05/02/08 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
漢字研究情報センター図書室紹介 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
―漢字文化の宝庫― | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
藤井律之 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(京都大学人文科学研究所東方学研究部助手) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
漢字情報研究センターは、漢字文献の国際的情報交換の拠点として、2000年4月に東洋学文献センターが拡大改組されたものである。前身である東洋学文献センターも1965年に京都大学人文科学研究所の附属施設として開設されたものであり、そもそも人文科学研究所自体が、1949年に東方文化研究所、西洋文化研究所、人文科学研究所の三機関の統合によって誕生したものである。漢字情報研究センターは、これら三機関のうち、もっとも古く1929年に設立された東方文化学院京都研究所の系譜に連なる。
上述のように、漢字情報研究センター自体の歴史は浅いものの、東方文化学院京都研究所時代から数えれば75年以上を経ており、その建造物もそれとほぼ同じ年数を経ている。漢字情報研究センターが位置する白亜の建物は、1930年に竣工、スペインの僧院を模したロマネスク様式のもので、中央の尖塔の内部に書庫、それに隣接する閲覧室をもち、中庭を回廊のごとく研究棟が囲繞するかたちとなっている。また2000年には文化庁の「登録有形文化財」に指定された。設計を担当したのは当時まだ27才であった東畑謙三である。 設計段階で東畑が腐心したのは、膨大な量の書籍を如何に効率よく収蔵するか、ということであった。東畑の話によれば、10万冊分収蔵可能な設計図を提出したところ、東方文化学院のスタッフからクレームがついたため、容積計算をして納得させたという。また尖塔内部の二階、三階、四階部分を漢籍書庫として立体的に使用しているが、採光のために床板に透明のガラスがはめ込まれた箇所がある。これも東畑の創意によるものであるが、お世辞にもスリムとは言い難い筆者はガラス板を避けて通っている。無論これは杞憂ではあるが、やはり当時のスタッフもガラスの強度に不安を抱いたらしく、東畑は充分な強度を有することを説明して同意を取り付けたのであった。
漢字情報研究センターの収蔵図書は多岐にわたるが、詳細はホームページの説明にゆずることとして、尖塔内部の漢籍書庫に関して述べることとする(ちなみに雑誌と貴重書は地下、和洋書と新学書は別棟に収蔵されている)。 先程、二階から四階を立体的に使用していることを述べたが、大きく分けて二階に経部と史部、三階に叢書類、四階に子部と集部、および内藤湖南などからの寄贈書が配架されている。近年、地方誌の収蔵量が増えてはいるものの、ほぼワンフロアを占めていることから分かるとおり、叢書の種類・量ともに多いのが特徴であり、東方文化学院設立以来の方針によるものである。 東方文化学院の蔵書の基幹となったのは、天津の銀行家であった陶湘の蔵書約28,000冊であり、購入の仲介をしたのは当時北京に留学中であった倉石武四郎である。陶湘を実見した吉川幸次郎は彼のことを土豪劣紳の類と推測したが、蔵書の傾向も当時の大官僚のそれとは確かに異なっていて、宋元版などではなくもっぱら新書−清朝の書籍、とくに殿版や叢書を数多く所蔵していたのであった。どの様ないきさつによって陶湘が蔵書を売却しようとしていたのかよくはわからないが、当時の京都帝国大学に新書の如き「普通の本」が無いことを嘆いていた倉石にしてみればまさしく渡りに船であったし、何よりまた、天下の孤本よりも研究に有用な書籍を蒐集するという東方文化学院の方針と合致していたのであった。 ただ、東方文化学院が購入した陶湘の蔵書は必ずしも清朝のものとは限らない。例えば、倫明は次のように述べる。「(陶湘の蔵書のうち)叢書類は全て日本に売られたが、誤って『石倉詩選』の完本500冊を売却品にいれてしまったのは、極めて惜しむべき事である」(倫明『辛亥以来蔵書紀事詩』)。『石倉詩選』とは明の曹学佺が輯めた『歴代詩選(石倉十二代詩選)』のことで、陶湘から購入したのは崇禎四年序刊本である。それに加えて「禮邸珍貦(玩)」、「豊(禮)府蔵書」、「檀尊(樽)蔵本」という三種の蔵書印が捺されており、もともとは『嘯亭雑録』の撰者として知られる清の禮親王・昭槤(号は檀樽)の蔵本なのであった。 さらに蔵書印に関して言えば、陶湘はどうやらあまり捺すことを好まなかったようである。私事になるが、現在筆者は漢字情報研究センターの井波陵一教授のもと、有志数人と東方文化学院時代の漢籍目録と実物とをつきあわせる検討会を行っており、ようやく経部小学類に達した。その間に陶湘の旧蔵書を多数実見したが、蔵書印が捺されていたものは(少なくとも経部には)殆どなかった。もちろん先述の『石倉詩選』にも陶湘は蔵書印を捺していない。また、陶湘は点をうつことはしておらず、彼の蔵書はほとんど手の加えられていない状態であった。この点においても陶湘の蔵書を購入できたことはまことに幸運であったといえよう。
漢字情報研究センターのホームページでは、ごく一部ではあるものの、所蔵漢籍を公開しており、山井鼎手校本の閩版十三経注疏や章炳麟の手稿、また大明地図などの地図類もWeb上で閲覧することができる。また人文科学研究所考古調査資料として、近年における破壊を蒙る以前のバーミヤーンの石窟・壁画の写真も公開されている。 さらに画像アーカイブとして、漢字情報研究センターは、人文科学研究所所蔵石刻拓本資料のデジタル化を進めており、全拓本をWeb上で公開し、透明テキストツールなどによって、釈文も検索可能にする予定である。
漢字情報研究センターの所蔵漢籍は、漢籍目録はもちろんのこと、全国漢籍データベースによってWeb上で検索することが可能となった。雑誌、和洋書、新学書に関してはOPAC、もしくは漢字情報研究センターのカード目録によって検索する。 また、漢字情報研究センターの業務として、東洋学に関する論文及び単行本を年次ごとにまとめ、内容によって分類し、さらに著者索引を付した『東洋学文献類目』を出版している。1981年度版以降はデータベース化されており、Web上で検索することができる。
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