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ジャハーンパナー(Jahanpanah)の城壁として知られている。ラーイー=ピトーラーの城砦の城壁の東北隅から,東北東に約3.2キロメートル走り,そこから,北北西に約1.6キロメートルのびて,シーリーの城壁の西端につらなる。一方,ラーイー=ピトーラーの城壁の北西隅から,東北に約1.2キロメートルのあいだ,その痕跡をたどることができる。附図.F・G・H-12
現在では,ラーイー=ピトーラーの城壁の東北隅から,ハウズ=ラーニー,キルキーの両部落を経て,東北東に一直線に,約3.2キロメートル走る南城壁に,明瞭な石積みや,大きなバスティオンの痕跡を認めることができる。この南城壁の一部に,サート=プラとよばれる大水門がつくられており,この南城壁が,同時に,堰堤の役割りをもはたしたことを示している。現在では,この南城壁のところどころに,近代の水門や排水路が設けられている。ジャハーンパナーは,トゥグルク朝のスルターン=ムハンマド=シャーが,当時のデリーすなわちラーイー=ピトーラーの城砦と,シーリーの城砦とを結んで,新しい都市の建設計画を推進しようとして構築したものであることが,同時代の文献に記されている。第Ⅱ期。
東研.Ⅷ-48;ASI.Ⅲ-214

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