16/02/19
「電気」の意味変遷と近代的な意義
―― A.コントの「三段階の法則」の視点を中心に ――
                                                        

張 厚泉

 

内容紹介

日本語の「電気」は、かつて「越歴的(エレキテ)里失(リシ)帝多(テイト)」や「越歴(エレキ)」といって、「器」や「玩具」の意味であった。本稿は主にオーギュスト・コントの提唱した精神発達の「三段階の法則」を知識(概念)形成の過程に援用した視点で、日中両言語の「電気」の意味変遷と交流について検証したものである。

本文

明治の啓蒙思想家たちは、文明開化に積極的な影響を与え、西洋近代の新しい学術思想を表すために、数多くの概念を漢語の形で考案した。新しい漢語は当然、具体的な物品や技術に充てられたものが多いが、「哲学」や「心理学」のような、日本の知識人により考案された抽象概念を表す漢語も多い。「電気」のように、初めは中国語から借用し、意味が変化した語もある。こういった新造された漢語を考察するにあたって、主に以下の三つの問題があると考えられる。一つは語構成の問題であり、もう一つは語の意味形成と変遷の問題である。さらに、日中韓の間で借用の事実があれば、借用関係も重要な問題である。

「電気」について、これまでの先行研究は、「電気」がelectricityの訳語として中国語から日本に伝わったというのが定着されている。しかし、いくつかの問題点が残っている。一つは、「電気」が日本に伝わる前に、それに当たるオランダ語訳の「越歴」(エレキ)と同じ意味であるかのように思われている間違いである。もう一つは、当時の「電気」は、果たして今日の「電気」と同じ意味の用語かどうかという問題である。

桑木彧雄(1935:4)は「エレキテル物語」において、「周知の如く電気なる語は後に支那から導入されたのである」と論じている。山田孝雄(1958:420)は「漢訳の書よりして入る所を仰ぐ」に分類している。そのためであろうか、筆者が2001年に国語学会で発表したときに、「電気」を日本の近代漢語に分類したところ、質問者から「中国語だというのが定説だ」と正された。しかし、その定説はどういう基準で、どのように定められたかは必ずしも明確ではない。特に「電気」のような近代性を持つ科学技術の用語は、字面の出現順だけで判断するのではなく、A.コントの知識(概念)発達の「三段階の法則」(本稿で以後単に「三段階の法則」)や科学史の尺度で測る必要がある。

「電気」という語は中国語に由来するという見方は、早く川本幸民(1857)が『気海観瀾広義』においてオランダ語の「越歴的児」に当たる言葉を「支那人近日電気ト訳ス」と論じている。川本幸民(1857)や桑木彧雄(1935)、山田孝雄(1958)の「電気」中国語説には、特に具体的な中国語の文献は取り上げられていない。これに対して、松井利彦(1983)は、「電気」という用語がイギリスの宣教師W.ミュアヘッド(William Muirhead慕維廉)の『地理全志』(1853-54年)の中で確認できたと、具体的な文献を取り上げて明確に指摘している。また、八耳俊文(1992:118)は、アメリカ宣教師マッゴウァン(D.J.MacGowan玛高温)が訳著した『博物通書』(1851年)について詳しく論考し、「電気」という言葉のはじまりが、マッゴウァンの『博物通書』にあると論じている。しかし、『博物通書』の翻訳の例が一番早いという理由をもって、現代の「電気」という用語が中国語に由来するという主張はまだ精査する余地があるように思われる。なぜなら、当時、翻訳された「電気」という語の意味は、必ずしも現代の「電気」の意味とは合致していないからである。『博物通書』の記述からも窺えるように、「摩擦電気」「静電気」の意味として用いているものもある。これは第二次産業革命の象徴として理解されている現代の「電気」の概念とは程遠い意味である。また、八耳俊文(2007:93)は、「中国では『電気』は気でないということから『电(電)』一字で使用されるようになったが、日本では依然、『電気』が用いられ、韓国でも『電気』のハングル表記が使われている」と述べており、ここでははっきり主張されているわけではないが、中国では「電気」という用語が漢訳の後、用いられなくなったという意味に解釈できる。しかし、実際の中国でのこの語の変遷をみると、「“电气”/電気」は現代では「“电气化”/電気化」「“电气工程学”/電気工学」「“电气工程师”/電気エンジニア」のように、幅広く使われている用語である。

さらに他方では、「電気」という用語は中国語に由来するという主張とは反対に、中国の研究者は日本の近代漢語として認める説もある。例えば言語学者の王力(1980:526)は「帯有前缀“电”的所有复合词、都来自日语。/「電」が接頭語となっている複合語は、すべて日本語に由来する」と断じた。近年、張厚泉(2006:58)は西周が引用したA.コントの「三段階の法則」を応用し、「電気」が第二段階で「越歴」を駆逐し、第三段階で中国語に逆輸出されたと主張した。雷銀照(2007:7)は『博物通書』(1851年)を取り上げ、同書が恐らくいちばん早く「電気」を用いた中国語の文献だと論じ、電気は「電」と「気」との複合語で、「気」は中国古代哲学の概念であると指摘し、有線電報の瞬時的な通信機能が「電気」概念の形成を促進したと論じた。

中国語の「電気」が日本語に入る前に、オランダ語のElektriciteitの日本語訳の「ゑれきてりせいりてい」「越歴」にはすでに「器」の意味があった。後藤梨春は『紅毛談(おらんだばなし)』(下巻、1765年)において、オランダ語の「elektriciteit/ゑれきてりせいりてい」を「諸痛のある病人の痛所より火をとる器なり」。「ゑれきてり」とは、「此道具を工夫して、成就したるときの人の名を今は此道具の名とす」と記述している。また、森島(桂川)中良も『紅毛雑話「巻五」』(1787年)において、「此器たるや、遠西の人、電光の理を究めて造り初たりといへり翫器(おもちゃ)の中の尤めづらしむべき物なり」と記し、「越歴」を「器(医療器具)」「翫器(おもちゃ)」と認識していたのである。上記二つの文献は、斉藤静(1967)『日本語に及ぼしたオランダ語の影響』や、杉本つとむ(1995)『江戸の翻訳家たち』などによってとりあげられている。「火をとる器」「種々のヱレキテルを新製した」「翫器の中の尤めづらしむべき物」と記されていることから、蘭学者はオランダ語「Elektriciteit」をいずれも「気」ではなくて「器」として認識していたことが分かる。

エレキテルはその後、大槻玄沢の門人である橋本宗吉(曇斎)の『阿蘭陀始製エレキテル究理原』(1811年)において、「琥珀」「虎魄」[1]の義であると説明されている。また、同書「天気器(エレキテル)製造並名義の弁」では、天気器(エレキテル)とも訳されている。しかし、橋本宗吉においては「電」をまったく使わなかったというわけではない。『究理原(巻の上)』の目録では、「フラスコの水にて人を肝消させる図説並(いなびかり)を顕はす図」のように、「(いなびかり)」を用いた痕跡が確認できる。「『フラスコ』のはだへ雷をあらわすなり。その火の色実に虚空の電に異なることなし。いなびかりは天地の間の魄力なること、今眼前の態にて究理すべし」(同書)と記されていることを記憶に留めておきたい。


(いなびかり)を顕はす図。左は『阿蘭陀始製エレキテル究理原』、右は『校訂究理原稿本』による。

このように、オランダ語「Elektriciteit」の訳語は、はじめは仮名で表記されていたが、次第に漢字の音で表記され、さらに翫器(おもちゃ)など器の名前として使用されるようになった。

一方、アメリカ人宣教師W.A.P.マーティン(丁韙良)は著訳の『格物入門』(1868年)で多くの実験の図を取り上げたが、橋本宗吉の『究理原』(1811年)と比較してみると、大きな進歩が見られるものの、その認識はまだ「此気隠伏於万物之中、其尤顕者、則為雷電」(この気というものは万物の中に隠伏せしが、その尤も顕れたものすなわち雷電を為すなり)の領域にとどまっていて、実用化もされていないという見地から、質的に電気を器の意味で用いたものと同じレベルと判断できる。

「電気」という用語は、20世紀の初頭まで、例えば厳復のような中国の啓蒙思想家でも使用にかなり抵抗があった用語である。厳復(1905:29)は『穆勒名学』「按語七」において、「電気」を誤謬の名称として批判している。つまり、この時期においては、「電気」はまだ定着していないか、まだ厳復のような中国人の知識人にも受け入れられていなかった用語であったのである。

しかし、厳復が尊敬している外交官の郭嵩燾は1877年9月12日付けの「倫敦與巴黎日記」の日記に、イギリスの発電所を見学した内容を、「凡電気皆従煤力発出中。/電気の凡ては石炭の中から発出する」(銭鐘書1998:165)と記している。この場合の「電気」は実用化されたものを表すことから、『格物入門』にある「電気」とは意味が異なる。郭嵩燾は1876年12月にイギリスに着任し、翌年の2月から日本公使上野景範や井上馨などと頻繁に交遊し、1878年1月に上野景範から『東京開成学校一覧』が贈られ、説明を受けていたことを日記に綴っている。『東京開成学校一覧』には、「曰大気中電気」など39科目の学科名が取り上げられている。厳復と対照的に、郭嵩燾の日記で用いられている「電気」がイギリスでの体験や上野など日本の外交官から受けた影響だと断言はできないものの、日記の内容からそのように推測できる。

東京開成学校の科目では「電気」は確認できないが、明治9(1876)年『東京開成学校一覧』「第十章」「第二条」には、「電気学用ノ諸機械其中貴重ナル品ハラムスデン氏プレート大電機器、…」(p.27)、「第二年 物理学 電気流動論」(p.47)、「第一 普通科」に「大気中ノ電気」(p.59)の記述があることから、郭嵩燾の日記内容の信憑性が極めて高い。ちなみに、「第一年 初歩物理学」には、まだ「静越歴学、動越歴学」の用語が使われている。

「電気」については、西周(1870:58)も『百学連環』「総論」において、フランスの哲学者A.コントの「三段階の法則」を応用して、雷と「電気」の関係について分かりやすく論じている。西周は「雷」から「電気」へ変わるプロセスを説明したが、「周公の易理」や「陰陽の戦い」の概念で解釈していた「電気」を神学的第一段階の次の第二段階にある形而上学的概念と説明したのは明らかである。これは、ちょうど川本幸民などの蘭学者が接触した中国から舶来した漢訳の「電気」であった。A.コントは人間の知的発展は、神学的・形而上学的・実証的という三つの「stage」=「場」(段階、状態)を経ることによって完成されるものだと説いている。実際、幕末明治初期になっても、「電気」はまだ第二の場に止まっていたのである。例えば、津田真道は『性理論』で「猶電気、電気者陰陽二気交感而顕其象也」(『西周全集第一巻』p.14)というのがそれである。このことから、A.コントの「三段階の法則」で異なる時期の「電気」の意味が第二段階或いは第三段階にあるか、検証することができることは斯学の重要な課題であることを主張したい。

この法則にしたがって科学技術の用語の意味を定義するならば、近代漢語は当然、西洋近代文明の意味を含まなければならない。換言すれば、現代の「電気」という漢語は、A.コントが主張する第三段階にある言葉であり、科学史の視点から見れば、産業革命のもたらした意味を反映していると判断しなければならない。第二次産業革命(電気・石油)の通説は、国によって多少異なるが、19世紀後半であることはほぼ一致している。つまり、電話機・蓄音機(1877)、電球(1879)、発電機(1880)が発明された後の概念であるということである。

上記の考察の結果、日本の「越歴」は「器」や「からくり」として蘭学から出発したが、中国の漢訳洋書はより早く「Elctricity電気」の本質を突き止めていたことが明らかである。そのため、中国語の漢訳洋書で陰陽論や五行説などで説明し翻訳した「電気」を受け入れた時点で、すでに中国語の「電気」と日本語の「越歴」とでは、その意味領域が異なっていたのである。その後、知識の第二段階にある中国語の「電気」を借用して「越歴」に取って代わったが、次に第三段階の「電気」が、外交官を通じて中国に逆輸出されたと考えられる。

「近代漢語」についての文献を精査し、中国語なのか日本語なのかを問う対照研究はもちろん必要であるが、「近代漢語」について、その語の当時の意味用法が、現在と同じかどうかを明確にすることが何より重要である。さらに言えば、その用語の使用が、日本と中国、韓国の近代化に、どのような影響を与えたかを探求することが「近代漢語」研究の意義の存するところである。

*本稿は延世大学の研究誌『Language Facts and Perspectives(言語事実と観点)』36号(2015年11月)に掲載された拙論を要約したものです。


脚注

[1] 英語のelectricityの語源はギリシア語のηλεκτρον(琥珀)に由来する。


引用・参考文献一覧

西周(1870)『百学連環』(大久保利謙〈1989〉『明治文学全集3 明治啓蒙思想集』筑摩書店)

東京開成学校(1876)年『東京開成学校一覧』PUBLISHED BY THE DIRECTOR(東京大学総合図書館書庫蔵)

厳復(1905)『穆勒名学』(湯一介・杜維明〈1998〉『百年中国哲学経典・清末民初巻』海天出版社)

桑木彧雄(1935)「エレキテル物語――平賀源内と橋本曇斎」(『東京朝日新聞』1935/06/13)

橋本曇斎先生百年記念会(1940)『阿蘭陀始制ヱレキテル究理原』『校訂究理原稿本』(原本:文化10年跋刊本、東京大学総合図書館書庫蔵)

山田孝雄(1958)『国語の中における漢語の研究(訂正版)』(初版昭和15年)寶文館

大久保利謙(1960)編『西周全集 第一巻』宗高書房

斉藤静(1967)『日本語に及ぼしたオランダ語の影響』篠崎書林

王力(1980)『漢語史稿』中華書局(初版1957年)

松井利彦(1983)「近代日本漢語と漢訳書の漢語」『広島女子大学文学部紀要』第18巻

八耳俊文(1992)「漢訳西学書「博物通書」と「電気」の定着」『青山學院女子短期大學紀要』46

八耳俊文(2007)「『電気』のはじまり」『学術の動向』(財)日本学術協力財団

杉本つとむ(1995)『江戸の翻訳家たち』早稲田大学出版部

マシニ(Federico Masini 1997)『現代漢語詞匯的形成』漢語大詞典出版

銭鐘書(1998)主編『中国近代学術名著 郭嵩燾等使西記六種』三聯書店

陳力衛(2000)「明治初期における漢訳洋書の受容―柳原前光が購入した書物を中心に―」『東方学』第99輯,東方学会

張厚泉(2006)「『電気』という近代漢語の意味変遷」『言語と交流』No.9,凡人社

雷银照(2007)「『电气』词源考」『电工技术学报』2007年22卷4期,机械工业出版社

李漢燮(2010)『近代漢語研究文献目録』東京堂出版




張 厚泉 東華大学