05/02/15
アジア伝統医学史の研究方法をめぐって
                                                        
帆刈浩之
  数年前にヴァンダナ・シバというインド人女性科学者が書いた『バイオパイラシー』という本を読んで以来、近代文明と自然環境との関係が抜き差しならぬ状況にあることを意識するようになった。グローバリゼーションの名のもと、先進国は「特許獲得」と「遺伝子工学」という新しい武器を巧みに用い、世界各地で長い年月をかけて培われてきた「地域固有の知識」を囲い込み、さらには生命自体をも植民化しようとしていると、同書は警鐘を鳴らしていた。
 
 こうした動きをコロンブスの時代以来の西洋による植民地化の歴史として描くのは些か強引かもしれないが、西洋近代文明の膨張の重要な鍵の一つとして動植物、細菌、遺伝子にいたる「生命」に対する一貫した探求活動を指摘することは間違いではなかろう。そして、西洋の近代期にこれを可能とするような社会経済な変化、学問の再編成、とくに科学の組織化・制度化、科学者の世界規模での動員がなされたのである。地球上の多様な資源を利用し尽すような「世界戦略」は如何にして実現されたのか。西洋科学史や帝国医療の歴史への興味はこうした点にもあるのだろう。


 西洋諸国による資源搾取に対して、非西洋諸国では民族主義を盾に様々な「地域固有の知識」を民族の財産として擁護する動きがある。そうした知識の範囲は音楽や意匠など文化の領域から、より莫大な利益が期待される種子や遺伝子などのバイオ関連に及ぶが、今後、利用可能と判断された伝統知識はすべて特許によって「囲い込まれる」危険性がある。

 19世紀、アジアの伝統科学のほとんどが近代科学によって凌駕される中、医学の領域では伝統的知識や技術は、「迷信」と批判されながらも、庶民の暮らしの中で生き残った。その背景として、医学が経験科学であるという点と民族主義によって保護された事実が指摘できる。しかし、20世紀末になると、伝統医学が近代医学の欠点を補うような代替医学として世界的に注目されるに至る。それは、伝統医学の社会的地位の向上につながったと言われるが、他方で概念や理論、医師資格の基準統一という形で管理強化を伴うものであった。ほぼ一世紀を経て、ついに伝統医学の知識も利用可能な資源となり、国家や多国籍企業によって「囲い込み」の対象となったのだ。この事態を歴史的にどう理解すべきなのか。例えば老中医の経験を陳腐化するほどに伝統医学に関する「科学」的理解は進み、検査で得た数値をもとに「漢方薬」を処方することで患者を十全に治療できるのか。それとも伝統医学自体が「近代化」「科学化」しつつあるのか。
 
 問題は、現在の科学的医学はもはや幾多の医療システムにおける一つではなく、他の医療システムを評価する「基準」となっているという厳然たる事実にある。西洋の歴史文化に由来する科学的医学が歴史的到達点としての揺るぎない地位を占めている現時点において、医学史の中に発展の論理を設けたなら、すべての医学の歴史的系譜は何らかの形で科学的医学に合流しなければならなくなる。非西洋社会における伝統医学の歴史を描く際の困難さはここにある。
 
 しかし、これは先進国の議論であり、生命を開発の対象として位置づける文明がもつ価値観である。そうした文明の歴史について研究することは重要だが、現状を容認しているようで、どこか空しい(中国もこうした文明を志向しているように感ぜられる)。近代科学という目の粗い「ふるい」によってこぼれ落ちていったものはかなり多い。それを掬い上げる作業はやはり必要である。


 イギリスは、帝国主義支配において科学を組織的に動員した国の一つであるが、同時に(それ故に、と言うべきか)、そのテーマに関わる歴史研究が盛んな国である。プラント・ハンターたちの拠点としてのキューガーデン、新たなスタイルの自然活用を実践しているエデン・プロジェクトなどを訪れると、イギリス人の自然に対する態度が理解できる。後者では自然との共生の大切さを強調するが、神秘性は排除され、科学的に理解し、「劇的」に演出しようとする。また、科学博物館では、二・三十年前の科学成果を省察する展示がなされている。そこからは現代科学の成果をも歴史的にきちんと認識しようという姿勢が窺える。
 
 ロンドンにあるウェルカム図書館は、世界を代表する医療史研究の拠点である。母体であるウェルカム財団は世界の保健医療の向上のための慈善活動を行っているが、ロンドン大学やオックスフォード大学に医療史研究のセンターを設けるために資金提供を行っている。ウェルカム図書館は医療史に関わる膨大な文献史料を有しているが、医療史研究の発展のため各種サービス提供やデータベース構築にも尽力している。医療に関する豊富な研究書は基本的に開架され、研究者は自由に手にとって見ることが出来る。肉筆の書簡など貴重史料(Archives and Manuscripts)の閲覧室には研究者の参考にと、手引きが置かれているが、とくに問題領域別に史料を紹介したものは役に立つ。そのタイトルには「マラリア」「熱帯医学」「公衆衛生」「東アジア」「出産管理」「“人種”とエスニック」「健康教育」「宗教」「圧力団体」などがある。ここからは、社会史的視点、または近年のSTSのように専門の狭い枠にとらわれずに、科学や医学を様々な角度からアプローチしようという姿勢が見られる。しかし、史料の圧倒的多数は医療ミッション、または帝国医療の実践にまつわるものである。例えば、「東アジア」の中には、英国熱帯医学会の項目にパトリック・マンソンによるアモイ、香港滞在時の書簡の存在が記されている(もちろん、これはオンラインのデータベースからも検索可能である)。この史料は、パトリック・マンソンのアジアにおける帝国医療の実践という文脈で用いられることであろう。

 ウェルカム財団の創始者であるヘンリー・ウェルカムは世界各地の医療に関わる文物を熱心に収集し、博物館を開設した。そのコレクションにはアジアやアフリカのエスニックな仮面から呪術に使用する人形なども含まれ、オリエンタリズムを感じさせる。そして、今日の医療史研究において、文化としての医療という視点によって、アジアの伝統医学は対象化されている。しかし、それは西洋文明との異質性において価値観が認められている限り、医学史の本流と交差する可能性はきわめて低い。研究者レベルでも伝統医学史と近代医学の歴史を扱う者との交流はこれまで非常に少なかったのではないか。

 近代中国において防疫や衛生の普及に貢献したことで知られる伍連徳は王吉民とともに『中国医史』(History of Chinese Medicine, 上海、1932)を著した。同書は「伝統医学の歴史」でもなければ、また「近代医学の発展史」のみを描いたものでもない。その両面を視野に入れた、中国で繰り広げられた医学の歴史である。全体的には近代医学導入以降の分量が多いとはいえ、第二版では、中国人民の発展の歴史として、「中国、および中国的なもの」を中心に大幅に改訂がなされ、伝統医学史の部分が初版の21章分から第二版では26章分に増訂された。ちなみに、ウェルカム図書館が所蔵する伍の書簡によると、伍は1913年自らの中国医学に関するコレクションをウェルカム博物館に寄贈しており、1920年、今度は伍が著作に用いる写真の提供をウェルカム博物館に依頼していた。中国と英国との間における伝統医学史の研究交流の一齣である。
 
 アジア科学史研究の泰斗であるニーダムは中国医学の早期的発展を評価したが、その歴史発展の道筋は単線であった。それが後には人類学的視点から医学の多元性、固有性が強調されるようになる。人類学の研究としては、Charles Leslieの編集による1970年代に出された二つの研究成果が果たした役割が大きい。Asian Medical Systems 、そしてPaths to Asian Medical Knowledge である。これは医療を文化活動として位置づけ、アジアの伝統医学は歴史・文化・社会、そして認識論の文脈において分析しなければならないとされた。

 現在、アジアの伝統医学として、中国医学、アーユルヴェーダ、チベット医学が世界的に広まっているが、伝統医学がグローバル化しつつある今日において、研究は新たな局面を迎えていると言える。先に言及したように、伝統医学の制度化が進むことによって、今後の伝統医学研究は、公衆衛生、管理機構、非政府組織などとの連携が不可欠となってくる。こうした流れを踏まえて結成された団体に、International Association for the Study of Traditional Asian Medicine (IASTAM)がある。そこでは研究者と治療者の双方の対話を目指し、関心・方法論・地域などにおける多様性が強調されている。アジア伝統医学の研究は医学、歴史学、文化人類学、社会学などに渡る学際性を帯びてきている。これは、もともと伝統医学が有していた問題領域の広がりを考えると歓迎すべきことであろう。

 もう一つの鍵である固有性は伝統医学の文脈で言えば、風土と言い換えられよう。人間の健康は、社会的・自然的、および個人の生体的環境要因などによって複雑な様相を呈するが、これが地域的差異となって出現した疾患が風土病である。そして、風土病は地域の総合的把握なしには理解できない。そして、疾病・栄養・健康など医療に関わる現象を地域との関連で捉える学問が医学地理学である。また、気象が健康に及ぼす影響を多面的に考察する学問としての生気象学が注目される。ミクロ志向に偏重してきた近代医学とは異なり、マクロ環境を重視してきた伝統医学の再評価の動きと考えられる。

 医学・気象など、生き物としての人間と自然との相互作用を重視する学問分野において、中国の伝統思想では、陰陽五行思想が大きな影響を与えてきた。日本では近代気象学の形成時に陰陽学説の克服が強調されたが、そのこと自体の社会史的考察が必要であろう。近代期、近代科学がアジアに伝播してきた際、伝統科学との間に様々なレベルで軋轢が生じた。それは多くの分野で学術用語の翻訳や用語の統一に苦労してきた事実が示している。伝統科学と近代科学の諸学問を同じカテゴリーとして対置・比較するのではなく、それぞれの意味の広がりにおいて、固有の歴史的展開を多様なアプローチから検討する必要がある。



ほかり ひろゆき 川村学園女子大学