを外国から輸入するくらいなら自国で栽培したほうがよいという議論に似ている。それにしてもこの味はコカコーラのパクリである。「非常可楽」はどう訳すのか。「大変楽しい」。ちょっと平凡。「とってもコーラ」。なんだかわからない。この「非常」は“FUTURE”をもじったものだそうで,“Future will be better”のコピーが添えられている。それを信じる日本人は少なくなったが,中国人はどうなのであろうか。この11月1日には第5次全国人口普査という国勢調査が挙行される。あけてビックリ15億なんてことがなければよいが。 -- 7 -- 閑話休題。この雑文を同業者に多少なりとも読んでいただけるのは,最新の図書館情報が付いているからだと信じたい。そこで今回も書かねばならない。 まずは中国国家図書館。そういってもタクシーの運転手には通じない。確かに正門の石の表札にはでかでかとそう書かれているが,中に入るとあちこちに「北京図書館」の表示があり,名前以外に何が変わったのかがよくわからない。相変わらず正門は閉鎖してあり,左裏口から入る。入館する前にかばんを預けるところがあり,0.5元取られる。まず閲覧カードなるものを5元出して発行してもらう。「動くな」といわれ,何をするのかと思ったら電脳で写真をとられた。次は善本室に入るための儀式が必要である。3階にある国際交流室に行き,紹介状を書いてもらう。国際交流室自体が紹介状を求めるが,ないといえばパスポートでかまわない。この第一関門を突破すれば,善本室に突入できる。 善本室の館員は特殊技能からか移動が少なく,5年前から顔ぶれが変わらない。善本は収費と称して現物は1冊につき(1帙ではない!)5元,マイクロだと1巻につき2元をとるようになった以外は,応対も含めてずいぶんよくなったように感じる。とかく北京図書館の悪評を聞いていたので意外であった。しかし次の瞬間その疑問は氷解した。写真の委託料金を尋ねたら,1枚なんなんと180元という。思わず耳を疑ったが,まさに「あにこの理あらんや」である。もっとも後から聞いた話によれば,善本の性格によって60元から180元まで幅があるそうだが,それにしても暴利である。途端に手で写す元気が出た。時給は軽く5000円にはなるのである。 さて,中国国家図書館で昼飯を食べる方法は,カップ麺や焼餅を買うなどいくつかあるが,オーソドクスなのはランチを食べること。【1】4元,【2】6元,【3】9元の3種類あり,米飯に加えて数ある惣菜の中から【1】は2種類の素菜,【2】は1素1葷,【3】は2葷が選べる。ここでいう「葷」とはすなわち「なまぐさ」,早い話肉が入ってるかどうかということなのだが,なぜここで仏教的道徳観が試されなければならないのか。さらに,それぞれ食器の押金(敷金)として5元ずつ要求される。この押金,どこで返してくれるかといえば,食器返却口にお兄さんが5元の札束を持って立っており,食器を返しに来た客に1枚ずつサービス?する仕組みである。確かにこの方法だと食器を返しに来る。考えたものである。 善本室の開館時間は9:00−11:45,13:00−16:45であるが,午後は例によって16:15になると店仕舞いした方が賢明である。 科学院図書館は“馬上”ならぬ“ロバ上”のかいがあって,1997年9月に友誼賓館の北門対面に越して来た。「中国遥感衛星地面站」というどう見ても漢籍とは無関係な看板がかかる建物の奥にあり,探すのに苦労する。中に入ると机やカードボックスなど,昔と少しも変わっていない。館員の親切ぶりも元のままで,名前を書くだけでパスポートも紹介状も必要なし。閲覧室もあるようでない。閲覧者は1日1人来ればいい方である。土日を除く毎日8:00−11:00,13:30−17:00が開館時間であるが,13:30に行くとまだ昼寝している。収費は1冊につき2元は北京図書館より良心的。しかもなんとここは善本でもゼロックスコピーしてくれる。手数料としては1枚0.6元だが,善本ということでそれに次のような代金が加算される。明万暦以前15元,明天啓〜清乾隆10元,清嘉慶〜清咸豊8元,清同治〜民国6元,鉛印石印4元。かりに乾隆版本1帙10冊のもので100枚のコピーを依頼すると,2×10+(0.6+10)×100=1260元となる。これは北京図書館よりはるかにましである。60元を負けてくれるところもまたよい。 余談だが,かつてとてもお世話になった女性係員のことを尋ねてみた。3年ほど前に退職して日本に行ってしまったとのこと。日本の住所を教えてもらい帰国後そこに葉書を出したら,番号を教えていないのに本人から電話がきた。「私の夫は××です」。「××」は私のよく知っている日本人。一瞬耳を疑ったが,いやはや「事実は小説より奇なりと申しまして」(このギャグ知ってると年がばれる)久々に動揺した次第である。 北京大学図書館の古籍特蔵閲覧室はアメリカの資金援助でとても立派に変身した。工具書が充実して皆開架で見られる。旧燕京大学や旧北京大学所蔵の漢籍もここに収まったので見やすくなった。閲覧の際には紹介状がいるみたいだが,5年前に北京大学に「いたことがある」と主張したことや主任が顔を覚えていてくれたことなどが幸いして今回はパスポートだけで済んだ。開館時間は8:00−11:30,13:00−17:10で,土曜日は隔週で開く。収費は普通本1冊1元,善本だと2元,写真は全体の3分の1を超えないことを条件に1件につき工費として2元,写真代0.5元の他,宋元孤本28−40元,明嘉靖以前12元,明末清初6元,普通古籍5元以下,とまあ常識的である(1999年9月決定)。もっとも5年前はここまでではなかったのだから,「常識的」と思う方が非常識なのであるが。 中国第一歴史檔案館に入る時の合言葉は「来たことがある」。今回もこれで故宮西華門はフリーパス。制服の門衛はただの人。権限は小屋の中にいる下着姿のおじさんにある。おじさんがいいといえばそれまでである。さあ,今日も元気に「来たことがある」と唱えよう。開館時間が土日を除く毎日8:00−11:30,13:00−16:00であるのは以前と変わらない。写真はマイクロがある場合には,1件につき2.5元と最も良心的。2,3週間かかるが,本人が取りに来てそこで金を払うのが条件であるため(郵送不可),短期滞在で急ぐ場合はだめである。また大量に頼むと拒否され,ひたすら手で写すことが求められる。館員は親切だし,開館時間もきちんと守られているので,写真を大量に頼めるのなら「北京第一名人民模範図書館」に推挙したのだが…。 ちなみに故宮西華門にあった西華門茶園の運命に対する筆者の目には狂いがなかった。早い話がやはりつぶれていたのである。仏具屋に変身していたため,最初はまさかと思ったが,そこが元の店だという証拠として軒の柱にJCB使用可のシールが残っていた。仏具はいくら何でもJCBは使えない。冥福を祈って合掌。 -- 8 -- さて,再び話を食べ物に戻そう。今回のイチオシは何といっても朝陽門の近くの阿凡亭である。この店は最近多くなった新疆ウイグル料理屋の1つ。要予約なのに予約なしでも入れた。予約席とは異なり,真中の硬いテーブルにクロスをかけただけの席に案内される。ちょっとガタガタするのはやむをえないか。店は新疆風に調度され,ウエートレスも民族衣装に身を包む。運ばれてきた羊肉串,檸烤牛肉やピラフなど,なかなかに美味である。舞台が始まった。踊りや楽器演奏など,こちらも本格的で,なかなかいい店を見つけたと思った…はずだった。 出し物が終わってしばし休憩かと思った矢先,ロック演奏が始まり,それとほぼ同時に真中の席にいた客たちがそのテーブルの上に土足で上がって踊り出したではないか。まさにお立ち台である。パラパラならぬバラバラで踊っているのであるが,なんだか楽しそう。へそ出しキャミソールのお姉さんやぴちぴちジーパンに髪を肩までたらしたそれ風のお兄さんも出てきた。だんだん数が多くなる。そりゃそうと,踊りの振動が我々のテーブルまで伝わってきて,皿やコップが飛び跳ねる。後からわかったことだが,店の名刺には,「歌舞表演」「民族音楽」「新派新疆菜」の他に「卓上狂歓」Table Dancingなるものがあり,これもまたこの店の売り物なのである。毎夜2:00までこれが続くのだとか。ガイドブックには「要予約」とあるが,その意味をはじめて納得した。 最近こんな店があちこちでできたようだ。その草分け的な場所の三里屯酒吧街で実地調査した。三里屯酒吧街は2年半前にようやく注目され始めた飲み屋街。ネオンにはさらに磨きがかかっていた。なつかしの店,男孩女孩に入ろうとしたが,ロック音楽ガンガンの薄暗いなかで洋酒に興じる中国人で超満員。仕方がないので,他の店を探すが,どこもいっぱい。「老板(ダンナ),100元でいいコいるよ」とのたまうそのスジの執拗な誘惑を振り切ってJAZZ−YAに飛び込んでホッとする。三里屯はもうすぐ六本木になるかもしれない。 酒吧街は三里屯に限らなくなった。動物園の近くにもこうした飲み屋街が出現している。そのうちの1つ海帆酒吧に入る。やはり薄暗い店内でカクテルを楽しむカップルでいっぱい。学生アルバイト風の生演奏がある。どういうわけか中国の最新ヒット曲とオールドアメリカンポップスが交互に演奏されて若干の違和感があるものの,周りはそんなことお構いなしで盛り上がる。往年の米軍キャンプなんてこんなものだったかもしれないが,客の大半が若い中国人なのだから,「ここはどこ?」という気分になる。やはり2:00まで営業だとか。かくして北京の夜は更けてゆく。 -- 9 -- ところで,今回は懸案であったことをやり遂げ,シドニーで約束通り金メダルを取った田村亮子のような充実感に浸っている。というのは,《北京餐庁情報》の読者の1人から「この情報に火鍋のことが書かれていない。ひょっとすると山本さんは火鍋を食べてないんとちゃうか」との鋭いご批判を頂いていた。いやはや,お恥ずかしい次第で(何が恥ずかしいのかよくわからないが),確かに火鍋を食べたことがなかった。火鍋とは北京に数年前から流行りだした唐辛子鍋なのだが,第一なかなか1人では食えないし,北京には有名な羊のシャブシャブがあるのでついついそちらの方に行ってしまうというのが大きな理由で,今まで食する機会がなかった。 ところがその機会は意外なところでやってきた。北来順飯荘を護国寺賓館のすぐ近くで発見してしまったのである。東来順は有名な涮羊肉の店。西来順,南来順もそれぞれ白塔寺近くや大柵欄にある回民料理屋であり,それらの存在は確認していたものの,北来順だけは見つからなかったのである。その嬉しさも手伝って思わず1人で飛び込んだ。北来順もまた?羊肉が中心の店だが,新しい売り物に肥牛火鍋があるではないか。ここで退却しては一生批判にさらされる。そこで,悲壮な決意の下,火鍋に挑戦する羽目となるに至ったのである。 やがて運ばれてきた鍋は地獄鍋。ケチャップをどろどろに溶かしたような液体にタカの爪がおびただしく浮いてグツグツいっている。肥牛がきた。肥牛とは「肥料にするくらいの牛」ではない。最近出現してきた。「脂の乗った牛」のことで,「河北の近代的な牧場で丹念に育て上げ,イスラム教の様式にのっとって処理した上質の牛肉」というだけあって旨い。でも辛い。また性懲りもなく挑戦。旨い。でも辛い。レタスはスープを吸ってさらに強烈である。口から火が出る,顔から汗が出る。北京の人はこれを湿気の強い真夏に食べて暑気払いをするというが,確かに手荒なサウナである。唐辛子は血行をよくするので健康によいというが,本当だとはとても思えない。 よせばいいのに羊肉をもう一人前注文する。ウェートレスはこの外国人,いったい何考えてんだろうと怪訝な顔で注文に応じる。何も考えてない。北来順まで来て羊肉を食べなかったとすれば,やはり北京に初めて来て長城に行かないようなものである。羊肉はやはり美味であった。ああ,涮羊肉にしとけばよかったという思いが一瞬脳裏をよぎったが,ルツボと化した胃袋が「人生何事も経験である」と諭してくれた。 -- 10 -- 北京最後の夜,1人で何を食べようか迷っていた。そういえば今回14泊した護国寺賓館の餐庁は朝飯ばかりで1日も夕食を食べたことがないのに気がついた。義理は果たさなければならない。実は燕京王ビールがあるのを見つけ,もう一度それを飲みたいだけのことであったのだが。料理については,今晩は控えめにと思い,木樨肉(ムウシイロウ)を注文した。定番の豚肉ときくらげ,卵の妙め物だが,運ばれてきたものにはニンニクの芽が一緒に入っている。1人前注文したところで,それを無視するかの量が出てくる。出されたものは食わねばならないという妙な義務感を感じ,一皿全部平らげたのが運の尽き,あのニンニクの芽は何か覚醒剤でも入っているのか。腹はギュルギュル,目はランラン,明朝6:30出発だというのに全く眠れない羽目になってしまった。昨日火鍋で痛めつけた胃袋がさすがに文句を言ってきた。彼にはすまないとは思いつつ,「人生何事も経験である」と諭すのだった。
補 記 本稿は2000年8月29日−9月18日の体験に基づき,同年10月2日に書いたものである。 おわりに 考えてみれば,滞在時間の長短はあるにせよ,北京に1993年以降,ほぼ毎年何らかの理由で足を踏み入れてきたことになる。その間の北京における変化の激しさについてはこれまでに記したとおりである。残念ながら新世紀になってからの北京をまだ知らない。だが,北京はいまもなお時々刻々変態を遂げているに違いない。 王府井はどうなっただろうか。あまり張り切りすぎて厚化粧が剥げねばよいと老爺心ながら心配する。東方新天地には無事テナントが入ったのだろうか。阿凡亭ではまだピチピチ兄さんが踊っているのだろうか。周恩来の好きな肉団子の元祖と名代を争う無名居と恒祥居はどちらに軍配があがったのであろうか。あれこれ興味が尽きない。 ところで,この20年間,北京の人々は環境の激変にどう対処しているのだろうか。その変化の度合については世界のどの都市も北京の右に出るものはないであろう。でも,北京の人々はものすごくタフである。そんな状況をものともせず,人民服からスーツに着替え,ケ一夕イ片手にハンバーガーに噛りつく。『荘子』によると,大椿という大木は8000年を春とし8000年を秋とするという。さすれば,この20年くらいの変化は大椿にとってみれば,たかだか半日にも満たない微変動であったにすぎないことを肝に銘じておかねばならない。
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