13/12/19
中国政治研究の現状と課題 1)
                                                        

鈴木 隆

 

内容紹介

今日の中国政治の実情を踏まえつつ、日本や米国での研究動向やそこでの問題点、および、中国政治の将来を展望する上で今後重要であろうと思われる研究上のいくつかの論点について、<徒然なるままに>書き記した研究エッセイ。

本文

はじめに

  台頭する中国にいかに対応すべきか。この問いが21世紀の国際社会における主要な課題であることは、すでに多くの論者が指摘する通りである。周知のように、中華人民共和国は、中国共産党が一党独裁を維持しつつ、過去30年あまりの間、飛躍的な経済成長を達成した。同時に、2008年の北京オリンピックの開催に象徴されるように、国際社会における中国の存在感も急速に高まっている。これらは、「屈辱の近代」に、欧米列強や日本の侵略によって歴史的に傷つけられた中国国民のナショナル・プライドを大いに慰めることに成功した。

  だが、ひとたび中国の国内政治に目を向ければ、近年では、政治・経済・社会の各方面で矛盾が噴出している。長期にわたって続いた経済の高度成長も遂に終わりを迎え、従来的な成長モデルからの脱却を迫られている。社会紛争も増加の一途である。開発政治の影で深刻化した政治腐敗や格差の拡大、環境破壊など、自らの生命と財産に関わる様々な問題について、人々の権利意識と政府への不満は確実に高まっている。中国語で「群体性事件」と呼ばれる集団騒乱は、1993年に全国で年間8700件であったものが、2008年には約13万件に達した。さらに、2008年から翌09年にかけて、大規模な暴動に発展したチベットや新疆ウイグルの民族対立は、今日まで対話の糸口すら見出せていない。

  同時に、そうした社会不満のはけ口として、ナショナリズムの国民感情が過激化する一方、海洋権益と領土をめぐる周辺諸国との軋轢も増している。とくに日中関係は、日本政府による尖閣諸島の国有化に対し、2012年には中国国内で大規模な反日デモが発生した。部分的には、東アジア国際政治におけるパワーの角逐を反映しつつ、日中関係はきわめて困難な時代を迎えている。

日本と米国における中国政治研究

  増大する中国の政治的リスクに対して、研究者たちは多様な方法的アプローチを駆使しつつ、中国政治の理解に努めている。ここでは、近年の日本と米国での研究動向やその問題点について簡単にみておく。最近、米国の現代中国研究(その方法論的摂取に意欲的な韓国の学界でも同様の兆しがみられる)では、社会調査や投票行動論に代表される計量分析、統計学的アプローチが主流になりつつある。一部の研究は、先進国の選挙分析にも遜色ないほどの方法論的精緻さを備えている。一次資料の入手困難など、ソース上の制約はあるものの、統計操作の面では、非常に洗練された分析手法を用いている 2)

  これに対して日本の中国政治研究では、計量分析は依然として発展途上の段階にある。しかし、統計分析が氾濫している米国の研究について、実のところ、筆者自身は強い疑念を抱いている。そこには、いわゆる「アメリカン・スタイル」にしばしば見られるところの、科学主義と実証主義への過度な楽観が如実に表れている。実証主義は、英語でpositivismの訳語があてられるが、米国の中国研究者は、中国の政治世界に生きる人間の行動様式と歴史の方向性について、彼ら自身が持つ倫理と規範に基づいて、根本的にポジティブ、そう<明るい>のだと思う。しかし、そうした知的接近の仕方は、「文化大革命」や天安門事件の際、中国の将来予測をめぐって日米の一部の識者が犯した過ちを繰り返すことになるのではないか。日本人研究者としては、むしろ日米の相違点にこそ、自らの研究の活路を求めるべきであろう。

古くて新しい論点(1)――「規模の政治」と社会・政治変動

  そうした観点から、今後より重視されるべき研究課題についていえば、それは結局のところ、古くて新しいテーマだと思われる。以下では、中国の歴史のタテ軸と国際比較のヨコ軸のそれぞれから、筆者が最近<気になっている>いくつかの論点を提示したい。

  まずは、後者の国際比較について。比較政治の視点から中国政治の最大の特徴を挙げるとすれば、多くの人はやはりその国土と人口の巨大さを指摘するだろう。しかし、大雑把な印象論によらずに、「規模の政治」を学問的に分析することは、実際にはかなり難しい(読者であるあなた自身が研究に取り組んでみればすぐに分かる)。例えば、数千万人ともいわれる餓死者を出した「大躍進運動」の失敗や文革による政治社会の全面的荒廃にもかかわらず、中国共産党はなぜ今日まで政権の座に居座り続けることができているのか。また巷間いわれるように、頻発する民衆暴動は、中国政治の将来において民主的な変革を本当にもたらすのか。上述のとおり、集団騒乱事件は2008年にはおよそ13万件に達したという。これは一日の平均発生件数が約360件という途方もない数字である。しかしわれわれは、共産党の統治がなおも持続しているという目の前に事実に注目せざるを得ない。これはどのような理由によるのか。この大きな謎に対して、角崎信也氏は「規模の政治学」の視角から、非常に興味深い示唆に富む論考を発表しているので、興味のある方は是非ご一読願いたい 3)

  他方、これらの問題について、筆者自身はまだ十分な考察を得ていない。しかし仮説的にいえば、群体性事件のような社会運動の原因と性格を慎重に見極めることが大切だと思う。筆者の理解によれば、この問題に関して先行研究は、次の異なる2つの見解を提出している。すなわち、A)頻発する民衆の抗議活動は、急速な社会変動に伴う一時的な不安定にすぎないという意見と、B)それらは権威主義の政治体制に内在する構造的矛盾だとする見方である。明言はしないものの、A説がおそらくは中国当局の考えであり、B説は外部の観察者、例えば日米のマスコミ報道の底流にみられる見解である。

  しかし、これら2つの説明は、共産党の支配の持続可能性について、論理的には、正反対の結論を導くことができる。前者の「社会変動・一時的不安定化」説は、近代化の過程で多くの国々で共通に見られる現象であり、1950年代半ばから70年代初めにかけては、日本でも学生運動を中心として社会全体の政治化が昂進した。社会システムが急に変化すれば、大なり小なりどうしても波風は立つ。しかし時の流れと共に社会が落ち着き、いわゆる「生産性の政治」が確立すれば、全体状況も次第に安定していくであろう。今日の中国の政治的不安定が、もしこのシナリオに該当するのであれば、共産党の支配は今後も持続可能である。だが、後者の「権威主義体制内在」説の場合、政策レベルでのいかなる対応も終極的には無意味であり、体制レベルでの変革なしに問題は解決しない。体制転換なしに安定はもたらされない。むろん実際の現場では、AとBの要因は複雑に絡み合って、社会紛争の激化を惹起しているのであろう。しかし、いずれが主因であるのか、問題が進行するにつれて両者がどのように接合していくのかについて、実証研究は不足している。

古くて新しい論点(2)――権力闘争と党派政治

  歴史を振り返ってみれば、1980年代に本格化した「改革開放」政策は、90年代と2000年代に市場経済化とグローバル化の波に接合し、今日ようやくひと段落を迎えた。ワンサイクル終了して、中国の政治と経済の課題をみれば、「権力闘争」、「国有企業」、「格差・腐敗」の三点セットが深刻化している。要するに、権威主義の政治体制と社会主義の経済システムの本質に関わる「固い政治的岩盤」が残っている。

  上記3つのうち、権力闘争の問題について、過去20年あまりの間、日本の学界では、中国政界における権力闘争というものを、学問的に排除してきたことは否めない。筆者と同世代の多くの者は、先輩研究者の行っていたかつてのペキノロジーを意識的に回避し、ある意味では、古臭いものとして軽んじてきた。だが中国政治の実情をみれば、時間の針が進んだ今日でも、その重要性は変わっていない。往年の権力分析を、学問的かつ現代的にいかにリバイバルできるのかが問われている。

  またこれに関連して、マスメディアで通用している「保守派」や「改革派」といった言葉の政治的意味内容を、具体的に吟味する必要も指摘できよう。例えば、習近平(中国共産党総書記、国家主席)は、保守派と改革派のいずれに分類できるのか。あるいは、戦術レベルでは保守的言動を繰り返しつつ、社会経済面では革新的な政策を断行し、しかし戦略目標としては、それらを通じた現体制の維持という保守的ゴールを狙っているのか。要するに、保守と革新、改革の絡み合いは、現実政治の中では相当に複雑であって、経済政策の評価に比べてはるかに難しい。

  これを言いかえれば、過去の時代(例えば、改革論争が華やかりし1980年代)とは異なり、明確な路線対立が見えにくくなった今日の中国政治において、党派政治(group politics/ factional politics)のもつ意味を十分に理解した上で、個々の派閥集団のグルーピングや識別を行うことの難しさが挙げられる。大きな政治的背景として、集団指導体制と利権政治の発展が党派政治を促進する一方、各種の経済利害や外交認識などを含む総合的な政治的対立軸の見極め、およびそれらに基づく派閥形成のメカニズムや集団の識別など、中国の党派政治に関する新たな知見が求められている。派閥の政治力学をかつてのペキノロジーとは違った新しい形で、しかもマスコミ報道とは異なる学術的視点からどのように昇華できるか。 こうした問題意識に基づく研究が、今後ますます必要とされるだろう。

  ただし、これらは口でいうほど簡単ではない。一例として、ときに集団暴力として発現する権力をめぐる中国政治の行動様式について、文革を直接に目撃した先輩研究者たちは、これを比較的スムーズに感得できる。しかしわれわれの世代は、そのような政治的人間の無慈悲性と暴力性を肌感覚として十分に共有していない。大規模な暴力行為の発生した2012年の反日デモは、分析者としてのそうした困難を再確認させる出来事であった。制度とかシステムとか綺麗な言葉だけで、中国政治を語ることにはやはり無理がある。中国的な政治的人間像と集団行動のあり方について、政治学の通用概念が示す以上に、もっとドロドロとした人間の生と情を、比較政治分析の中にいかに落とし込んでいくか。これは、将来世代の研究者にとっても、いっそう切実な課題である。

おわりに――もうひとつの論点、政治改革とリーダーシップ

  最後に、本文の締めくくりとして、中国政治の展望らしきものを少しだけ述べておきたい。グローバル化時代における政治と経済の先行きを見通すことは非常に難しい。くわえて中国の場合、その量的規模に起因するギャップと変化のスピードの両面において、政策当事者と外部の観察者の予測を超えて、状況が進展することもしばしばある。

  そうした留意点を踏まえつつ、個人的な意見をいえば、上述のごとき民衆騒乱などの社会運動だけでは、中国の体制変動や本格的な政治改革のシナリオは描きにくい。それ故、変革に関する重要なポイントは、「下から」の運動に対する「上から」の呼応である。その際、共産党指導部内の政治的亀裂と政治的野心家(トリック・スター)の出現はとくに重要である。この点、2012年に失脚した薄熙来(元・党中央政治局委員、重慶市党委員会書記)はやはり稀有な人物であった。実際、毛沢東や鄧小平など、革命と建国のカリスマが歴史の彼方に消え去った今日、中国政界では、「革命家」や「政治家」よりも「役人」の方が圧倒的に多い。真の意味での政治家、良くも悪くも野心家が登場することは、短期的な政局の変動だけでなく、中長期の政治発展に対してもメリットをもたらすであろう。

  またこのことは、中国における政治的リーダーシップや政治的リクルート、政治的社会化の問題に接合していく。これらに関して、筆者の脳裏に浮かんでくる素朴な疑問は、次のようなものである。戦火をくぐり抜けて、自らの手で国造りに邁進した毛沢東や鄧小平とは異なり、物心ついたときから人民共和国の<出来上がった>秩序の中で成長した胡錦濤や習近平らの世代――1920年代生まれの江沢民はちょうど狭間の世代といえる――の指導者たちは、地方官僚としての実績と経験を積む中で出世の階段を上ってきた。彼らはその時点では間違いなく「役人」であった。そうだとすれば、一体どのレベルの官職(例、省党委員会書記、党中央委員、政治局委員、政治局常務委員)に就任すれば、中国の指導者は「政治家」になるのか。あるいは、文革期に苦労の多い青年時代を過ごした習近平らの世代は「役人」ではなかったのか。もしそうなら、彼らよりも若い中堅リーダーたちはどうなのか。そもそも民主的な選挙のない国で、「役人」が「政治家」に質的な変化を遂げるとは、一体なにを意味しているのか。あるいは、杓子定規的な「役人」的リーダーシップが、中国の政界ではもはや主流であり、より柔軟で創造的かつ野心的な「政治家」的リーダーシップの発揮は、今後はあまり期待できないのか。

  もっともこれらの疑問は、分析の視野を共産党内に限定した話である。「政治家」的リーダーシップを備えた将来の指導者候補は、われわれがまだ名前も知らない草莽の士の中にも多く含まれていることだろう。従来のように、共産党の中堅・若手の指導者だけでなく、そうしたカウンター・エリートの予備軍にも、十分な目配りと政治的配慮をする時期が、そろそろ来ているようにも思われる。


文献

1) ここでの議論の一部は、拙稿「発展途上国研究奨励賞受賞記念講演 中国政治研究と中国共産党のエリート支配――『中国共産党の支配と権力』の議論を手がかりとして」『アジ研ワールドトレンド』第217号、2013年10月、41~48ページ、の内容に基づく。
2) 最近における欧米圏の中国研究の動向については、例えば以下の文献を参照のこと。Allen Carlson [et al] eds., Contemporary Chinese Politics: New Sources, Methods, and Field Strategies (New York: Cambridge University Press), 2010.
3) 角崎信也「中国の政治体制と『群体性事件』」、鈴木隆・田中周編『転換期中国の政治と社会集団』国際書院、2013年。角崎信也「『大衆路線』と『抗争政治』――『大飢饉』後における農村統治様式の変容、1960~62年」、国分良成・小嶋華津子編『現代中国政治外交の原点』慶應義塾大学出版会、2013年。




すずき たかし 愛知県立大学外国語学部中国学科 准教授