CASニューズレターNo.110(July 2001)より転載 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北京餐庁情報:見聞き驚き食べ歩き(3) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山本 英史 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
V 北京餐庁情報二編(1995年) -- 1 -- 「万物は流転する」という法則は昨今の変化の激しい北京の餐庁にも同様にあてはまる。いや全くこの激しさは何なのか。ガイドブックが追いつけないのも無理はない。というわけで,「北京餐庁初編」で紹介した内容にも多少の修正を加えざるをえなくなった。大方の批判を被りたい。 -- 2 -- さて北京大学の周辺であるが,ここのところ御無沙汰しており,何が変わったのかよくわからない。太陽村酒楼がさらに一段とさびれてきたことくらいか。そうそう,海淀のバス亭の道路向かいに高麓亭という韓国伝統料理屋と称するきれいな店が開店した。一度行ってみたいと思っているが,相棒がいない。S先生は浙江で行方不明になっているし,リンボクさん【1】は地震で帰国してしまった。他のひとたちもそれぞれに忙しく,なかなかチャンスがない。焼肉とシャブシャブはなかなか1人では入りにくい。募集相棒,委細面談。 シャブシャブといえば,王府井で臨時に営業している東来順飯荘本店に行ってきた。ところが,がっかりだったのは鍋が小さな個人用になっていて,おまけにタレも1種類しかなかったことである。場所も何だか怪しげなところで,天井にミラーボールがあるところから推してディスコを強制買収したものと思われる。雰囲気と安さでは海淀分店の方が断然よい。 東来順とならぶといわれた民族餐庁は廃墟になっていた。老人たちが列をなして並んでいるので,みんなシャブシャブが好きなんだと思ったら大違い。これから芝居が始まるそうだ。シャブシャブ?と怪訝な顔をされ,それなら隣に行けと言われた。確かに隣の民族飯店でも昔は同様に美味しいシャブシャブが食べられた記憶があった。だが,今は火鍋餐庁になっており,涮羊肉 は鍋料理アラカルトの1つになり下がっていた。おまけにステンレスの鍋が出てきて…。アララ,煙も出てきた。テーブルが焦げているではないか。小姐は「没事儿」(心配ない)というがどこが「没」なのか。テーブル代が加味されたのか3人で400元近かった。 阜成門内の能仁居に行くときには注意することが2つある。1つは遅く行かないこと,2つは3人以上で行くことである。17:00の開店と同時に満員になるため,席がないとひたすら待たされる。待たされた挙句,順番を守らない客とそれを整理しない店員のためにストレスが溜まってくることは疑いない。早目に行こう。早目に行っても2人だとスペシャル席が用意されている。早い話が通路の席である。いろんな人が通る。肉も通る。鍋にぶつかってひっくり返される危険がある。小姐の態度も気のせいかそっけない。それに寒い。 能仁居の通りは別名シャブシャブ通りというとのことで,シャブシャブ屋が軒を列ねている。JTBの『ひとり歩きの北京・上海』(1994年4月1日発行)の87頁で紹介されている「北京西城順大餐庁」を探したが見当たらない。その住所には恒大餐庁という別の店がある。そういえば87頁の写真はこの店ではないか。どうも近くにある西来順飯荘と混同しているのではなかろうか。ちなみに西来順飯荘は決して東来順のまがいものではなく,それなりに立派な店である。大柵欄に南来順という店がある。誰か北来順を知らないか。 -- 3 -- つぶれた店といえば早かったのが西直門にあった陳家麻婆豆腐店である。一昨年の秋に開店したばかりというのに1年あまりでなくなってしまった。そういえば「陳家麻婆豆腐店」という看板の「豆」が抜け落ちていて「陳家麻婆腐店」になっていたのが少々気になったが,本当に腐ってしまった。やはり地元の成都で食べるのがよろしいのでは。 前門に致美斎飯荘という200年以上の歴史を持つという店を探したがわからない。ガイドブックにはしばらく閉鎖されていたがやっと開店したと書いてある。それとおぼしき場所で地元の人に尋ねたら,コレコレと指さしてくれた。そこにはネオンに煌々と輝く全聚徳快餐庁のビルが建っていた。 反対に復活した店に西四の沙鍋居飯荘がある。これまた北京で200年の歴史を持つ庶民料理の代表的な店といわれるが,3年間に4回行ってともに修理中でふられたという,涙ぐましい体験のある店である。昨年暮に開店したという『北京晩報』の情報を唯一の手掛りに5度目の挑戦を試みた。確かに「夢」は実現された。ところがどっこいそこにあったのは香港美食城も顔負けのピンクの外装を施したドえらく立派な店だった。味はといえば…。きっと200年以上取り替えたことのないといわれるタレは3年間の休憩中にダメになってしまったのだろう。その素朴さが憧れだった田舎娘が突然化粧を塗りたくって現れたような気がした。 珠市口にある山東料理の老舗,豊澤園飯荘の変容ぶりにも驚かされた。この店はかつて特権幹部たちがタダ飯を食べるので有名になった店で,それなりに同情を寄せていたのだが,何とシンデレラ城ではないか。北京広しといえども,大型ビルがすべて1軒の餐庁というのを見たことがない。公費天国で太ったとしかいいようがない。 西四にある朝鮮冷麺の老舗,延吉餐庁もきれいになった【2】。いろいろなところに分店を出してそれなりに流行っているらしい。昔,北京図書館が北海にしかなかった頃,昼食によく利用したが,そりゃー辛かった。唐辛子の海の中に麺が泳いでいるというのが適切で,肝炎菌もこの辛さで死滅するという噂のシロモノだった。これも最近マイルドになったのではないか。人間いや餐庁もメジャーになるとロクなことはない。 -- 4 -- 最近開拓した店は東城区のもっぱら美術館周辺に限られる。美術館後街にある老三届餐庁は昼飯にちょうどよい。ニラ玉は6元と安くてお勧め品。それに食後の内蒙奶茶(内蒙古馬乳茶)がまたよい。2元でも安い。どういうわけか毛沢東が祭壇におさまっている【3】。ちなみにこの近くのコダック専門店は現像技術がよく,おまけに焼付け1枚1元未満である。 南に降ったところにある白魁老号は名前の通り老舗のイスラム餐庁である。店の外観は少し臆するが,中は案外きれいである。だが,なぜかここで食べた葱爆羊肉(羊と葱の抄め物)はたいしたことなかった。 王府井大街を南に少し入ったところに順府餐庁がある。いかにも北京らしい名前であるが出てくるものは広東風。値段も少々高いのは「銀座」に店を構えているせいか。その近くにビデオ販売専門店がある。たいていのものなら揃っている。中国のビデオは日本と基準が異なるそうだが,『新婚生活−実写編−』なんてなかなか面白そうである。間違っても中年編を買ってはいけない。なお,この近くで王府井新華書店が元日に開店したが,実態は外文書店に間借しているにすぎない。質量ともに往時に比すべくもない。 日参したのは美術館の前にある正大餐庁という個人経営の小さな店。おとなしそうな主人とドツキ漫才の照司なんとかにそっくりな小姐がいる店であるが,味はなかなかのもの。北京料理と銘打っているだけに少ししょっぱいが…。 その隣には前にも紹介した西双版納【4】風タイ族料理の店孔雀苑酒家がある。名物料理を確かめるべくS先生と再度乗込んだ。竹の中で蒸した御飯や料理はとても美味しかった。もちろんタイ米である。タイ米はタイ料理ではじめてその特性が活かされる。日本米にタイ米を混ぜるなどという発想はどこから来るのであろうか。国際化を進める政府の国際感覚たるや,このようなものである。タイ米に偏見を抱いている人は是非一度孔雀苑酒家に来ればよい【5】。 ついでながら美術館周辺にある富士フィルム専売店を紹介しておこう。筆者の仕事の関係でこの店に1600元ほどつぎこんだこともあってなかなか愛想がよい。技術もよく,同時プリント1日おきで18元は安いのではないか。私が日本人だとわかると20代前半と思われる小姐が「ミシミシ」【6】と反応してきた。これは恐ろしいことである。日本=ミシミシという感覚が今どきの中国の青年層にもあるのだろうか。そういえば露店のおもちゃ屋に日本刀が売られていたが,鞘のところに「天皇刀」と記されていた。「天皇」の名の下に斬られた人々の怨念を見る思いがした。 -- 5 -- 話は違うが,市の東南にある潘家園古玩市場で毎週日曜に露店のガラクタ骨董市をやっている。S先生とY夫人が早期開拓者であり,新石器時代の壷とかいろいろ多大な収穫成果を示しておられる。確かに面白い。自転車の部品から生活用品,白磁青磁はもちろん唐三彩から果てはどこかの寺院の裏木戸に至るまで何でもある。まだお目にかかっていないが兵馬俑!?まであるそうだ。 最近契約文書が神田の古書店で出回ったと大騒ぎになったとのことだが,ここにはいっばいある。1947年の共産党支配下の地域でやり取りされた土地売買文書は興味深い。土地を売る方はともかく買う方はどんな魂胆でそうしたのだろうか。まだあるかといえばどんどん出てくる。どっからこれを持ってきたのだと聞くと自分の郷里からだという。1枚80元は高いか安いか。いいかげんに公共機関が買い漁らないとすぐに散逸してしまうだろう。店に出ているものは言い値から確実に半分以下になる。影絵を1体12元で買ったが(言い値は30元),北京飯店では同じものを120元で売っていた。骨董は真贋の判定が難しいが,本物だと信じて思い切って買うことが肝心である。友人がある唐三彩2体(1体300元)を買おうとして一瞬逡巡したのが仇となった。しばらくして戻ってみるともう売切れていた。こうしてみると逃した魚は大きいのである。どう,甲骨文字付きの牛骨3000元は? 天壇の東北部にも紅橋市場という同じような店がある。こちらは露店ではなく,しかも毎日やっている。天壇の壁を巻くようにして狭い空間に店が密集している。同様に面白グッズだらけであるが,潘家園ほど唖然とするものはあまりない。潘家園がドロボウ市だとすれば,ここはゼンニン市か。でもそれなりに掘り出し物が揃っているから決して無視できない。そういえば琉璃厰にも最近この様な店が大規模に開店した。値段はやはり前2者に比べて高い。なぜ露店の骨董を中国人が熱心に買い求めるのかわかるような気がする。 さて前置が長くなったが,そうした店での成果を昼時自慢しあうのにちょうどよいのが前門南の天橋にある仿唐飯荘である。蒸餃子のフルコースを食べさせる店で,子供たちにも喜ばれると思う。「どうだほら,骨董買えなくて悔しいだろ」などと言っているうちに大量のせいろが運ばれてきて悔しさも紛れるといった具合である。 耳寄り情報を1つ。新僑飯店の西餐庁は23:00まで営業している。味も値段もリーズナブルであるが,なにが便利かといって旅行して夜遅く北京駅に着いた時でも歩いて行けるところでまともな食事ができることである。駅前食堂で食べる勇気のない人はここを利用することを勧める。 -- 6 -- 最後に肯徳基(ケンタッキー)と麦当労(マクドナルド)について述べよう。ともに世界を代表するファーストフードの両横綱であるが,社会主義国中国にもついに定着した感がある。肯徳基は前門に記念すべき1号店を出したのだが,当初はそれなりに苦労したようである。「北京のケンタッキーだけは世界中にある店とは違うところが1つあります。それは何でしょう」というのは数年前のTV番組「なるほどザわーるど」の問題である。答えはカーネルサンダースの人形が北京大学西門の獅子同様1対あるというものだった。確かに昔はそうであったが,今は1体だけになってしまった。支店がたくさんできたための人手ならぬ人形手不足のためだろうか。中国の中国たるところだっただけに残念至極である。王府井にある麦当労1号店も頑張っている。王府井拡張に伴う立ち退き要求にも抗して着実に売り上げを延ばしている。北京では博士漠堡包(モスバーガー)をはじめとする他のライバルを寄せつけない。ピエロ人形も健在である。毎日観光客の被写体として「為人民服務」に努めている。 それにしてもどうしてこんなに中国でファーストフードが流行るのか。中国人はアメリカ帝国主義の食物は食べない。中華料理の本場では味覚音痴民族の食物は好まない。だいたい昼は充実したものを食べる。これらは中国ではファーストフードが定着しないといわれた「有力」な根拠だった。それが崩れたとき,論者は「これは中国人がその味そのものを好むのではなくて,アメリカを代表する西洋文化に対するある種の憧れを示しているということなのでしょう」といってその場を言い逃れた。だが,これももはや次第に通じなくなってきた。なるほど当初は中国人にとっては比較的値段が高かっただけに好奇心からのアベックのデート場に使われることが多かった。現在価格は相対的に高くなくなった。そのため客層も老若男女を問わなくなった。すると何かい,ヨボヨボ爺さんや腕白小僧までが西洋文化の香りを嗅いでいるとでもいうのかい?単に早飯を食べているとしか思えないのだが…。論者の釈明を求める次第である。 それはそうとして中国のファーストフードに群がる客はどうしてあれほどメチャクチャなのか。おとなしく順番を待って行儀よく並ぶという習慣は全くない。店員の方も割り込み客を咎めようとしない。従って早いもの勝ちなのである。これは日本のそれと決定的に違うところであり,逆にいえばファーストフード店が中国にそれだけ定着した証拠でもある。昼はマックで簡単に済ませようと思っているととんでもないことになる。ハンバーガー1個ゲットするのにそれ以上のエネルギーを消費する。それがマック本社の戦略でないことは確かなようである。それにやはり気になるのが大量に出る紙屑である。中国でこのような店が定着することは果たしてよいことなのだろうか。 オチがつかなくなってしまったが,続編であることで御寛恕願いたい。恭禧發財 萬事如意 食在北京 ともかくこの偏見マニュアルが皆様の春節暇つぶしになれば幸いである。
補 注
補 記 本稿は北京滞在も残り2カ月足らずになった1995年1月に書いたものである。最後に当時体験した文献収蔵機関で知りえた情報を付した。
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