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忘れたはずの記憶:新出資料「イギリス帝国の遺産作戦」関連文書群([1])
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内容紹介 本文 1.モザイク処理とカットの違い ロンドンの中心部から西に地下鉄を乗り継いで数十分、キュー・ガーデンズという駅で降る。一見地味な住宅街だ。しかし駅で拾ったフリーペーパーを眺めると、どれも億単位の物件だと分かる。道にも高級車が並ぶ。上空をひっきりなしに飛ぶ旅客機に時折目をやりつつ数分歩くと、コンクリートの大きな建物が見えてくる。イギリス国立公文書館だ。
最近、ここで面白い文書が公開された。イギリスだけでなく、世界の歴史についても何か重要なことが分かるかもしれない。そのような期待を抱かせる新出資料だ。 この資料は、いわゆる公開文書とは全く性格を異にする。一般的な秘密文書の場合、政府は基本的にはファイルの存在について認めた上で、詳しい内容を伏せる。映画で言えば、画面の一部にモザイクをかけているような状態だ。観客は、モザイクの中を覗くことは出来なくても、そこに何かがあることは認識出来る。周囲の状況から一定の推測を立てることも可能だ。政府文書を扱う歴史家は、多かれ少なかれこのようにモザイクがかった資料の山をかき分けながら、昔の出来事について調べている。 しかし、今回公開された資料は、存在そのものが長らく隠蔽されてきたという経緯がある。映画の重要な場面を丸々カットしておきながら、そのことを観客に教えていないようなものだ。これでは、観客は何かが起こっていたことを認知することすら出来ない。モザイク処理とカットの間には決定的な違いがあるのだ。 つまり今回の新出資料は、歴史という映画の中からこっそりカットされていたフィルムだと言える。20世紀中葉、イギリスがまだ帝国として世界中に影響力を持っていた時代に処分したはずの行政文書が、ごく最近まで秘密裡に保管されていたのだ。今日我々の生きている世界が「忘れたはず」の記憶だ。しかもその分量、現段階で公開されている分だけでも約2万ファイル。未公開分も含めると60万ファイルにも及ぶという[2]。本稿は、この新出資料を紹介する。 2.イギリス国立公文書館とFCO 141 文書館などで資料調査を行う時、まずはどのような資料が存在するのかを把握することが第一歩となる。その点で言うと、イギリス国立公文書館は非常に作業がし易い。カタログが電子化されていて、強力な検索エンジンでキーワード検索をかけることが出来るからだ[3]。しかも資料の数も圧倒的だ。内容も、イギリスだけでなく、世界中に及ぶ。イギリスがまだ世界帝国だった時代の資料が多くある。豊富な資料と調査のし易さから、多くの歴史家がこの文書館を調査の拠点にしている。筆者も、ここに来る度に心が踊る。仲間の研究者を誘うとイギリス料理に対する不安を声にするが、近くには美味しいレストランも何軒かある。調査も食事も、イギリスという枠にとらわれずに、広く世界中と交わった帝国の痕跡を探し歩けば良いのだ。 さて、今回公開された資料であるが、今のところ(2014年9月12日時点)全てFCO 141というカタログ番号で整理されている。FCOというのはイギリスの外務・英連邦省(Foreign and Commonwealth Office)のことである。このFCO 141というファイル番号を手がかりに探していけばよい。 では、実際にFCO 141シリーズを見ていこう。現在公開されているFCO 141シリーズだけでも、約2万ファイルに及ぶ。地理的な範囲も多岐に渡る。マルタ、ナイジェリア、ケニア、アデンなど世界の37地域で作られた行政文書のようだ。パラパラと見てみると、アフリカにおける女性運動、インド洋におけるアヘン貿易、さらには年金など一見退屈そうなテーマまで様々な内容が含まれている。 しかも、公開されている約2万ファイルのFCO 141は、実は約60万ファイルの秘密文書群(FCO Special Collections)の一部でしかないと言う。秘密文書群の内容はさらに多岐に及び、時代も地域も様々だ[4]。一体、どのような経緯でこれほど大量の文書が秘密裡に保管されることになったのか? 以下では、秘密文書群の中でも特に重要な部分を成す「イギリス帝国の遺産作戦」関連文書群(Migrated Archives)に焦点を当てよう。 3.イギリス帝国の遺産作戦 これまでの研究と筆者の調査をまとめると、次のような絵が浮かび上がってくる[5]。第二次世界大戦後、帝国主義に対する反発が高まる中、イギリスは一つの課題に直面する。イギリスがこれまで植民地として支配してきた世界の各地域が独立に向かうことは、もはや時間の問題だ。そして独立の際、新しい国家に対して植民地政府がこれまで管理してきた行政文書を譲り渡す必要がある。国家にとって行政機構はまさに心臓であり、行政機構にとって文書は血液だからである。文書の移譲なしに新国家の建設はあり得ない。しかし、全ての文書を渡してしまって本当に良いものか。行政文書は、単に無機質な書類の集まりではない。胸に手を当てて考えてみると、色々と都合の悪い過去の記録も含まれているのではないか。 悩み抜いた末、イギリスは植民地関連の行政文書の保存と処理について新しい方針を打ち出す。それは、「女王陛下の品位を貶める」恐れのある文書については、独立後の政府に引き渡すことはおろか、それらの文書がかつて存在したという痕跡すらも消し去るというものである。イギリス帝国によって都合の良い記録だけを選別し、後世に残すのだ。この行政文書隠蔽工作は、その名も「イギリス帝国の遺産作戦Operation Legacy」と呼ばれた。この隠滅工作の結果、多くの文書が文字通り燃やされて灰になり、一部が秘密裡にイギリスに集められた。そしてこれらの「イギリス帝国の遺産作戦」関連の資料については、イギリス政府はその存在すらも認知してこなかった。つまり歴史家の調査対象から完全に外れていたのである。しかも後々判明することであるが、イギリス政府自身、自分たちがかつて秘密裏に保管した文書の全容について把握していなかった。少なくとも、そう主張している。まさに歴史の忘却という闇に消えようとしていた文書が、近年になって公開されたのである。 「イギリス帝国の遺産作戦」と関連文書群については、まだまだ謎が多い。いつ、どこで、だれが始めた隠蔽工作なのか。なぜイギリス帝国全体で組織的に遂行されたのか。どのような基準で文書の選別が行われたのか。文書を隠蔽するにあたって、焼却処分など物理的に隠滅したものの他に、なぜ一部をイギリスに送って秘密裡に保管することになったのか。保管されていた文書についてのイギリス政府の説明を信じるならば、なぜ2011年になるまでイギリス政府自身もこれらの資料について全く把握していなかったのか。 実はこうした基本的な経緯も、十分に解明されていない。そもそも遺産作戦が「証拠を消す」ことを目的として行われて組織的な工作なので、分析が難しいという問題もある。いずれにせよ、イギリス帝国と関わった世界の歴史を考える上で大きな可能性を秘めた資料である。 [1]本研究の一部は、北陸銀行の若手研究者助成金および松下幸之助記念財団の研究助成を受けて実現した。ここに謝意を示したい。↑ [2] 本稿の執筆に先立ち、日本国際政治学会2014年度研究大会で報告を行った。その際に、未公開分の資料の数を誤って「600万」と伝えた。イギリス外務・英連邦省の発表によると、正しくは「60万」である。ここに訂正し、間違いを指摘して下さった鈴木陽一氏に感謝する。[https://www.gov.uk/archive-records]、2014年12月29日閲覧。 ↑ [3] [http://discovery.nationalarchives.gov.uk/]、2014年9月12日閲覧。↑ [4] [https://www.gov.uk/fco-special-collections]および[https://www.gov.uk/government/publications/foreign-offices-archive-inventory]、2014年12月29日閲覧。 ↑ [5] Mandy Banton, ‘Destroy? “Migrate”? Conceal? British Strategies for the Disposal of Sensitive Records of Colonial Administrations at Independence’, Journal of Imperial and Commonwealth History, vol. 40, no. 2, 2012, pp. 321–335; ‘“Lost” and “Found”: The Concealment and Release of the Foreign and Commonwealth Office “Migrated Archives”’, Comma, vol. 2012, no. 1, 2012, pp. 33–46; Edward Hampshire, ‘“Apply the Flame More Searingly”: The Destruction and Migration of the Archives of British Colonial Administration: A Southeast Asia Case Study’, Journal of Imperial and Commonwealth History, vol. 41, no. 2, 2013, pp. 334–352. ↑ |
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★ さとう しょうへい:金沢大学人間社会研究域法学系・准教授 | ||
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