15/07/21 | ||||||
空飛ぶマダム・バタフライ ~JAL創業時のおもてなしと日本へのまなざし[1]
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内容紹介 本文
オペラの定番「マダム・バタフライ」に、蝶々夫人が船を待つシーンがある。障子の窓越しに海を眺めて、恋人のアメリカ海軍士官のピンカートンの乗る船を、今か今かと心待ちにする。マダム・バタフライの設定は19世紀末の長崎。蝶々夫人は、かつては芸者で、甲斐甲斐しくアメリカ人男性につくす。そして彼女がまとっているのは、袖が蝶々の羽のような着物。「マダム・バタフライ」の初演は、1904年のことだった。
Here on the fastest jet in the Orient, kimono-clad hostesses make you feel cherished and important, make sure you arrive refreshed and relaxed.
当時客室乗務員は英語で「air hostess (エア・ホステス)」という呼び方があり、JALでも一時期「ホステス」が 広告でも使われていた。「スチュワーデス」に統一する以前のことだ。そしてJALの客室乗務員は、フライト中しばらくの間、着物に着替えておもてなしをする。これを社内では「着物サービス」といった。このサービスは、国際線定期便が就航した1954年に始まり、その後1990年まで36年間続く。
しかし、こうした半世紀以上前の広告を見て、ステレオタイプだと怒って終わっては芸がない。そしてその絵柄や字面だけを分析してもつまらない 。ステレオタイプでおもしろいのは、そのプロセスを考えることだろう。空のオリエンタリズムを仕掛けたのは、一体誰で、それはなぜ?また、広告は各地の支店で国境を越えてどう形を変えたのだろう?
着物姿の「ホステス」が、お盆の上に徳利と盃、それにシャンペングラスを載せている。 そしてコピーはこうだ。 Now…fly the Pacific as Japan’s “Personal Guest” 現在、機内で客室乗務員が万博さながらに民族衣装をまとい、きめの細かいサービスを売りにするエアラインはいくつもある。しかし、空のオリエンタリズムは、東京からサンフランシスコ行きのJAL第一便から始まった。
では、空のオリエンタリズムを考案したのは、一体誰だろう?調べて行くうちに、意外な人物に行きあたった。着せ替え人形「バービー」の仕掛人で、 マーケティング心理学の大物、アーネスト・ディヒター(1907−1991)だ。オーストリア出身のディヒターは、フロイドの影響を受けた精神分析でウィーン大学から博士号を取得。30歳を過ぎてアメリカに移住する。消費者への綿密なインタビューを通じて、「motivational research」と称して消費の動機を分析し、アメリカでおなじみの商品やブランドの戦略をいくつも手がけた。バービー人形の立ち上げの際には、少女が「大人になったらこうなりたい」と憧れるパーフェクトボディと、取っ替え引っ替えおしゃれをする楽しみで、遊び手の少女だけでなく、お財布のひもを握る母親の心理もくすぐった。[4] JAL does not only have the job, of course, of selling the flight, but also of selling Japan and the Orient. [5]
「日本と東洋を売る」具体的な方策として、ディヒターはきわめて普通のアメリカ人が心に思い描く日本のイメージを大切にし、「東洋のロマンスとミステリー」を漂わせよ。そして、サービスでは「the thinking up of minute little details to please the customer (お客様にお喜びいただくために、どんなにささいなことにも気を配る)」ようにすべきだと提言した。[6] Concentrate on service, capitalize on the JAL hostess, put her in kimono to stress her attractive Japaneseness… in short, make her the believable symbol of Japan Air Lines.[7] この提案はJAL幹部にとって、晴天の霹靂だっただろう。JALの国内線は1951年、つまり国際線の3年前に就航している。しかし創業時に「日本を売る」ことを意識したサービスやデザインはほとんどない。客室乗務員はグレーのフレアスカートの制服を着用。当時欧米のエアラインで一般的なミリタリー風だ。着物の着用はなし。むしろポスターやロゴなどは プロペラ機をモチーフにし、「国際性に富むスマートなもの」を目指していた。[8]これがサンフランシスコ線就航を機に、国際的な未来志向のデザインから、日本の伝統志向へと大きく方向転換する。そして、JAL社内には、「日航の切符を売る前に日本を売れ」[9]というスローガンが生まれる。
では、なぜJALは「日本を売る」ことに踏み切ったのだろう?それは太平洋線の顧客獲得には 、アメリカのエアラインを利用しているアメリカ人男性客を取り込むことが急務だったからだ。
エンパイヤーステイトビルから富士山の鳥居に向かう飛行機のイラストが描かれている。飛行機は、第二次大戦中に日本を爆撃したB-29の後継機であるストラトクルーザー。メインのコピーは、 Fifth Avenue to Fujiyama…2305 minutes!
これに対して、JALは1954年から4年間『The New Yorker』にモノクロ広告しか掲載できない。雑誌の後ろの方に、小さな囲みの広告を出すのがやっとだった。
ただ同時に本物でありさえすれば、高尚なハイカルチャーとは限らない。アメリカ人にウケることは、それが庶民の文化でも積極的に取り入れた。たとえば、1956年には乗客にはっぴの貸し出しを始めて大人気を博す。どうぞ背広を脱いで、ゆったりした「happi coat」に着替えリラックスをというものだ。結果としてJALの機内は、 祭りと屏風絵が混在するような空間となる。
この広告は中国語版も作られ、内容は英語から中国語に忠実に訳されるが、一文だけコピーの文章が削られている。それは冒頭にあげた「お客様が目的地に清々しく、リラックスした気分でご到着していただけるよう、着物をまとったホステスが心づくしのおもてなしをいたします」という文だ。 現在本にまとめていることを、ダイジェスト版でご覧いただいた。2015年は年頭から1年間、東洋文化研究所に訪問研究員に置いていただき、たいへんに恵まれた環境の中、JALアーカイブズセンターの資料の山と格闘を続けている。 脚注 [1] このリサーチは香港政府研究資助局(HKU 749308H)に助成を受けた。 ↑ [2] Japan Air Lines. 1985. The History of Japan Airline’s International Advertising 1954-1984, unpublished catalogue. ↑ [3] Japan Air Lines. International Advertising. ↑ [4] Schwarzkopf, Stefan and Gries, Rainer, ed. 2010. Ernest Dichter and Motivation Research: New Perspectives on the Making of Post-war Consumer Culture. London: Palgrave Macmillan. ↑ [5] Dichter, Ernest. 1953. “A Psychological Analysis of the Advertising and Sales Problems of Japan Air Lines,” a memorandum to Dave Botsford, Jr., July 28, P. 10. ↑ [6] Dichter, “A Psychological Analysis,” p. 7. ↑ [7] Japan Air Lines. International Advertising. ↑ [8] 「日航の社章決定す」, 『航空時代』復刊第一号. 1951年11月1日, p. 23. ↑ [9] 日本航空. 1971.『日本航空20年史, 1951-1971』, p. 125. ↑ [10] Northwest Orient. 1953. Advertisement, http://library.duke.edu/digitalcollections/adaccess_T1542/ (accessed July 4, 2015). ↑ [11] Shibusawa, Naoko. 2006. America's Geisha Ally: Reimagining the Japanese Enemy. Cambridge, Mass: Harvard University Press. ↑ [12] Japan Air Lines. 1954. “Japan Air Lines Spans the Pacific,” press kit, San Francisco. ↑ [13] Japan Air Lines. 1961. Advertisement, 華僑日報, September 21. ↑ |
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中野 嘉子 香港大学 文学部日本研究学科 准教授 プロフィール http://www.japanese.hku.hk/staff/YNakano.html |
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