08/02/25

金融再建の比較研究 ― 韓国、タイ、メキシコ
                                                        
岡部 恭宜
 2006年9月から2007年3月までメキシコ、タイ、韓国に滞在し、金融再建に関する調査を行ってきた。半年間で三ヶ国を連続でまわるという強行軍だったが、各国の違いと似た点を集中的に観察できたことは、政治経済学の比較研究をしている者にとっては貴重な経験であった。この経験を踏まえ、メキシコというアジア学での「外国」も取り入れながら、比較研究についてお話ししたい。

少数事例の比較研究 ― 一ヶ国研究でも多数事例の定量分析でもなく
 そもそも、私の研究のような少数事例(国)の比較研究は、少なくとも日本の政治学の中では若干中途半端な位置に立っていると見られているのではないだろうか。一次資料やインタビュー、さらには統計分析も駆使して、ひとつの国を詳細に分析する地域研究者からは、事例分析について突っ込みが足りないと指摘されることがあるし、他方で、多数事例を定量的に分析する「科学的」研究者からは、事例の選択にバイアスがあるとか、変数がコントロールされていないと批判されることがある。

 さらに、各国で政府や銀行などの関係者にインタビュー調査を行って気付いたのだが、金融再建という今回の調査テーマについて、彼らは比較されること自体にあまり関心がないか、ときには好ましく思っていないようだった。メキシコの中央銀行の課長に、同じく金融危機が起こったアジアと比べる話をしても、「メキシコではこういう特殊な経緯があった」と説明された。タイのある民間銀行の幹部からは、「韓国とタイでは事情が違う」と一蹴された。

 私は当初、そういう発言に少々不満を感じていた。ところが、各国に滞在して調査を続けるにつれ、次第に、その国にはやはり特有の歴史や事情があるのだと理解し、彼らの発言に納得するようになっていった。とりわけ、メキシコではCIDE(経済研究教育センター[大学])に、タイではチュラロンコン大学に客員研究員として受け入れてもらっていたので、現地の研究者の話を聞く機会も多かった。そうした機会を通じて各国特有の事情を理解すればするほど、従来日本で検討していた比較の視座がぼやけていく気がしたのである。

 こうして三ヶ国で調査を続ける中で、私は、なぜ国と国を比較するのか、比較して何が面白いのか、なぜ韓国とタイとメキシコなのか、各国を別々に研究すればよいのではないか、自問せざるを得なくなった。


一ヶ国研究や定量分析から見た比較や事例選択

 これらの比較や事例選択の意義は、多数の国のデータを数値化して定量分析を行う研究者にとっては、あまり大きな問題ではないのかもしれない。その人達にとって、比較は一般的な変数間の関係を検証する手段であり、個々の国はサンプルの一つして選ばれている。問題は、どの国を取り上げるのかではなく、むしろ、データ入手の関係上いくつの国を分析できるか、サンプルにバイアスはないか、という点だろう。全世界でなく、特定の地域について取り上げる場合には、選択の意味が問題になるかもしれないが、その場合も個別の国へのこだわりは少ないだろう。

一ヶ国研究を行う人達にとっては、比較の意義ではなく事例選択の意義が重要になると思われるが、実際は、分析対象として(ほかの国ではなく)その国を選んだ理由について言及されることは少ないという印象がある。それは、その国を研究することが何らかの意義を有していると、すでに研究者の間で了解されているからではないだろうか。むしろ重要なのは、「タイにおける多党制の政策決定への影響」や「マレーシアで多民族が共存できる要因」など、その国について学問上のどんなテーマを選ぶのか、という点であると思われる。

 ところが、比較研究者の場合、例えば「金融再建について韓国とメキシコを比較分析したい」と述べると、「なぜ両国を取り上げ、比較するのか」と尋ねられるだろうし、その理由を予め説明しておくことが求められるだろう。比較すると宣言した時点で、事例選択と比較の理由(または視座)を示さなければ、研究の存在理由を問われてしまうのである。(なお、事例が一ヶ国であっても、他国と比較する視座を明示している研究は、比較研究に含まれると考える。)


比較する理由

 それでは、私が韓国、タイ、メキシコを取り上げ、それらを比較する理由は何か。それは、あるテーマについて、三ヶ国とも経済的、政治的に同じ様な条件を備えていたために、同じ政策を採用して同じ結果が生じることが直感的に予想されるにもかかわらず、実際は異なっていたという点に興味が沸いたからである。

 具体的に述べよう。三つの国は1990年代に「21世紀型金融危機」に陥った。その危機の特徴は、大量の民間の短期資本が急激に国外に流出し、国内通貨が暴落する通貨危機にある。さらに、国内銀行が破綻する銀行危機も同時に発生した。各国経済に大打撃を与えたこの危機は、グローバル化の最たる現象であった。それまで韓国とタイは「奇跡」の経済成長を謳歌していたし、メキシコは自由化の推進によって「失われた10年」から復活していたが、これらの国々は瞬時に国境を越える国際マネーの大きな波の前では小船に過ぎなかった。

 このように三ヶ国はいずれも、金融グローバル化の大海原で難破してしまったのだが、そこへIMFという救助船に助けられた経緯がある。政治体制も民主主義国であり、ちょうど危機の後には政権交代が行われたことも共通している。さらに、グローバルな金融の世界では各国の経済政策は自由主義的なものに収斂するという、いわゆる「収斂仮説」が有力である。

 これらの点を念頭に置いたとき、各国とも危機後に金融市場を建て直すにあたって、同様のアプローチで似たような内容の金融再建を行ったとしても不思議ではない。直感的にはそう思えるだろう。ところが、それらの国々が危機の後再び出航しようと船を修理したとき、その修理方法だけでなく、改修された船の姿形も違っていた。つまり、次に見るように、金融再建のアプローチと結果は国によって大きく異なっていたのである。


金融再建の違い
 金融再建の内容として検討すべき政策は、不良債権の処理、自己資本の増強、外資参入を含む銀行再編である。それは、国内金融機関の財務面や事業面を建て直す観点から重要だからである。これらの政策はさらに、政府が主導する場合と、政府が市場メカニズムに委ねる場合の二つのアプローチに分けられる。以上を念頭に置くと、三ヶ国の金融再建の特徴は次のようなものだった。

 まず韓国は、「政府主導、迅速、外資参入の部分的受入れ」が特徴である。政府は、公的資本を注入して問題銀行の国有化と自己資本増強を実施し、さらには経営陣の交替、金融機関の閉鎖といった措置を次々と断行した。不良債権については、公的資産管理会社(KAMCO)を早期に設立して処理を行った。また、外資の参入が認められて、外国人が経営権を握る銀行も一部には現れた。この迅速な再建について、私が話を聞いた韓国のある官僚は、アジア危機に見舞われた他の国々の政府にはそれを行う能力が欠けていた、と少々誇らしげに語っていた。

 タイは「市場主導、漸進的、限定的な外資参入」の金融再建であった。銀行の不良債権は当初民間の自力での処理が優先され、公的会社(TAMC)の設置は2001年と遅れた。資本増強についても、基本的には銀行の自力増資に任された。また中小銀行が国有化されたり、外国銀行に買収されたりしたものの、大規模な金融再編は行われず、外国銀行の参入もかなり限定的だった。タイが韓国と違って市場主導アプローチを採ったことに関し、中央銀行や財務省の官僚・元官僚は、文化の違いや政府の弱さを指摘していた。

 最後にメキシコの特徴は、「政府主導、中程度の進捗、外資の大幅参入」という点にある。韓国ほどではないにせよ、政府主導アプローチが採用され、公的機関(FOBAPROA)を通じた銀行の不良債権処理や、公的資金の注入による資本増強が実施された。しかし他方で、政府が海外からの参入を大幅に認めた結果、買収や合併を経て、銀行セクターは資産の約8割を外資系に支配されることになった。なかでもスペイン系の銀行が目立つため、これを、500年前にスペインの征服者が新大陸から黄金を持ち帰った歴史の再来である、と批判する新聞記事もあった。

 
金融システムの歴史とその起源

 なぜ、同様の条件にありながら、国によって違いが生じたのだろうか。これは、一ヶ国研究では浮かばない疑問であり、それこそが三ヶ国を比較する理由である。私はこの違いを説明するため、政府と企業と金融機関の関係(これを私は「金融システム」と呼んでいる)を歴史的に分析している。それによって、アクターとくに政府がどのような歴史的過程を経て政策選好を形成し、金融再建に取り組んだのかを明らかにしたいと考えている。

 議論の趣旨は次の通りである。金融再建には歴史的起源があり、それは1960年前後の開発主義時代の初めに採用された金融システムにある。そして、過去に各国が選択した金融システムが異なっていたために、その制約を歴史的に受ける形で(経路依存的に)、約40年後の金融再建のアプローチや結果にも違いが生じたのである。

 各国で当時採用された金融システムは、二つの軸で分類できる。一つは、政府が金融市場に介入する程度であり、もう一つは、介入から生じる利益(金融レント)をどのアクターが享受するのかという軸である。それによれば、韓国では、政府が金融市場に強く介入し、優遇的な融資を財閥企業に与えたことから、「企業還元型」金融システムと分類できる。タイは、政府介入としては弱いが商業銀行が保護されていたので、「銀行還元型」である。メキシコは、政府の強い介入により銀行預金を吸収して政府財政に充てていたので、「政府吸収型」となる。

 それでは、なぜ三つの国では異なる金融システムが選択されたのか。それは当時、経済危機や政治体制の変化などの構造的な条件の下で起こった、偶発的な政治過程の結果であった。ここで多くを論じることはできないが、韓国では、クーデターで成立した朴正煕政権が経済建て直しと政治的正統性のため、国内預金の強制預託によって輸入代替工業化を試みた。しかし、それが貯蓄不足と米国や国内企業からの反対のために失敗したことが契機となった。

 タイも、インドシナの共産化を懸念したサリット首相が、経済・軍事援助を得るために世界銀行や米国が求める民間主導の経済開発戦略を採用し、リベラルな経済官僚に政策を任せたことが大きかった。それにより政敵の経済基盤である国営企業を縮小することもできた。メキシコでは、平価切り下げによるインフレ昂進や共産主義の影響を背景に、1958年頃から労働運動が激化し、与党PRIの支配体制を脅かした。そのため、ロペス・マテオス政権がインフレ抑制や社会政策を急務として認識したことが決定的であった。

 
おわりに

 以上のような金融システムの歴史や金融再建の分析は、各国の特殊性を前提とすれば、その国の研究だけで完結するものである。しかし、少数の国々の事例を比較分析することで、どの点が各国固有の要素であり、どの点が共通しているのかを探ることができる。その作業は、それぞれの国の事例が実はそれほど特殊ではないということを明らかにすると同時に、同じ比較の枠の中で別の国も分析できる可能性を示唆している。これは、一ヶ国研究では得られない、比較分析の特徴であろう。

 他方で、少数事例の比較研究の長所は、こうした一般化への方向性だけでなく、個々の事例について動態的な歴史過程を分析できるという点にもある。比較分析はその意味で、定量分析では得られない、むしろ一ヶ国研究が得意とする長所も併せ持っている。この両面性は、冒頭で述べた(日本の)政治学における、その中途半端な位置に由来するのかもしれないが、別の角度から見れば、それこそが比較分析の面白さではないだろうか。




おかべやすのぶ 東京大学大学院総合文化研究科博士課程