W39

ステーション=ロードの堰堤とよぶ。パレード=ロードからカントンメントに向かうステーション=ロードを,約120メートル進んだ地点を,ほぼ南北に走っている。附図.E-9
この堰堤は,現在,ステーション=ロードによって切断されているが,その南の部分は,やがて東に転じ,さらに南方へ曲折している。この部分は,割り石と漆喰とからなる構築物が,はっきりとのこっているが,水門は一つも認められない。道路の北側は,ジャングルにおおわれていて,この部分の堰堤は崩壊が著しく,道路から100メートルほどの地点にある水門もまた,ほとんどくずれてしまっている。この水門には,東西にはしる流水孔がそなわっているが,現在では,水門の南の部分に,レベルを異にする二つの小さな流水孔の出口が認められるにすぎない。この水門の東側には,近代の,半円形の障壁があって,この水門を保護している。この水門のすぐ南側には,堰堤に接して,同時代と思われる建造物があるが,現在では入口と壁の一部をのこして,まったく崩壊してしまっており,その本来の状況はわからない。おそらくは,支配層が,狩猟やその他のリクリエーションのために用いた建物であったと思われる。第Ⅱ期。
東研.Ⅰ-7;ASI.Ⅳ-139

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