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バルバン(Balban)の墓と伝えられており,クトゥブ=ミーナールの南南東約700メートルにある。附図.F-13
この墓は,本来,三つの部屋からなっており,中央の,四角平面をもつ主室は,四方に入口を開いている。東西の側室は,南北に長い長方形であるが,現在では廃墟と化し,西の側室は,まったくくずれおちてしまっている。主室のドームはいまはないが,内部の一隅にはスクィンチアーチがのこっていて,その特徴は,デリーのイスラーム建築史のうえで,問題とされてきたものである。建物の表面を漆喰で仕上げた痕跡が,ところどころにうかがわれ,とくに,南正面入口の附近には,漆喰文様の断片がのこっている。これらのものが,本来のものかどうかは,なお疑わしいが,注目されるところである。これまでの研究者のほとんどすべてが,この建物を,奴隷王朝後期のスルターン=ガヤースッディーン=バルバンの墓と信じて疑わないが,実は,それを裏づける確証はないのである。
このバルバンの墓とされる建物の約50メートル南方に,四角平面で,ピラミッド型の屋根をもち,東を除く三方に入口を開く建物がのこっている。この建物の東につづいて,壁やその他の構築物の痕跡がみとめられる。ASIは,この建物を,墓としているが,現在,墓石はなく,おそらくは,囲壁をもった門であったかもしれない。この建物は,その北方にある,バルバンの墓といわれている建物と,構造・様式上,類似点をもっており,おそらくは,同時代に,関連をもって建てられたものかもしれない。第Ⅰ期。
東研.Ⅸ-26,135;ASI.Ⅲ-147,148

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