13/01/18
ベトナムの教育の舞台裏:フォーマル課程からの脱落と再挑戦
                                                        

勢村 かおり

 

内容紹介

貧困など困難な状況にある子ども/青少年らの教育機会(慈善学級と生涯教育センター)について、これまでベトナムのホーチミン市で筆者が行った研究とその成果の概略。

本文

  急速な経済発展を遂げつつあるアジア。都市中心部には高層ビルが建ち並び、一流ブランドの店舗や世界各国の料理を提供する飲食店が軒を連ねる。他方で、大きく変化する社会のなかで困難な状況に立たされる社会的弱者も少なくない。例えばストリートチルドレンや児童労働者はそうした社会的弱者のひとつであり、日本国内でもときおりメディアに取り上げられている。本来「子どもが働く」というのはごく当たり前の事象であり、必ずしも悪ではない。しかし社会開発の文脈では、子どもの労働は早期に解消すべき問題として議論されることが一般的である。

  そうした議論に疑問を抱き、中立的な視点で子どもの労働を捉え直しをしたいと考えたのが、現在の研究を始めたきっかけであった。手本となる先行研究がほとんどない状態で筆者が最初に行ったのは、ベトナムの都市部で物売りをする子どもたちへの聞き取りである。そこで垣間見たのは、彼らは働くことで貧しい家計に貢献をしつつも、多くが将来のために何らかの形で教育を受けており、自身の就労についてはかなりポジティブに捉えているということであった。ベトナムでは、「貧しくても学業をがんばることで困難を克服し、より良い将来を得ることができる」、「学問こそが貧困を克服する唯一の手段である」と信じている人は多い。このため働きながら学ぶことも珍しいことではないが、貧しい子どもたちの教育機会については十分に明らかになっていない状況であった。そこで筆者は現在、ベトナムにおける教育、とりわけノンフォーマル教育とそこで学ぶ学習者に着目した研究を進めている。

  これまでに取り上げ、調査を行ったのはベトナム南部に位置するホーチミン市における「慈善学級」と「生涯教育センター」である。前者は、貧困などで小学校への就学が困難な子どもたちを対象にNGOや宗教組織などの民間が開設し、主に初等教育を行う学級である(中には中学校教育まで行うところもある)。民間による学級だが、近隣の公立小学校と連携しており、修了時には小学校卒業の学歴を得ることができる。この学歴によって中学校への進学は可能であるが、年齢や成績などのために入学が許可されないこともあり、そうした子どもたちの進学先のひとつとして挙げられるのが後者の生涯教育センターである。

  生涯教育センターは、生涯にわたって学び続ける機会を人々に提供することを目的として公的に設置されたものであるため就学年齢に制限はなく、中学校と高等学校の学習内容を学ぶことができる。生涯教育センターは、ベトナム民主共和国における共産党の青年幹部や工農の労働者を主たる対象とした「文化補習」の流れを汲むものであり、かつては労働青年の教育機会として活発に展開されていた。だが2010年9月にホーチミン市で調査を実施したところ、現在の生涯教育センターは実に多様な青少年が学ぶ場となっていることがわかった。学習者たちのセンターへの就学理由は以下の3つのグループに分けることができる。すなわち、家庭の貧困や就労によってセンターに就学した第1のグループ、学力不足による落第や勉強嫌いによって就学した第2のグループ、そしてそれ以外の理由(引越しにより転校手続きが間に合わなかった、ケンカなどで退学処分となった、病気で休学期間があり年齢超過となった、舞踊や音楽などを学んでいて中学校では学習時間の都合がつかない等)で就学している第3のグループである。

  調査結果から、貧困世帯の学習者が多く(約3割)含まれることは明らかになったが、筆者が当初予測していた「慈善学級で初等教育を受け、生涯教育センターに進学したケース」はわずかであった。これと対照的に多く存在したのは、普通の小学校や中学校に通っていたものの、家庭の貧しさのために中退し、一定期間就労した後に復学したケースである。彼らは他のグループの学習者よりも年長であり、就労のために故郷の親元を離れてホーチミン市に上京してきた学習者が多く、授業以外の時間帯に働いて得た収入を自身の生活費と学費にあてつつ、故郷に送金しているものも少なくない。

  他方、学力不足や勉強嫌いによって就学している第2グループも第1グループと同程度の割合で存在していた。調査では友人とのつきあいが楽しい、あるいは近年ではオンラインゲームに熱中してしまうなどで学校を度々休み、勉強についていけなくなったと語る学習者が多く、学年末試験で合格点が取れずに留年し、それをきっかけにそのまま中退してしまったケースもあった。

  生涯教育センターでの調査事例を整理する上で興味深かったのは、中退や留年などで中学校からの脱落する者の多さである。ベトナムでは2001年に中学校教育が「義務教育」とされ、中学校がその任務を担う第1の機関として位置づけられているが、生涯教育センターはそこから脱落した青少年の受け皿となっている様子が伺えた。ただし、学習者の側からみれば、生涯教育センターは貧困や学力不振、病気などによって学問の場から一時的に離れた後も、再び学業を修めることのできるセカンドチャンスの場であるとも言え、失敗や脱落によって正規のルートから外れてしまったとしても、何度でもやり直すことが可能なシステムとなっていると言える。

  だが就学が容易である一方で、センターでの学習継続と修了・進級は本人のやる気や学習意欲にかかっている。実際に、筆者が調査を行ったセンターでは、多数(クラスによっては当初の在籍者の半数以上)の学習者が学期途中で辞めてしまったり、成績不足で留年している状況であった。ただ、貧困世帯出身の第1グループの学習者たちは相対的に学習意欲が高く、彼らが多く在籍する夜間クラスの修了・進級率は高いことから、センター内における学業達成では貧困世帯出身の学習者とそうでない学習者との間で逆転現象が起きているようであった。先述したように、ベトナムでは学問や学ぶことを困難を克服する手段として捉える傾向が強い。筆者がホーチミン市に滞在していた期間、貧しいながらも勉学に努める子ども/青少年が新聞やテレビなどでほぼ毎日紹介され、その際にも度々こうした言説が付随していた。生涯教育センターで学ぶ、第1グループの学習者たちはそれを示す一例とも言えるだろう。

  今回筆者が着目した生涯教育センターには復学した青少年しか存在せず、中退してそのままとなっている青少年を捉え損なっており、貧困世帯出身の青少年全体の内、どの程度が実際に学歴を達成できているのかについては未知数である。また「困難の克服」は「貧困層からの脱却、上昇移動」という意味に捉えることができるが、学業達成が実際の階層移動にどの程度有効かについてもいまだ明らかになっていない。これらの点を明らかにしていくためには、ベトナム全体の社会階層データを用いた分析・検討が必要だが、現時点ではこうした分析を行うのに十分なデータが存在しない。個別の事例を見ていくことは文脈を理解するうえで重要であるが、ベトナム社会全体の構造やその変化を客観的にとらえていくためにも、今後は量的なデータ(とりわけ社会階層データ)の整備とそれを用いた実証研究に、いま少し力が注がれる必要があるように思われる。




せむら かおり 東京大学大学院 総合文化研究科 国際社会科学専攻 博士課程・勢村かおり http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/furuta-semi/member/semura_kaori