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近現代中国の憲政問題と国際情勢 |
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内容紹介 本文 実際のところ、清末の新政から中華民国憲法制定までの中国には豊かな憲政論が存在し、それらは現代中国の法学者によってしばしば参照されている。たとえば、王世杰・呉経熊・張知本・蕭公権・銭端升らの民国期(1912-1949)の憲政論がそうである。そして、これら近現代中国の憲政論の特徴の一つは、同時代の各国の憲政潮流を強く意識しながら、中国を取り巻く国際情勢とも連動していた、ということである。こうした国際情勢との連関性は、現代中国の憲政論においても基本的に同じであると考えられる。つまり、近現代中国の憲政問題は、国家単位あるいは地域単位としての中国史という枠組みに収まりきるわけではなく、世界のなかの中国という視角からも考察されなければならない。 では、何故私はこのような研究テーマに関心をもったのか。私の研究の出発点を一言で要約すれば、それは1989年6月4日の天安門事件(民主化運動)ということになる。 当時15歳だった私にも、社会主義体制が世界で崩壊しつつあることは容易に理解できた。しかし、そうした世界の潮流に逆行するかのように、なぜ隣国の社会主義中国では「反民主的な政治弾圧」がおこなわれ、社会主義体制を(表面的であれ)その後も維持できたのかが当時の私には不可解であった。そこで、大学進学後に天安門事件とその背景になった現代中国の民主化運動について調べ始めた。 ところが、その作業中に思わぬ発見があった。それは、人民共和国が成立する以前の民国期に、実に多くの憲政運動と自由・人権を尊重しようとする政治活動が広がっていた、という事実である。しかも、それらはイギリス・アメリカ・ソ連・日本などの国際情勢とも密接に連動した世界史的な動きでもあった。さらに、1930年代から1940年代に政権を担当していた国民党(蒋介石)は、国際情勢の推移を見極めつつ、日中戦争の最中に憲政を準備し、終戦直後にそれを実施していたことを知った。「中国近現代史にこのような事実が存在するはずがない。だからこそ、現代中国になってようやく民主化運動が発生し、憲政問題が新たに浮上したのだ」と信じきっていた私にとって、それは天地がひっくり返るほどの驚きであった。私の歪められていた中国近現代史像は根底から見直しを迫られることになった。 こうして私は、天安門事件へと至る歴史的な背景に主たる関心を移していった。具体的には、国民党がどのように当時の内外情勢を判断しながら憲政を実施したのか、その憲政はなぜ失敗したのか、憲政実施へと向かわせた中国近代のリベラリズム思想とはどのようなものであり、その後の中国・台湾・香港の歴史にいかなる影響を与えたのかを研究していくことにした。私にとって幸いだったのは、こうした新しい研究関心を寛大に受け入れてくださる学術環境が日本国内に整備されていたことと、関連する一次史料(档案など)や先行研究が中国および台湾で続々と公開、公刊され始めていたことであった。その成果の一部が『戦後中国の憲政実施と言論の自由1945-49』(東京大学出版会、2004年)である。 以上が私の研究の出発点である。しかし、それ以来未解決となっている課題は数多く残されており、新たな課題も年々積み重なっているのが実状である。 たとえば、近現代中国の憲政論をそもそもどのように総括するのか、という問題がある。「個人の自由・権利を保障して権力を制限する」という普遍的な概念として立憲主義を定義するならば、その定義からはみ出してしまう憲政論が近現代中国には確かに存在する。三権分立とは異質な国民党の五権分立論や共産党の社会主義憲政論は、一般論からして、その最たる事例ということになるだろう。しかし、五権分立論が普遍的立憲主義と必ずしも相容れないというわけではなく、五権分立によって普遍的立憲主義を実現しようとする試みも政権内部にはあった。同じく、社会主義と立憲主義の調和を試みようとする動きも存在している。むろん、三権分立に基づく普遍的立憲主義をそのまま模索した(する)動きも同時に存在していた(いる)。しかも、いずれの憲政論も近現代の世界的な憲政潮流や世界の対中イメージを意識して打ち出される――政策過程に影響を与えることもある――など国際情勢とも決して無関係ではなく、それらのバリエーションも豊富である。 第二に、立憲主義や憲政を論じる際の核心的ポイントである表現(言論・出版)の自由をめぐる法理論とその背景となっている内外環境および実際の状況をどのように整合的に説明するのか、という問題である。近代中国が言論・出版の自由を知的財産権である著作権と同列に論じるような社会的文化的構造は、中国を取り巻く国際情勢からのインパクトをも受けながら形成されてきたが、それが近現代中国の憲政をめぐる法理と実態に何らかの影響を与えてきた(いる)のか否かは、検討に値する課題である。 第三に、ナショナリズムや社会主義の論理が前面に押し出されがちな近現代中国において百数十年の歴史をもつ憲政史をどのように位置づけるのか、という問題がある。その為に必ず乗り越えなければならない壁は、近現代中国が社会主義の憲法や憲政を具体的にどのように認識して憲法を制定し施行してきたのか、ということである。この点に関して中国法制史研究者や現代中国(法)研究者は優れた成果を生み出してきたが、憲法制定史を含む政策過程を内外情勢と結び付けて分析しようとする試みは、ようやく中国近現代史研究者によって専門的に分析されつつあるところである。この課題に取り組むことが重要なのは、社会主義の憲法や憲政の論理をどのように受容したのかを解明できると同時に、何をどのように受容しなかったのかをも解明できるからである。人民共和国の成立によって民国期の法制・法理論は継承されなかったが、それにもかかわらず、何故それらが現代中国においても時空を超えて参照され続けるのか。そもそも、新民主主義論を掲げて成立した人民共和国は、中ソ論争を含む1950年代から1970年代にかけて、どのようにソ連の憲政論を評価し、実際のところどの程度まで民国期の憲政論を内在的に継承――人的系譜や学術体制など――していたのであろうか。そして、1949年以後の社会主義憲政論の基礎となったはずの1920年代から1940年代にかけてのソ連憲政観とはどのようなものであったのだろうか。 ここでは一握りの課題を示したに過ぎないが、学際的な共同研究の成果である『憲政と近現代中国――国家、社会、個人』(現代人文社、2010年)などを介して、これらの主要な課題に挑み続けながら――詳細はhttp://www016.upp.so-net.ne.jp/dragon-china99/ を参照――、最終的には「近現代中国の憲政問題と国際情勢」について深い理解を得られるようにしたい。 |
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★なかむら もとや 津田塾大学国際関係学科・准教授・中村元哉 | ||
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