05/12/16
戦後日本外交史研究における一次史料探訪
                                                        
昇 亜美子
 外交史研究において、どのような一次史料(資料)を利用できるかということはきわめて重要な課題であり、史料の公開やアクセス状況には大きな関心を払わざるを得ない。最近では電子アーカイブの発達により、自宅にいながらインターネットを通じて国内外の史料にアクセスできるような環境も整備されてきており、外交史研究者の労苦は緩和される方向にあるといえる。
 
 本稿では、戦後日本外交史、特に日米関係と日本のアジア外交を研究する立場から、日本と米国の史料(資料)の公開状況やアーカイブスの利用方法について紹介する。以下の文章は筆者の個人的体験に基づいたものであり、包括的にアーカイブスの現状をまとめたものではないことをあらかじめお断りしておく。研究分野の異なる研究者や、これからアーカイバル・ワークをやりたいという学生の参考になれば幸いである。

米国における史料公開
 まず、史料公開の先進国としてとかく引き合いに出される米国の状況について、筆者の限られた体験から述べたい。米国国立公文書館が世界最大の規模とアクセシビリティを持つアーカイブスであることは間違いないであろう。後述のように日本で情報公開法が施行される以前は、日本外交史研究者の多くは米国政府の文書に極めて大きく依存せざるをえなかった。多くの日本政府側の文書が公開されるようになった現在でもやはり、米国政府の文書の利用は不可欠である。というのも、米国側の意図を探るという面だけでなく、同じ日米首脳会談の議事録をとってみても、興味深いことに、日本外務省側の記録と米国国務省側の記録はしばしば完全には一致しないからである。知らず知らずのうちに、記録をとる担当者の頭の中にある関心事項が優先的に反映されることもあるのかもしれない。また、括弧書きされる、「ト書き」のような部分も、当時の雰囲気を生き生きと伝えてくれる、貴重なものである。「外相が首相の話を焦ったようにさえぎり」、などと、議事録の会話部分だけには表れない内幕が垣間見られる記述に出会うこともある。また、60年代から70年代の文書を見る限り、日本側の記録は一言一句記録しているのではなく、要約的な記述が散見される。これを補う意味でも、米国の文書の利用は有益であると考える。

 米国国立公文書館では、公文書を永久保存する電子文書館システムの構築を計画中で、2010 年までに運用を開始するということである。研究者にとっては大変待ち遠しいことである。また、民間の研究機関であるNational Security Archiveでは、1966年に制定され、その後改定が繰り返されている情報自由法(FOIA)を利用して、数多くの米国外交文書を入手し、マイクロフィッシュなどで販売しているほか、無料で電子アーカイブとして公開もしている。たとえば、戦後東アジアの国際関係において最大のイベントのひとつである米中和解に関する会談録も以下のURLにアクセスするだけで入手することが可能なのである。
Henry Kissinger’s Secret Trip to China
Negotiating U.S.-Chinese Rapprochement
Record of Richard Nixon-Zhou Enlai Talks, February 1972         

 しかしながら現段階では、電子アーカイブの公開状況は限られていること、また何よりも、史料の現物に触れることが出来るという意味で、日本外交史研究者は少なくとも一度は米国国立公文書館でのアーカイバル・ワークを行うことをお勧めしたい。以下に、これから米国に資料収集に訪れる研究者への簡単なガイドを記してみたい。

米国国立公文書館の利用方法
 現在では多くの文書がワシントンDCに隣接するメリーランド州カレッジパークに位置するアーカイブスに移されているため、実際の作業はここで行うことになる。実際に公文書館を訪問する前に、ある程度自分の欲しい資料についての知識を得ていったほうがよい。国務省の資料であれば、General Records of the Department of State(Record Group 59)から始めるのが一般的であろう。インターネット上でも所蔵資料ガイドが公開されているので参考になる。
 
 初めて訪れるときはパスポートの持参を忘れてはいけない。入館証を作成するのに必要だからである。セキュリティ・チェックを無事通過したら2階の文書室に行き、誰でもよいので職員と思しき人をつかまえ、初めて訪問した旨と、かなり大まかで良いのでどのような研究を行っているかを伝えよう。すると適当なアーキビストのところに案内される。このアーキビストとの対面はあっけないほど短時間で終わるのが普通である。「習うより慣れよ」というわけで、とにかく自分自身で資料に触れてから全てが始まるのである。
 
 膨大な史料の中から自分が必要とする文書を探し出すのは、まさに砂漠で一粒のダイヤモンドを探すに等しい、根気を要する作業である。しかしながら、その過程で頭の中が整理され、論文の骨組みが出来上がっていくこともあるのである。なお、日本の外交史料館とは異なり、複写は自分自身で行うため、料金は安価であるが時間がかなりとられる。デジカメやスキャナーの持込が許されているので、こうした機器を利用することが保管の利便性と安全を考えても最良であろう。

 米国の政府文書のうち、大統領やそのスタッフが作成した文書については、1955年に施行された大統領図書館法に基づき、米国全土にある大統領図書館が所蔵をしている。アイオワ州のフーバー図書館から、アーカンソー州のクリントン図書館まで、現在では12の図書館が各大統領の生い立ちや偉業を伝えるミュージアムと共に、研究者のための資料館を備えている。各図書館は大統領の生地に建てられるので、交通が不便な場所にある場合が多く、訪れるのには苦労をする。交通費や滞在費も大きいので、各図書館が設けている、訪問する研究者のためのフェローシップを利用することをお勧めする。リサーチ・プロポーザルにより審査が行われるのであるが、多くの日本人研究者がこのフェローシップを獲得しているようである。筆者自身はテキサス州オースティンにあるジョンソン図書館のフェローシップを得ることが出来、交通費、滞在費、コピー代を賄うことができた。

日本における史料公開
 次に、日本外交史研究を遂行する上で柱となるべき日本外務省の史料の公開状況について述べよう。戦後記録については、日本の外務省は、1976年以来、30年を経過した文書を審査の上で公開しており、今年(2005年)2月には第19回外交記録公開が行われた。第18回公開からはCD−R(イメージ画像)により閲覧出来るようになった。このCD-Rの使い勝手については不満がないわけでもないが、複写の高額な料金の節約と史料の保管の利便性を考えれば、きわめて画期的なことだといえる。なお、1945年前後までの史料については、2001年に国立公文書館が、近現代の日本とアジア近隣諸国との関係に関わる歴史資料をインターネット上で提供するという画期的な事業であるアジア歴史資料センターを立ち上げ、大きな話題となった。戦後の史料についても、いずれ電子アーカイブでの公開という流れになるだろうが、かなりの時間を要するであろう。

 周知の通り、2001年に日本でもようやく情報公開法が施行され、国民の誰もが行政機関に対して開示請求を行えるようになった。これは日本外交史研究者にとってはまさに革命的な出来事であった。開示・不開示の決定は、開示請求を受けた日より30日以内に行われると法に定められているが、筆者の個人的体験においてはほぼ100%の割合で決定期限が延長された。外務省の対応はおしなべて親切で丁寧であるが、若手の事務官が、ただでさえ多忙な通常の業務の傍ら膨大なファイルの中から特定の文書を探すのであるから、時間がかかるのは無理もないことである。今後情報開示請求は増える一方であろうから、専任の事務官を置いて、国民の要求に迅速に応える制度を作る道を探って欲しいと考える。

おわりに
 以上述べてきたとおり、ここ数年、戦後外交史研究に必要な史料の公開状況は全般的に著しく改善されてきている。それは極めて好ましいことであると同時に、研究者たちに大きな問題を投げかけている。まず、膨大な史料(資料)を収集することが可能になったため、収集作業に要する時間もまた膨大になってしまった。また、専門的な高等教育を受けた研究者でなくとも、誰でも貴重な一次史料(資料)にアクセス可能である状況下では、先行研究と差別できる学術的な分析視角を伴った質の高い研究への要請がますます大きくなっている。その一方で、一次史料(資料)に頼るあまり、研究テーマが細分化され、大きな見取り図を失ってしまう危険性も潜んでいる。

 筆者自身常日頃反省しながら痛感していることであるが、一次史料(資料)の入手が著しく困難だった時代に発表された研究の中には、今日色褪せるどころか、より輝きを増して見えるものが数多く存在する。それは、史料の足りないところを補う幅広い教養と時には想像力、そして何より大きな思考の枠組みによってのみ可能だったはずである。今後ますます多くの史料(資料)が利用可能になる環境の中で、われわれ研究者はそうした大きな思考の枠組みを持ちつつ、同時に地道なアーカイバル・ワークに取り組むという姿勢が求められるであろう。



のぼりあみこ 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所 研究員