CASニューズレターNo.110(July 2001)より転載
 北京餐庁情報:見聞き驚き食べ歩き(4)
  
 
山本 英史


1  はじめに
 追想1982年
2  北京餐庁情報初編(1994年)
3  北京餐庁情報二編(1995年) 附 北京古籍図書館情報
4  北京餐庁情報三編(1997年)
5  北京餐庁情報四編(1998年)
6  北京餐庁情報五編(2000年)
 おわりに


W 北京贅庁情報三編(1997年)

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 昨年に引き続きまた8月の北京に来てしまった。北京は一般的にはカラっとしたイメージが強いが,この月の蒸し暑さだけはいただけない。清朝の皇帝が熱河へ逃げたのも十分理解できる。昨年は上旬であったが,雨ばかり。おまけに不覚にもお腹を壊してしまい三編を書くという宿題が果たせなかった。そこで今回は万難を排して(それはど大袈裟ではないが…)筆をとった次第である。エイリアンでもジョーズでも3作目になると,さらに出来が悪いものになるが,あえて記録を残していきたい。大方の叱正をお願いする。

 -- 2 --

 北京はやはり変化している。一昨年の北京は昨年の北京にあらず,昨年の北京は今年の北京にあらず,少なくとも外貌は刻々と変容している。東京がこれほどや否や。そう思うと北京は古都ではない。3500歳の老人が漢方の回春秘薬を飲んで小学生によみがえったかのようである。

 王府井のかつての東風市場は新東安市場として本年中に大変身を遂げる予定である。3年前から着工した大工事がいま終ろうとしている。文革時代に紅衛兵によって「東安」を「東風」に改名された歴史を持つ市場,平屋のバラックの中に食料,衣料,電化製品などが雑然と並べられ,さながら闇市のようであった場所がどのように変身するのであろうか。広大な敷地に建てられた新しいビルが文革時代を忘れさせてしまう。かつての十大建築の1つであった向かい側の北京市百貨大楼も肩身を狭くしている。

 王府井といえば,最後まで当局の立退要求を拒んでいた麦当労(マクドナルド)1号店も遂に姿を消してしまった。もっとも北京市内にはあちこちに支店を拡張しており,その勢いは「星火燎原」のごとしである。中国の人々がこんなに漢堡包(ハンバーガー)が好きだとは知らなかった。所得が向上したこと,昼飯をゆっくり食べている暇がなくなったこと,その味に慣らされてしまったこと,いろいろ原因はあろうが,北京市民のライフスタイルが着実に変化していることの証拠だろう。余談だが,ある支店に行くと入口に唐獅子が2つ置いてある,ように見える。さては現代の匈奴たる麦当労もついに漢に屈したかと思いきや,よく見ると隣の海鮮屋の獅子が厚かましく割り込んでいるだけだった。匈奴はたやすく屈しない。確かに。

 同じように肯徳基(ケンタッキー)も栄華を極めている。到るところでKFCの看板にぶつかる。CFCの表示を出す店も現れた。芳香鶏が店名であるが,その頭に加州(California)がつく。なるほど,紛い物にせよ,その努力だけは買える。ちなみに慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの略称はKFCでもCFCでもなく,SFCである。

 王府井で変わっていないのは北京飯店。そう思ってロビーを入ると,アイヤー,往時外国人唯一の憩いの場であった友誼商店兼喫茶店の珈琲庁は日下修理中。整形中といった方がよいかもしれない。どのような美人に変貌するのか,楽しみのようでもあり,恐いようでもある。2階の和食の店五人百姓は本家の京樽が倒産してしまったにもかかわらず健在である。親はなくとも子は育つ。ただ,にぎりでトロ25元はいいとして,タイやヒラメがヒカリモノと同じ10元というのは,タイやヒラメにちょっと気の毒である。

 -- 3 --

 変貌といえば,海淀地区のそれはすごい。道路の真ん中に植えられていた樹木(80年代初めの留学生には懐かしさを感じさせる。ギューギュ一語めの路線バスの窓からこれが見えてくると,ああやっとそろそろ北大だ!という目安になった)が取っ払われ,道路の拡張工事が進行中である。完成すれば広大な道路が生まれるはずである。その周辺にはこれまた巨大なデパート(決して百個しかものを売らない“百貨商店”ではない)がそびえている。その1つで中国人民大学の前にある,完成したばかりの当代商場には“Welcome to the Modern Plaza”と場内放送が流れる。地下の超級市場には日本の輸入食品までたいていのものが揃っている。泊まり客でなければだめになった友誼賓館での免換もここに来れば大丈夫。「人大!」といってわからない運ちゃんもここなら知っている。北京の中にマジックワールドがまた増えた。

 海淀の行き着くところが天下御免の中関村である。かつて北京大学や北京語言学院の留学生たちが少しはまともなものを食べようとして出掛けた一帯は,いまや電脳街に変身した。王府井はまだ銀座とはいえないかもしれないが,中関村は秋葉原を名乗っても誰も文句を言うまい。「光盤」(シーディー)「軟件」(ソフト)「网絡」(インターネット)などのわけのわからない中国語の看板が所狭しと並んでいる。新装開店した海淀図書城もその影響を受けて本来の書店のほかにコンピュータ専門店がかなり入っている。「阿片戦争」というゲームソフトを衝動買いしてしまった。理工系の名門である清華大学のスタッフが開発したもので,香港返還記念とあっては買わねばなるまい。うまくすると林則徐が英軍を蹴散らしてしまうこともできるそうで,適度にナショナリズムを満足させるのがミソである。

 このはか,ビデオCDが北京ではたいそう普及しているとの印象を受けた。かつての国共内戦を題材にしたナツメロ映画や「芙蓉鎮」,「紅高梁」などの最近の映画,少数ながら洋画のたぐいなどの多くの故事片,およびカラオケとか家庭学習用教材とか,なんでも揃っている。中国のビデオが日本では方式の違いからそのまま再生できないのに対して,これは問題なく,しかも50元(当時1元は約15円)と安いのが魅力である。

 オッ「夫婦按摩」という実用ものがあったぞ。夫婦で按摩して何しようというのだろうか? 「新婚之初夜」なんていうのもある。パッケージには白人カップルがセミヌードで登場する。だが,俗人はこれに過度の期待を寄せてはならない。北大の女性教授が生殖と避妊についての講義を延々とするものである。これは1種のサギではないのか。映画もずいぶん洋ものが増えた気がする。「失落的世界」が公開されていた。中国も遂に不倫とヌードの世界に入ったかと思ったのだが,字が違った。確かにヌードは登場するが,すべてこれ巨大な爬虫類のものであった。

 クレジットカードが使えるところも多くなってきた。一流ホテルのみならず,高級レストランやデパートなどでも大丈夫な所が増えた。マスターズが最も有用な気がするが,ビザ,アメックス,ダイナース,それに長城牌がたいてい使える。JCBはもちろん日本人がよく行く所では水戸黄門の印篭なのだが,それ以外では徳川幕府の威光も通じないことがある。瑠璃厰の中国古籍書店ではさすがにJCBは使える。ただし,それを機能させる機械が動くとは限らない。教訓。カードが使えることがわかっても,それは下駄を履くまでわからないこと,ゆめな忘れそ。

 -- 4 --

 さて前置きが長くなったが,本来の「餐庁」情報に入るとしよう。海淀地区の餐庁の興亡も景気の状況に応じて変化が激しい。全聚徳烤鴨店も麦当労同様にあちこちに支店を拡げているが,海淀支店は殊のほか立派になり,上客用の雅座まで出現した。アヒル人形?も相変わらず招客している。店の前には垂れ幕がかかっている。「迎回归庆团员吃烤鴨中大奖!(復帰を歓迎,再会を慶び,烤鴨を食べて大賞を当てよう)」なんのこっちゃ!?

 その隣にある長征飯荘もー段ときれいになった。心なしかウエートレスも20歳ほど若返ったようだ。ただ,店名が現実に対応していない。この状況は国営燕興飯荘にもあてはまる。あの婦警みたいな小姐たちはどうしただろうか。


全聚徳烤鴨店前門支店


 ここで猟奇門について一言触れておかねばなるまい。1995年3月,中関村に「猟奇門」なる店がオープンした。バブルの場所と怪しげな名前からして,どうせ奇を街った変なものができるに違いないと思っていた。完成してみれば,何と生ビールの自醸直営店。興味本位で早速留学生たちと押しかけた。果たせるかなビールの味がなんだかおかしい。今にして思えばそれはいわゆるエールビールなのだが,そこに居合わせた日本人は誰ひとりそれを知らない。おまけにつまみに出てきた玉ねぎのリング揚げはなぜか喉に引っかかるような油で揚げられており,すっきりしない。「中国が西洋の真似をしたってどうせこんなものだ。この店が潰れるのも時間の問題だ」とその時はみなそう思った。

 ところが,である。ボストンに行ってはじめて知ったことだが,サミエルアダムスをはじめとしてこんなビールがいっぱいあるではないか。アメリカの玉ねぎリング揚げもやはり喉に引っかかるではないか。そこで筆者は95年3月当時の認識の正否を問うべく今回再度実地調査を試みた。店は一層洗練され,粋な若人やカップルで満員。味はまちがいなくボストンそのものであった。また,どういうわけか今回は本当においしかった。玉ねぎリング揚げはもちろんポテトサラダもなかなかいけるではないか。「百聞は一味にしかず」とはいかない。ちなみに「猟奇門」とは決して血だらけの死体がぶら下がってる入口にあらず,アメリカはリッチモンドの音訳だったのである。

 これとは反対になくなってしまった店も少なくない。太陽村酒楼は案の定というか,空家になってしまっていた。栄光から没落へまっしぐらであった。そういえば,S先生支援の店だった天潤はどうしたであろうか。スポンサーを失った今その存在は如何! 今回は残念ながら確認できずに終った。

 北京大学の構内も様相が変わった。留学生楼である勺園の隣に北京大学正大国際交流中心なる大ホテルが出現した。なんと郵便局まであるではないか。これであの恐い北大郵便局にいかなくてもいいのかと思うと安堵するとともに一抹の寂しさを感じる。この建物が建てられた関係で,周辺のバラック飲食店が軒並み姿を消した。雅園のネーちゃんヤーイ。

 潰れてはいないが経営者が変わってしまい往年の面影がなくなってしまったのは魏公村の月亮山寨である。絶品の香肉に加えて米酒もおいしく,さらに経営者の女性もウェートレスも感じがよかっただけに誠に残念である。

 -- 5 --

 94−95年の長期滞在中に開拓したが続編に収録できなかったオモシロ店にいわゆる毛餐庁がある。1つは故宮西華門にある澤園酒家。毛沢東の専属コックであった韓阿富氏が開いた店で,現在は2代目が経営しているという。初代と毛沢東のツーショット写真が店内に飾られている。もう1つは東城区にある韶山毛家菜館。こちらは毛沢東の親戚が始めた店で,入口の側には毛沢東の祭壇が置かれている。いずれも毛沢東が好物であった湖南料理が中心で,とりわけ毛氏紅焼肉という豚バラ肉の醤油煮(東坡肉に似ている)がウリモノである。かつて毛沢東がこれを食べたいと江青にいったところ,「主席はそんな田舎臭いものを食べてはいけません」とたしなめられたため,以後別居が始まったといういわく付きの料理である。げに食物の恨みは恐ろしい。コクの深さとニンニクの少なさからいって澤園酒家に軍配をあげる。


毛家菜館の祭壇


 これに関連して,文革レストランなるものが北京市内にはいくつかある。文革時代に下放して農村に住んだ体験を持つおじさんたちがその場の雰囲気とそこで食べたものをもう一度食べて往時を懐かしむといった嗜好のオタク餐庁である。その中で一番大きなのは海淀の向陽屯であろう。夜になると田んぼの真ん中に煙煙たる提灯が無数に掲げられ,ちょっとたじろぐ光景になる。中に入ると陝北農婦の格好をしたウエートレスが案内してくれる。60年代の勇ましい毛沢東の壁画のある部屋が最も趣きがある。人民日報が壁いっぱいに貼り巡らされている。料理はなぜか大変おいしい。当時こんなものを食べていたとは思われないが,その雰囲気だけは味わえる。ただし,野味類だけは避けた方が無難であろう。「母子相会」という名前のよさで注文したのが運の尽き,サソリはまだよいとして,なぜかセミと芋虫が粉気を立てて登場した。どこが母子なのか,尋ねる勇気はなかった。こんなものをベンツに乗って食べに来る人はやはりどこかおかしい。

 後からわかったことだが,美術館裏にある老三届餐庁もそのひとつ。こちらは向腸村とは違って庶民的。馬乳茶のうまさからして下放先は内蒙古に適いない。このほか東城区に黒土地酒家というのがあるが,これは未開拓。なんでも東北農村料理だとか。

 -- 6 --

 今回新しく開拓した餐庁は人民大学周辺に限られる。ところが人大前はすでに述べたように目下道路工事の真っ最中。おまけに車の洪水で,道を渡るたびに死ぬかと思うほど。そんな中で今年新しく開店した店が著しく増えた。緑葉家常菜はジーンズで統一されたウエートレスたちがきびきびと働く若い店。1皿の量が多すぎるのが欠点だが,家常菜が揃っていておいしいのがうれしい。近くに緑葉賛庁という紛らわしい店があるので要注意。

 人大を中関村に向かって300メートルほど寄ったところに日本の味原田屋餐庁ができた。人大の「友愛亭」誕生かと早速行ってみた。うどんがメインだが,刺身,天ぷら,寿司,とんかつ,と一通り定食になっていて,だいたい12元と案外に安い。中国人が経営しているはずである。メニューに「トンカ定食」とあった。天ぷらの卵とじ丼というのも初体験であった。とまれ中国人客には結構人気を博している。

 あとは元あった店がまだ続いていることの確認を行っただけである。双楡樹の福元大酒楼は変わりなく焼餃子を出していた。水餃子でないところが逆に受けるのだろうか,繁盛を続けている。美術館近くにあるタイ族料理店孔雀苑酒家のウェートレスの優しさも消えていなかった。店の内装が古ぼけていないのはきっと彼女たちが細めに掃除しているからに違いない。海淀のモンゴル料理屋鴻賓楼飯荘のトリカラも昔のままであった。まあこれらの店は来年もあるに違いない。

 -- 7 --

 最後に少しは学術チックな話題でお茶をにご…,いやきちんと絞めようと思う。

 まずは中国第一歴史檔案。故宮の西門である西華門から入るが,門をくぐる時はパスポートでも大丈夫なものの,やほり中国の権威ある機関の紹介状があった方がよい。いずれにせよ係員に誰何される。彼(または彼女)は「来たことあるか?」と必ず尋ねる。そんな時には笑ってうなづくのがよい。この関門を過ぎれば,後は何の問題もない。すぐ左に曲がり,天安門警備隊の特殊訓練を尻目に少し歩くと宮殿のような建物が出現する。その一番奥の入口から入り,受付でバッグを預けると外賓閲覧室に通される。担当者の応対は親切で感じがよい。

 まずは来訪リストに名前を書かされる。これを見れば最近誰が訪れたかがわかる。続いて「利用檔案資料人員登録票」を書かされる。研究題目は何か。どんな目的か。何を調べたいのか。最後のものは1専題,2人物,3地区,4民族,5国別,6機構,7文種,8朝年,9其他,に分かれている。すべてを埋めなくともよい。担当者が記載から判断してその目録帳簿を出してくれる。檔案名がわかっていれば事は簡単である。

 しかる後閲覧したいものを申請する。どういうわけか申請のための用紙はなく,口頭もしくは紙切れに書きつけて担当者に渡すだけでよい。申請したものが現物かマイクロフィルムかで若干待遇が異なる。現物であれば外国人に対してのみ外賓閲覧室で昼休みも続けて閲覧できる便宜をはかってくれている。閲覧時間は通常月曜から木曜までが9:00−16:00,金曜は9:00−15:00,土日は休館となっているが,夏の暑い問は14:30で終わりである。1度申請したものは見終わるまで何日もロッカーに保管しておいてよく,次回からはそこから勝手に取り出して閲覧を続けることができる。筆記用具についてとやかく言わないのは不思議である。1枚2.5元くらいで写真複写を注文できるが,大量では許可が下りないこと,最低2週間かかること,本人または代理人が当館に取りに来て代金を支払うことなど,若干の不便は否めない。

 昼飯はどうするかといえば,【1】食べない,【2】休憩室に簡易食料を持ち込む,【3】外に出る,の3通りが考えられるが,短期決戦の場合は絶対に【1】を薦める。体力に自信のない向きには【2】がよいが,国産カップめん「康師傅」だけでは栄養が片寄る。お湯を入れて15分待つだけで中華ピラフが出来上がる台湾製の「仙妻」はお勧め品である。飲み物も忘れてはならない。時間に余裕があれば【3】もよい。優雅に飲茶(ヤムチャ)ができる素敵な店が近くにあるが,それをやってるともう戻りたくなくなる。帰る時には「また来るから」と必ず言っておこう。「来たことがある」という前例と「この顔には見覚えがある」という記憶がパスポートなのである。

 次に北京図書館について補足しておく。白石橋の本館にある善本室は相変わらず管理が厳しく,保存にはいいかもしれないが閲覧には不向きな所である。毎週月曜から金曜の8:00−11:30,13:00−16:30,途中昼休みが90分入る。夏の暑い間(9月でも暑ければ該当する)は現物の版本は一切だめ,マイクロのみ可となる。まあそれもよいとしても,1枚の紹介状で4種類しか閲覧できないという規定は何とかならないものだろうか。加えて北海の分館の方は内部整理のため当分閉館だとか,いいことはあまりない。唯一よい知らせは,中国の機関の紹介状がなくとも善本を見られるようになったことであろう。同館の国際交流処に電話すると紹介状を発行してくれる。

 北京大学図書館は今回はばかばかしいので行かなかった。なぜならば,去年の知見による限り夏の暑い間(同様に9月でも暑ければ該当する)は1日おきに開くだけで,さらに版本は乾隆以降の地方志に限るという制約があり,何が悲しくて日本ででも見られる地方志を北京大学に来てまで見なければならないかと嘆いたためである。なにゆえ夏は漢籍閲覧に制約を設けるのか,漢籍にとってよくないからという説明で納得する人は「いいひと」である。いずれにしても,8月は漢籍閲覧にとって厄月そのものである。

 -- 8 --

 おまけとして潘家園古玩市場のことに触れておこう。2年ぶりで訪れたが相変わらずの盛況である。露天が店舗になり,若干洗練された感じがする。品物も洗練されてしまい,変なものが少なくなくなった。彩陶や甲骨,銅鏡などは健在?だが,誰も本物とは思っていない。昔みたいに馬蹄銀の固まり4000元でどうだという猛者がいてもいいのだが。客の間をぬって「ジュースいかがーすかあ」が巡回する。なんだか野球場にいるみたい。線装本は漢方書とお経以外にはほとんど見かけなくなった。ああ明版後漢書30巻がとても懐かしい。契約文書はそれでもまだいくらかは出回っている。ただ一件文書は少なくなり,値段はかなり高くなっている。今回は小作料の計量マスに若干の魅力を感じたが,「夢から覚めたらただのガラクタよ」という禁欲主義的戒律に従った次第である。


潘家園旧貸市場


 以上,わずか10日間の北京滞在による報告である。例によって,この記事を信じるか否かは読者の慧眼にかかっていることを改めて申し上げる次第である。

補  記

 本稿は1997年8月に学会の帰途に北京に立ち寄った時の体験に基づき,同年9月に記したものである。



1  はじめに
 追想1982年
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6  北京餐庁情報五編(2000年)
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